円形ガラステーブル・ベリーダンス
W700×D700×H710
材質:ナラ、強化ガラス
塗装:着色カラーオイル、ワックス
ストーリー
彼女と初めて会ったのは夜の新宿だった。
メールで問い合わせがあり、ガラステーブルを注文したいということで何度かメールでのやり取りをし、たまたまそのタイミングで僕に横浜での仕事があって、その後でよければ会って打ち合わせしましょう、と約束をした。
東京からの注文で、会って打ち合わせすることはこれまでなく、ほとんどはメールか電話でのやりとりが多かったので、今回のケースは本当にタイミングが良かったと言えた。できることなら定期的に関東へ出向く機会があるべきだとは思う。それはつまり、僕の家具を扱ってくれるショップかギャラリーでの展示販売、個展という今の目標へとつながっていく話である。しかしまだ、それについては兆しさえない。
しかし彼女とは、これを含めて結局3回会うことになり、どれもかなり長い時間話をすることとなった。
横浜での仕事を終え、新宿へ着いたのは午後9時を過ぎていた。電車の中からメールを送ると、彼女は友達と一緒にいて、それは以前から約束があった会合だったらしく、僕と会うのはそれを途中で抜けてくるということだった。
改札で待ち合わせをし、僕を見つけてもらう。ホームページで顔を公開しているのでそれは意外と簡単なこと。だけど不思議な気分ではある。僕は向こうのことを何も知らないのだから。
そして新宿のこともまるで知らないから、彼女におまかせで落ち着いて話せる場所を探してもらった。食事もしたかったので、ビルの中にあるダイニングバーに入り、何を食べたか覚えてないけどなんだかがっついて食べながら話をした。彼女の希望のテーブルについて、そのいろいろな条件を聞きながらノートに書き留めていく。その作業はいつもどおりだったのだが、その時僕は横浜での仕事の疲れで、すごく眠たくて、そのノートを後で見直した時に愕然とした。そこにはぐちゃぐちゃのスケッチが描きなぐられているだけで、言葉らしきものがほとんどない。唯一解読できる言語が、ベリーダンス、だった。
彼女は医療機器を扱う会社に勤めている会社員で、趣味か何かでベリーダンスのレッスンに通っている。とそのときはそのくらいに認識していた。でもそれは仕方なかったと思う。彼女はすでに酒が入っていてテンション高めで、この話の後また友達と合流すると言って新宿の街に消えていき、彼女がいなくなってもこの街には、もうじき日付けが変わることをなんとも思っていない人々がひしめき合っていて、それがこの街で暮らす人の当たり前の夜であるならば、やはり仕方なかったと思う。
そういった認識でデザインを考え始めたから、彼女の希望のイメージからアイデアが飛躍せず気が乗らず、ずるずると数カ月が過ぎた頃、彼女から連絡があった。
出張で関西方面へ来るので、ついでにSIGNへも寄りたいという。あれから自分の中で変化したテーブルのイメージについての打ち合わせもかねて。
ちょうどそのあたりで一件テーブルの納品があったので、実際にうちで作ったものを見てもらうチャンスでもあり、納品に同行してもらえば僕の仕事へのスタンスも感じてもらえるかもしれない。と思った。これも異例だけど、そういうタイミングで彼女と再会したのだ。
納品を見学してもらった後、彼女の変化したテーブルに対する要望と、そのほかにもいろいろな話をした。環境が違うせいだろうか、僕は新宿で会った彼女とは何か違うものを感じていた。それらの話の中にもまた出てきた、ベリーダンス。それは彼女にとってとても大事なキーワードのような気がしてきた。
東京で生まれ、東京で育ち、学校も大学まで東京圏を出ていない。進学も就職もいつもリスクを背負うことを避け、手堅いところで決めてきた。サラリーマンという仕事も嫌いではない。
だがある日、伯父さんの持ち物であるマンションに、管理人兼で住んで欲しいと言われ、それまでの親元での生活から、ふいに一人暮らしが始まった。今回の注文はその部屋に置くテーブルだった。それまでの感覚からすれば、家具をオーダーメイドするなんて考えもしなかったことであり、ましてやインターネットで偶然見つけた、うちのような家具屋に注文するなんて。
彼女にとってのそういった行動の発端に、ベリーダンスを習い始めたことがあるような気がした。
ベリーダンスとはアラブ圏における非回教徒の民族舞踊であり、妖艶で官能的な女性の踊りとして有名である。今となっては様々なアレンジが加えられ、House musicをバックに踊る現代的なものから、フィットネスのプログラムとしても最近では話題になった。トラディショナルと言われるのはエジプトにおいての古典的なもので、彼女が選んだのはそれだった。
古くはインドが発祥と言われ、そこから西へ向かうジプシーたちの踊りとして中東に伝わり、オリエンタルダンスとして定着した。そしてさらにヨーロッパへとジプシーとともに旅をして、スペインに至ってフラメンコになったという。
彼女が初めてベリーダンスに興味を持ったのは小学生の頃だったという。それから何度かやりたくなる波があった。しかしその度に憧れつつも断念し、結局習い始めたのは就職してから、今から3年前のことだった。日本での草分け的なカリスマダンサーにつき、毎週数回レッスンに通う日々。
「プロになるなら」という話もあったらしいが、現実的に考えるとそれは難しい選択だった。仕事を辞める気はないし、今の距離感がベストともいえる。結婚して生活が安定すればもっと専念できる可能性もある。それまでは今のままで。
しかしなぜ、彼女はベリーダンスに惹かれるのか。そこが知りたかった。彼女自身はその答えを知っているのだろうか。普段の彼女は知的で話し方はどちらかというと男性っぽく、硬い論文調の話し方が聞いているとおかしいくらいで、どうしてもそんな女性的なダンスを踊るようには思えない。そのうえ、ちょっとやってみてとか、写真はないかというと、絶対に見せたくないという。
僕は絶対にテーブルのデザインには、ベリーダンスを取り入れるべきだと思った。
ガラスの天板はベール、それを掲げる腕はベリーダンスの代表的なポーズをモデルに、両腕を繋いで見るとソード、このソードはダンスでよく用いられる弓形のものではなくアラブ圏に見られる湾曲したもの、首と体のライン、乳房の丸み、ベリーダンスを象徴する腰の動きをどうしようか迷って円盤に、腰から下は衣装によって本当は見えないが骨盤と開いた脚。
一見当たり前の形に見えて、ベリーダンスを知る人にのみ意味が分かるようにメッセージを隠しておいた。あとはこれが彼女と符合するかが問題だった。
直接納品がご希望だったので、はるばる奈良から東京へ車で運んだ。こういう能書きを直接作った本人から聞くのがオーダーメイドの価値であると考えたらしい。できれば僕も最後は自分で確認したいと思っているが、これだけ遠方だとお互いの都合が合わなければなかなかそうはいかない。
メールで送ってもらった部屋の様子、他に置いてある家具の雰囲気、色合いなどと違和感はないかどうか。そしてなにより本人の反応はどうか。
これを見た彼女の一言は「官能的ですね」だった。
きゃーすてき、とか、かっこいい、うれしい、かわいい、ではないところが彼女らしい。
お茶などいただいて色んな話を長い時間したが、結局彼女のベリーダンスは写真も、ちょっとしたポーズでさえも拝見することができなかった。わざわざ東京まで行ったのに、その符号如何を確認せずに帰るとは、僕もまだまだ修行が足りず、またそれを見せることを恥ずかしいと思っているようじゃベリーダンサーとしても修行が足りんでしょ。
彼女にとってベリーダンスが、踏み出した一歩であるとしたら。