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SIGNのポリシー、オーダーメイド家具の魅力

あなたと、あなたをとりまく環境を
肖像画を描くように、一つの家具で 描き出す作業
それが、僕が考える オーダーメイド家具の製作です

角材づくりは目が回る


角材といってもホームセンターに売っているようなやつではなく、家具の材料として完全な直方体に仕上げたもの。
直線、平面、直角、平行を削り出していく。
家具づくりの半分はこの作業であることを、授業を受ける学生たちが実感することはない。
いくら言葉で説明してもね。

これで半分。ん、あるよな、うん、あるよな。

わたしを回収して下さい


注文していた大学の授業用の材料が届いたので加工を始めた。
授業が始まるのは一ヶ月後なのだが、11月にはプロップスフェスティバルがあるのでそれに向けた作品づくりもしなければならず、先にできることはやってしまおうということ。

今日は木取りをした。これでスツール20脚分。だけど少し多めにと思った量が多すぎ、買い過ぎてしまった。明細を見てびっくり、加工賃が出ないどころか材料代としてもらえる金額をオーバーしていた。
なんだよ。
これは端材を利用して回収するしかないか。プロップで売れるものって何だろう。とほほ。

明日は今シーズン最後の花火の仕事。ならならまつり。
そんなこんなでなんとか生きている。


異常とも思える最近の気象。
ひと夏お世話になった花火の仕事も、いくつか延期や中止もあった。僕が入る現場はあとひとつ。すっかり夏はそれで、家具の仕事はあまりしていない。
昨日は宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見てきた。見る前にいろいろ聞いてはいたが、僕の周りの見た人の感想とは違い、とてもショッキングな映画だと思った。美しい映像と人物描写の影にあるそんな宮崎監督のメッセージを受け取ったとして誰かに伝える?いやあ無理無理。

10月からまた始まる大学での授業の準備をしている。
昨年度の問題点を改善するべく、スケジュールと課題の内容を練り直し、「期限に追われない」制作をさせたい。
完成させることより、いいものを作ることに意識を向けさせるために「ゆったり」考え「きびきび」作るをモットーに。
今年の8耐のテレビで放送された番組が8時間フルでYoutubeにアップされてたので観戦しながら図面を書いた。
ラスト30分、ドラマやねー。


今度みんなで行くツーリングの下見に行ってきた。
ほんとVFはどんなところもよく走る。そしてかっこいい。
ただ、みんなとペースを合わせにくいのが難点。
いっそ250シングルに乗り換えようかとか、ラッキーさんとうどんを食いながら話した。
バイクがみんなと遊ぶための道具ならね。

日焼けしてるのもあるけど、だいぶ歳とった気がする。

自分で舵を取らず、か


塗装して乾燥中の額に絵を入れてみた。ちょっとかわいい。

明日写真茶話会のレギュラーメンバーが集まることになっている。その中にこの写真館の奥さんが含まれているので、乾燥が早ければお渡しできるかも。
明日の茶話会は同窓会というには早すぎるけど、最終回で完成させた全員の作品を見せあおうという企画。
参加者の一人であるラッキーさんがみんなに呼びかけてくれた。
確かに編集段階まではそれぞれが合評で見てきた作品だったが、プリントされ製本された状態を僕でさえ見ていない。
期限を切って終わらせた写真茶話会だったから、それをするためにもう一回延長という気持ちはなく、あとはそれぞれが見せあうなり見せにきてくれるなりでいいと思っていた。だけどこうして集まる機会がもうけられると、ちょっと楽しみだったりする。僕の気持ちなんていったい何なのかと思う。

今日は午前中に大学へ行き、依頼者である先生とジグザグチェアの打ち合わせと後期の授業の打ち合わせをしてきた。
めずらしくその准教授の先生との会話は先生からの質問が多かった。内容はもちろん仕事に関連することがメインだったが、なんとなく面接を受けているような気がした。その話の流れではなかったけれど、最後の方で教育学部の図工の先生を紹介してくれるという話になり、後期の授業のはじめで少しお話しさせていただくことになった。
そのあと明日の会場である「ギャラリーら・しい」に挨拶に行くとちょうどオーナーさんが来られたので久しぶりに話をした。
明日の打ち合わせはそこそこに、またその話とは別に、ギャラリーで今ワークショップを積極的に開催していこうと考えておられるらしく、「撮影」と「デジタル技術」の講座は現在進行中だけどそれとは別のアプローチとしての「写真表現」を湯浅さんどう?みたいな話があり、ちょっと戸惑った。それを終わらせるために写真茶話会を閉じたのに。
自分で叩いても開かなかったいくつかの扉が、あきらめたと宣言した途端に少し開く。ただの誘惑かそれとも。

一枚の絵、写真のとなり


ジグザグチェアの打ち合わせが金曜日になり、あいた二日間でこれをすることにした。
以前カウンターテーブルを納めさせていただいた写真館から頼まれていたもので、いつでもいいとのことだったので随分お待たせしていた仕事だ。
その写真館に昔からあったという絵で、何十年も前の店の外観が描かれたものを額装してほしいという依頼。お話では描いたのが近所の小学生だったとか、先代のおじいちゃんだったとか、そのあたりがはっきりしないのだがとにかく確かにその写真館であることは間違いない。
ベニヤ板に絵の具で描かれており、タッチが油絵のような描き方なので見ようによっては大人っぽくもあり、その不思議な存在感がこの絵の魅力に感じる。
そして写真館に絵画を飾るということ。当時の店の外観など写真に撮ってしまえば簡単に、もっと鮮明に情報量も多く記録できるものを絵で残す意味、それはその絵の持ち主が写真に携わるが故に与えられた価値でもある。
記録性を重要視するお仕事である。そういう意味でその絵も自然と読まれ、肉筆で描かれたひとつひとつのものが記憶と結びついていくことは容易であった。
僕には絵を評価する眼はないが、この絵の良さは分かる気がする。

経年変化でベニヤ板はたわみ、ひび割れてきているので、額装といってもがっちりフレームにはめ込むことはできそうにない。額は脇役に徹し、むしろその年月の量感を展示するオブジェとして形にしようと思う。


テレビラックの一件と夏の休暇などなどでお待たせしていた仕事に取りかかる。
畿央大学の先生からまたリートフェルトの椅子の研究で、先生がリデザインされた作品の制作依頼だ。
今回はあの有名な「ジグザグチェア」を作る。
もともとのオリジナルが木工における常識を覆すような形状をしており、重力と構造力学にあえて抗うようなメッセージを持った作品である。
先生から預かった図面には、それをさらに強調するようなプランがあった。
そこには前回の「赤と青の椅子」のリデザインのような木工技術の見せ場はほとんどなく、造形技術というか建築現場経験者の知識も要する彫刻作品でありながら、それが彫刻家の仕事と違うのは家具屋として一発勝負で作り直しができないところだろうか。
まずは見積もりということで、今日それに使う鉄板のパーツについて鉄工所の友人のところに相談に行ったのだが、きっと大学に提出する書類には一脚を作る値段しか書き込まないだろう。
かなり危険度の高い仕事だ。

鉄の相談に行ったのは開業前からの友人で、うちの看板を作ってくれた江原製作所のエバちゃん。今は独立して「La tierra」というブランドで家具などの金物や鉄板加工品を別注で製作する会社の社長だ。
出会った頃は削った鉄粉と油で真っ黒になっていた彼が、今はどでかいコンピューター制御のレーザーで鉄板を切り抜く機械の前でオペレーションしている。その機械の導入と彼の独立が会社にとっても方向転換になったことは、工場の雰囲気から感じられた。
作業をしながらも会話ができるくらいの音をたてながら、機械はたんたんと鉄板を切り抜いていた。
レーザーが鉄板を貫通する一瞬の閃光に見入る。あとは静かに、正確に鉄を切断していくのだ。

僕はふと、ここに来たのは場違いだったのではないだろうかと思った。
電話した時「今から行ってもいいか」と尋ねると冗談っぽく「いやー」と彼は言ったが、まんざらでもなかったのかもしれない。彼の持つノウハウはすでにもっと複雑な仕事をこなせるものになっているのだ。
そして、3時にはきれいなお姉さんがアイスコーヒーとマドレーヌを出してくれる。
鉄工所?麦茶と三笠まんじゅうじゃないぜ。

とにかく仕事の内容を伝えなければと、忙しい作業の合間に話をした。
僕がどう思おうと、やはり彼は真剣に話を聞いてくれた。そして的確なアドバイス。
そしてリーズナブルなプライス。
僕よりずっと年下なのになんていい男なんだ。
予想していたより安かったので、自分でやるつもりだった作業も追加料金を払って彼にしてもらうことにし、鉄に関してはもう心配ないだろうと思う。
あとは木工次第か。これで明日見積もりは出せる。

なぜだか大阪から帰る道はちょっとせつなかった。

野尻湖


納品の帰りにこんなことしてきました。
何度も沈んで這い上がりました。


ご近所さんから預かったローテーブルは脚を幕板付きの角脚にし、元の高さより100ミリ高くした。材は松系の材を使った。

ご主人がご病気で要介護となられ、立ち上がるのが不自由となり食事に使っているというこのローテーブルでは低くて立ち上がる際に体重を掛け辛かったらしい。
元の折畳式の金物で固定された脚はそうして使っているうちにぐらつきはじめ、僕が預かった時には一本の脚はロックすら効いていなかった。
買い直すという選択もあっただろう。しかし、ちょうどいい高さや大きさのものを探す労力は奥さんにとっては過重であったのかもしれない。日常の生活の中で新しいものを増やすことが選択から外されていく年代でもあるのだろうか。使いにくさを我慢して使うか、使い慣れたものを直して使うか。生活の道具のなかでも特に家具はそうそう買い替えるものでもなく、長く家に居座るものでもある。それだけに愛着が生まれやすい。今回の依頼は高さと強度以外は「なんでもいい」と言われた。このテーブルを使い続けたいが、つまりお金もかけられないということだと思った。

挨拶を交わす程度のおつきあいだった老夫婦の生活を、言葉を交わすことなく家具を見るだけで垣間見る。
なぜかこんな時、スタンダードの強さを感じたりする。


さて、明日の夜出発でテレビラックを納品しに神奈川県まで。
サンバーのオイルを交換し、タイヤも空気圧を高めにした。

見えるものの影でよし


ふたつのテーブルがやってきた。
ひとつは修理の依頼で、折畳式の脚がぐらついてきたのでしっかりしたものに取り替えてほしいとのこと。
近所に住む二人暮しの老夫婦でご主人が最近立ち上がるのが困難となり、今までのローテーブルでは手をついて立ち上がる時に低く、さらに不安定なテーブルでは危険ということだった。
脚はどんなものでもよく、必要十分な強度があればよいとのこと。さて、どこまでやるか。
直して使いたいということはそのテーブルに愛着があるか、お金をかけたくないかのどちらかで、察するにやはり。
だとしても事情を知っている以上雑な仕事はしたくない。
手に入る安い材料から発想しようとホームセンターへ行ってみたが答えは見つからず、2軒回って帰ってきた。
構造とデザインを先に考えようと悩んでいたら眠り込んでしまった。昨日の花火のバイトの疲れが残っていた。

吉野川で行われた花火大会。奈良県南部の水害の影響で見送られていたお祭りが、今年は復興を合い言葉に数年ぶりの開催となった。
寄付によってまかなわれている花火大会は当初予算が集まらないだろうと言われていたのだが、結果ふたを開けてみれば予想以上のお金が集まり、花火の数も盛大なものとなった。
ユニフォームとなっている花火のロゴがプリントされたTシャツを来て町を歩けば視線を感じ、弁当の買い出しに行ったスーパーでは店員さんに手厚い対応と激励をいただき、このお祭りに対するこの町の人々の思いと僕らに対する期待を感じた。
花火はその期待に応えるすばらしいもので、川の向こうから聞こえる歓声と拍手がそれを証明していた。
が、しかし。
花火の仕事というと夢のようないい仕事じゃないかとよく言われるが、それはそういう人の気持ちへの心構えの部分であって、実際の仕事は人知れず過酷なものだ。
仕込みと言われる準備から始まって、炎天下での設置作業、雨に濡れながらの待機、消費中の安全管理、終わった後の片づけ掃除。
掃除は半径100m、風があればさらに広い範囲に散らばった何百発分の玉の破片を10人ほどで這いつくばって拾っていく。その作業は深夜におよぶこともある。
感動の裏に隠された、あまりにも分かりやすく現実的な労苦によって支えられているという図式。求める側が報酬を払ってそれを誰かにさせていると見るか、求めに対してこちらが与えていると見るか。立場によってその見え方は違う。言えるのは感動を求める側には、その労苦を知る必要は100%ないということだ。


さあ、構造をさっさと決めて作業を始めよう。
居眠りから覚ましてくれたのはお隣の奥さん。こちらも老夫婦二人暮し。
いらないテーブルがあるので貰ってくれないかと見せられたそれは、一枚板にダイナミックな彫り物が施された個性的なもの。こちらも脚がぐらついているのだが、直したとして、どうしよう。


完成したテレビラックは納品待ちの間展示しています。
ほかの仕事の都合上御覧いただけるのは本日と7月29〜31日、8月4〜6日です。
オーダーメイド家具をご検討中の方、この機会にSIGNへ遊びにきませんか。

外出していることもありますので、お越しになる際は電話かメールでご連絡下さい。

時は時なり


ある程度分解した状態で着色塗装をした。
依頼者の要望で黒く塗ってほしいということだったが、少しでも安くということで一回塗りで仕上がる塗料を使うことにした。
蜜蝋ワックスが混合されている顔料が入ったオイルで、真っ黒とはいかないが木目が透けた感じでちょっと高級感が出た?
何も塗らないときとはだいぶ印象が変わった。
乾燥させてからもう一度拭きあげて終了。イレギュラーがあって休んだけど作業日数的には予定どおりというところ。
納品は8月に入ってからなので十分乾燥させる時間はある。その間に一度組み立てて今回は納品待ち展示をしようと思う。

納品待ち展示とは完成から納品まで時間がある時に、SIGNでオーダーメイドを検討されている方に家具を見ていただく機会をもうけているのだ。
SIGNの家具は9割以上がオーダーメイドで製作しているため、納品してしまうと手もとに残らない。もちろんこのホームページで閲覧できるようにはしているけど実物を見てみたいという声もある。だからと始めたことだったけど、今までそう言って見にきた人はいない。見に来るのは知り合いばっかりで、コーヒー飲んでしゃべって、まあそれもよしかと思っている。
納品待ち展示をしながらこまごました仕事をしつつ、今年の夏も花火のアルバイトをする。

向かわされる吸引力、予感


下の箱ができ、ガラス扉やキャスターを仮付けしてみる。
木製の家具にこういった異質な部品を取り付けると途端に知的な感じに見えるのはなぜだろう。
素材を複合的に用いることなど今に始まったことではなく、金属やガラス、布や革も木と合わせることなど当然で、それを云々言うこと自体感覚としては古い。
単質素材の美しさ、それもある。SIGNの家具のほとんどが木製であることはそういった意味もあり、また長く使ううちに劣化する部品を交換しなければならないことに疑問を感じるからだ。
しかしこうしてみると確かに木とガラスの相性はよく、いやいやそんなこと当たり前で、それを常識的な感覚で欲するお客さんのほうがセンスがいいと言うようなものだ。
自分が何かにこだわっているのか、それとも無知なだけか。目の前にある自分が作った家具は確かにかっこいい。
いつまでもあるものより、いつか壊れる一面を含むほうが魅力的なのかな。

と思っていたら!割ってしまったー
片側のガラス扉を固定する際にガラスを挟む金物を締め過ぎたみたいで、ぴしっとヒビが。ああ
意気消沈しながら米田さんに電話する。もう一枚ガラスをお願いした。
こんなとこでいらぬ出費を。アホか。


とにかくまた部品を外し、背板を取り付けてみる。
塗装する時はある程度分解し、パーツごとに塗るつもり。

ななめ


ちょっとイレギュラーがあってなかなか進まないテレビラック。今日は下の箱の製作に入った。
部屋のコーナーにフィットさせるため、変形の六角形をしている天板底板に対し中の棚も同じような形にカットし、側板の接合部も角度がつく。
出来上がってみればなんのことはない部分も、箱の剛性に関わっているのでぴったり収めたい。
少しずつ削りあわせて隙間をなくした。
このあたりの加工は勝負強さみたいなところで、失敗するとやり直すしかなく、材料は消耗し作業は後退する。経験で身についたノウハウとそれに対する迷いのなさに自分でも驚くことがある。様々な加工の中でも成形に関する作業においては特に。
得意分野と言えるほど自信はないが、確かに早くなっている。

六角形のカットも、依頼者の希望で丸くするように言われた天板底板のコーナーも、側板の斜めの接合も、一点ものだからジグさえ作らない。ただ道具を駆使しバランス感覚だけで立ち向かう一発勝負。そんなのが好きだ。
いつかまた「RIDER」(作品一覧)みたいな成形メインの家具が作れたらいいな。

納品は神奈川県川崎市まで、8月7日になった。

頭と首


今日はここまで。テレビラックの頭と首。

依頼は最初メールで問い合わせがあり、その後電話とメールで数えきれないほど連絡を取り合ったが、実際に依頼者とお会いしたことはない。
いろいろな提案と試行錯誤はあったものの、結局ほぼ依頼どおりの形を作ることになった。なのになぜか、これを見て依頼者に似ていると感じる。何がと言われても言葉にできない。見たこともない人に似ているというのもおかしい。
不思議だ。

RIDEの村田君から電話があり、VFが直ったと連絡があった。でも再会は来週かな。


SIGNは二上山の麓にあり、窓を開けていれば吹き下ろしの風が工場(こうば)を抜けていく。扇風機などいらないくらい腰のある風が吹くから、じっとしていればその揺らぐ風圧に身を任せ汗ばむこともなかった。
昨日までの図面との格闘においては。

注文した材料が届き、開封する。今回使用するのはタモの集成材フリー板だ。幅500長さ4200の板を移動したり引っくり返すだけで汗が吹き出す。やっぱり暑い。
お客さんの希望で集成材を使用することになったが、材木屋さんの乾さんによるとタモに関しては単価は無垢板材と変わらなくなってしまったそうだ。円安の影響?生産国である中国の値上げ?いろいろ推測はできるが、木材全体の傾向でもある。
それでも歩留まりの良さや製材加工の手間を考えると、強度や見た目を気にしなければコストを下げるために集成材の使用は有効なのだ。
強度に対する対策はこれもお客さんの希望で必要以上の補強を入れることになっている。見た目も着色を施すことによって、あのしましま模様を逆にデザインとする計画である。


午前中にこのテレビラックに入れるガラス扉の相談をしに、いつもお世話になっているガラス屋さんに行ってきた。
開業当時、まだ田原本に工場(こうば)があった頃に紹介されたガラス屋さんで、それ以来ずっと工場が今の場所に移転してからもガラスのことは米田さんにしか頼んだことがない。
駆け出しの頃にお世話になったからか、お付き合いというか親しみがあって、業者に「発注」というよりいつも「おねがい」という感じ。僕からの仕事なんかは小口で予算がなくて、しかもややこしいことが多く、それでも「よっしゃよっしゃ」と引き受けてくれる。
奈良で同じく米田さんにお世話になっている同年代の家具仲間たちに対しては甥っ子たちを見るような目で、話をしていると安心する。ベテランの職人さんなのだ。
こんな仕事をしていながら僕自身は「業者」扱いされるのがすごく嫌いで、取り引きする相手にもそんな関係は求めたくない。お客さんに対しても、取り引き先に対しても、いい仕事を気持ち良くする条件だと思っている。
ほんと、米田さんがいなくなったらガラスどうしようと思う。
紹介してくれた松村君ありがとうね。


米田さんに「おねがい」したあと金物の買い出しをして、帰って午後から木取りをした。
やっぱり暑いわ。
風は吹いてるか、吹いている。

正の和と積は負にならない


昨日接着した椅子の座板を磨いて塗装をする。お金を取れない仕事なので接いだ部分だけ段差をとって、それによって元の塗装がはがれたところに着色をすることにした。完全に色合わせはできないけどそれで我慢してもらおうと思う。明日全体にワックスを塗って仕上げるつもり。いや、もう一回着色いきたいなあ。うーん。

そんな仕事ができるのも今取りかかっている仕事のおかげだ。椅子の修理をしながら待ち時間に図面を書いているからだ。しかし今取りかかっていると言っても実はもう2年越しの仕事。コーナーテレビラック。図面も何枚目になるだろうか。

しかしそうやってお互いに、待ち時間を利用しているからここはタダでできるんだと自分を騙しながら、どちらも結局本気で仕事している。
さてどこに間違いがあるのでしょう。

気の抜けた一日


ダイニングテーブルが終わって今度は椅子の修理。ちょっと前に預かっていたウインザーチェアで、いつでもいいと言われていたので後回しになっていた。
テーブルの塗装をした後の工場(こうば)を片づけ、この次の仕事の前にやっておこうと思ったのだ。
接ぎ板で作られた座板がその接着面で割れていた。まるで接着前の切りっぱなしのように破損した面はきれいだった。古いもののようだが接着剤の寿命だったのだろうか。もしそうだとしたらこれは考えなければならない。ダボもビスケットも入れずに接ぎ合わせた板はいつかは割れるということだ。しかし、ビスケットを入れることによって複雑に割れるとしたら補修には手間がかかる。どちらがいいのか。
今回はきれいに割れていたおかげで補修が楽にできるのだから。

椅子をクランプし接着剤の硬化を待つ間に何かできないかと探していたら、図らずも今日は修理の日となった。
VFが入院中なので、昼休みにオークションで落札したトライアルバイクの整備をしようとガチャガチャやってたら、修理すべきところがいろいろ見えてきてこれは終わらんと思い、中断。その後仕事に復帰すればいいものを、いつかやろうと思っていた雑用を思い出しては、今それをやるしかないような気になってしまい次々と片付ける。そのほとんどが修理。
ただ電池を交換しただけのものもあればハンダゴテが登場する場面もあり、その合間合間にまたバイクが気になり、ごにょごにょしたあとスタンディングスティルの練習をしたり。
なにをやってるんだか。
気が付くと携帯に何度か着信が入っていた。
明日この椅子が終わったら図面を書こう。


再塗装したテーブルを納品してきた。
表面を削り着色をし直し、もともとはウレタン塗装だったのを新たにオイルとワックスで塗り直したとは言え、元の場所に納まるとそのたたずまいには歴史を感じさせる何かがあった。
依頼者のお父さんから結婚祝いにプレゼントされたいくつかの家具のひとつ。それから30年愛用しているという。
そうやって「このテーブルはね…」と語られるたびにその家族の歴史も再確認される。それは家族の記念碑として。
そのテーブルはそういう思いを背負えるだけのいい仕事がしてあった。不粋ながら購入当時の値段を聞くと、換算すれば今の僕が作る家具とそう変わらない値段だった。量産品と一点ものとの価値の差はあれど買う人からすれば出費は同じ。そもそもそんな思いを背負うことがオーダーメイド家具の存在意義でもある。はたして僕の作る家具はどうなのか。

コストパフォーマンスを追い求め、安いということが好まれる時代。逆に高いということで満たされる人もいる。
またそれらが視野に無いかのような技術と知識で押そうとする職人もいれば、自分の仕事量を減らし素材の良さだけで勝負しようという木工家もいる。
そんな市場の原理や作り手の仕掛けに関係なく、持ったものをただ愛そうとする人もいるのだ。
そんな思いを背負える家具なんてどうすれば作れるのか。

そのヒントが今回のテーブルにはあるような気がした。たたずまいを醸し出す何か。意味は使う人が決めること。だとすれば人に対し働かなければならないということ、なんだろうか。

Baja 1000

先週は雨の日が多く、湿気のせいで塗装がなかなかうまくいかなかった。
重ね塗りのたびに待ち時間ができ、時間をもてあます。
バイクは走行中にリアホイールのベアリングがくだけて入院中。まったくあの老体に無理な走りをさせてしまった。
最近のオフ熱でまたオフ車に乗りたくなっていて昔のことを思い出したりしていた。
大陸の砂漠を、あの地平線を。あんなことはもう無理なんだけど、戸井十月さんはまだバハを走ろうとしているし。
バハか。Youtubeで検索してみた。
みなさんはオフロードのレースというと何を思い出すだろう。パリダカ?スーパークロス?
パリダカはラリーだし、スーパークロスはクローズドコースでのエンターテイメント。
こんなレースはご存じだろうか。メキシコで開催される40年以上の歴史がある世界最高のオフロードスプリントレース。

BAJA 1000

日本ではあまり有名ではないかもしれない。その名の通り1000マイルを18時間に渡って走る、2輪と4輪の、ラリーではなくスプリントのレースなのだ。2輪では僕ら世代にとってはスーパークロスのスターだったリックジョンソンもバハに参戦している。

Youtubeでそのレースの伝説的ドキュメンタリー映画もフルでアップされていた。

Dust to Glory

どうぞ暑くて寝苦しい夜に、いかが。

オイルでフィニッシュ


再塗装のテーブルは仕上げの素地調整をして着色をした。
素地調整と言いつつ細かい番手のペーパーでも気になるところを成形しているしつこさ。われながら。

着色は顔料系のカラーワックスでする。元の色がチークっぽい色だったので、それに合わせた色を塗る。塗膜に色が付いているウレタン塗装と着色料が浸透するオイル系塗料とは発色が違う。オイル系の塗料はよく吸うところは濃くなるためムラになったように見える。それを見てオイル系が劣っていると評価する人もいるだろう。

うちで使う塗料はすべてオイルとワックスだ。吹き付けのウレタン塗装などはやっていない。お客さんの希望でどうしてもという場合は外注する。
ウレタン塗装は新しいうちはオイルより性能は勝るのだが、ある時期からがくっと劣化する。すり減って薄くなり、ひび割れ穴が空き、そこから水が入って内部の木を腐らせる。
オイルとワックスは木が呼吸できるため、常にカビや腐食の危険にさらされ、保護膜がないためにダイレクトに傷が付く。しかし定期的にオイルなりワックスを塗り足してやることにより性能を維持することができ、付いた傷さえも保護していく。
さてその家具を長く使いたいとしたらどちらがいいのか。

やってみたらおいしかった


雨が降る中、再塗装を依頼されたテーブルの古い塗装を剥がす作業をする。
固いウレタンの塗膜はサンダーではなかなか削れず、ペーパーやベルトがすぐに鈍ってしまう。いっそのこと電気鉋やグラインダーを使いたくなるが、それをやるとボロボロになるのは目に見えているし板も薄くなってしまう。やはり少しずつ塗膜だけを削らなければならない。
表面を削った後、アールのついた縁の塗装も剥がす。ここは下手にサンダーで削ると形が変わってしまうのでやすりを使うことにした。力を入れず塗膜だけをこりこりと。こんな作業があることを依頼者にも見てもらいたい。話によるとこの丸みが気に入っていたらしく、塗装前にはどうしても削らなくてはならないとは言え、ここは絶対に変えてはいけないところだ。いやむしろ僕としてはさらにこのアールを完成させたいと思う。
このテーブルを作った職人さんは丸く削るのが荒く、場所によってアールが違いかなり適当な感じ。その場所によって違うところがゆらいでいて好きなのかもしれないが、波打ったりデコボコしているのはゆるせない。ばらつきがあっても曲面は連続させておきたい。
というわけで結局最後は手でゴシゴシやっていた。

目が回るほどに。

以前アンティーク家具の修理もやっている僕の弟弟子に、塗装剥がしについて聞いたことがあった。
修理の行程には必ずそれがあり、再塗装をして完成となる。そんなプロのノウハウとはどんなものか。専用の道具があるのか、はたまた専用の薬品があるのか。
しかし聞くと、
「ほとんどペーパーですよ」
それが答えだ。やっぱり手磨きなんだ。
弟弟子の答えに安心した記憶がある。
どんなに時間がかかってもいいところだと、プロの世界でも認められているんだから、効率よりも手作業優先なのだ。
こんな作業でお金がもらえるなら、いくらでもやりたいな。修理もいいなとちょっとだけ思った。

納品して比較されるもの


大学へ白と黒の椅子を納品してきた。展示する場所はエントランスホールの正面奥、リートフェルトのオリジナルの横だ。
まさに比較するための展示。
流し見るだけでその違いに気付くことは難しい。配色を変えたことが意外にもインパクトが薄かったように感じる。まるでオリジナルのバージョン違いのようにも、試作品かヴィンテージっぽくも見える。
それだけオリジナルに存在感があるということなのか。それとも…

それについて依頼者である先生と椅子を前にいろいろ話をした。今回一番のアピールポイントだった三本組木の接合箇所がいろんな意味で日本的だということ。
技術的には複雑で精密な仕事であっても、完成すればそれは内側に隠され、結果地味になってしまう。もしそれを主張するとしたら、分解する行程を見せ、ひとつひとつのパーツを眺めさせるしかなく、そしてそれは分解された状態では何の役にも立たない木製品でしかない。
イモ付け脳天ビスでビス頭も隠さないことがデザイン的に許される時代に、あえて職人の技を使った家具によって主張するもの。それを残さなければならないという思いと、残すためにはこのご時世だから、職人に生活苦を強いることにもなる。職人技は職人技として、やはり作り手は新しいものを生み出していかなければならないんだと思う。
やっぱりね。

椅子の角度の違いを先生のゼミの学生に体験してもらった。
先生が一人一人にどちらが座り心地がいいかと聞いていた。その答えはほぼ50/50だった。
座り心地の評価はなかなか難しい。その椅子に座る時の用途をイメージしてしまうとそれに対する評価となる。
オリジナルが用途をあえて無視したコンセプト自体が作品であるのに対し、先生が設定した角度は用途を意識したものだからだ。
組木と角度の二本立てのリデザイン。教材として役立つことを願う。

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