あなたと、あなたをとりまく環境を
肖像画を描くように、一つの家具で 描き出す作業
それが、僕が考える オーダーメイド家具の製作です
SIGNのポリシー、オーダーメイド家具の魅力
プロップスフェスティバルに出品するくらげたちは組み立てて一回目の塗装までした。
明日は会場の準備をしに行く。ぎりぎり間に合ったというか、二回目の塗装は明日だし、結局新作はくらげ以外は作れなかった。
在庫であるのはブビンガとメイプルのミニテーブル、ケヤキと楠のコンソール、タモのくらげの四本脚、青の五本脚と六本脚、ターナー、積み木パズル。まあなんとかなるか。
今回作ったくらげスツールはちょっと低めのサイズで、子ども用かリビングでローテーブルと合わせるくらいの高さ。写真では大きさがわからないが、このデザインには小さいのがかわいくて似合っている。
もちろん売るために作ったのだが、何個か置いておきたい気がする。オールメイプルのなんか上品できれいだし。
イベント価格でまた脚一本3,000円計算だと一脚9,000円か。安いかなあ。いやそんなもんだろ。また弟弟子たちに怒られそうだ。
SIGNは非効率を応援しています
2013 年 10 月 30 日 by SIGN
六本脚のくらげミニテーブルをとりあえず形にする。構造がスツールよりやや複雑でラインがしっかりしているので、見た目にはこちらの方が高尚に見えるが、実はコンパスや定規でデザインしたものの方が作るのは早い。
対してフリーハンドで曲線や曲面を加工するくらげスツールは、そのシルエットには未完成な印象があり高級感はないが、実はその製作工程は非効率で手間が増える。
はたして価値はどちらが高いのか。自分で値段を付けるとしてもやっぱり前者の方を高くするだろう。
陶芸ならばまず一番安いのは量産品で型で作るもの。ろくろで挽くもの。そして多分もっともその価値を理解されやすいのはてびねりで作られたものだろう。
コピーできない、二度と同じものが似たようなものさえ作りにくいものほど価値を与えられる分野が多い中で、家具は一点ものとはいえ図面で計画されまさにそれを現実にコピーしていく計画性が最終的な完成度に大きくかかわり、他の分野とは評価が反転してしまう。
一点ものの価値を得ようと、自然木の様相を生かした耳付き一枚板の重厚な天板のテーブルを作り続ける人もいる。実際いまだにそのスタイルに対するニーズは多く、しかしそれは裏返してみれば、木工家はそれ以上のものは作れないという評価そのもの。
感性がなかなか技術を追い越せないところは、ちょっと写真と似ている。
これは僕にとっても重要なテーマではある。
明日は大学の授業がある。
間に合うのかコレ。
雨対策なんてしたくない
2013 年 10 月 29 日 by SIGN
週間天気予報によると、11月3日は曇り時々雨。前日と二日目は晴れなのにイベント初日が雨とは。なんとかもってほしい。
小雨決行とはいえ屋外イベントなので本格的に雨が降りそうだと中止になる。会場の準備は前日に行うので、初日は様子を見て二日目だけの開催もあり得る。だけど、初日にブッキングしているライブも中止になると出演者の皆さんにはなんだか申し訳ない。アップライトピアノも雨ざらしはつらいし、どうしようか。
そういえば福島県からのゲストで保育園「そらまめ」の門間さんの講演は初日の予定だった。
いろいろ考えてしまうけど、まず自分のこともしなければ。
プロップスフェスティバルに出品するのは結局、くらげスツールとくらげローテーブルにした。
イベントでは定番化してきて目新しさはないが、オリジナルで安価で手抜きのない作りとなると、もう残された時間では新作に頭を悩ませるより体が勝手に動く定番商品でと考えた。
今作っているスツールは3本脚のみ。高さは低めで着色はなし。その分、材のバリエーションをいろいろ選べるようにした。
タモ、ウォールナット、メイプル、チェリーの天板に、タモ、ナラ、メイプル、チェリーの脚を組み合わせる。
4本脚以上は在庫があるので数的には展示するとずらっと並ぶ感じになるだろうと思う。値段は在庫も含め一脚1万円以下で出そうと思っている。
ローテーブルの方は6本脚で円形。展示がスツールだけでは寂しいので、今回のスツールに合わせた高さを想定してみた。
まあちょっとしたくらげ会議みたいな感じで。
くらげシリーズはこういったイベント用にしか作らないし、普段の仕事から考えるとなんとなく解放される感じがする。その名の通り。
もともとはお客さんのために笑ってもらえる作品で、気軽に買ってもらえるお笑い価格設定「足一本いくら」という売る気があるのかないのかわからないものだったけど、それが逆に自分にとっても頭を楽にしてもらえる作品になっている気がする。
まあ僕が何を作ろうと文句を言う人はいないと思うので。
ただ、旋盤に夢中になっていると腰がきつい、いたたた…
秋のツーリング・センチメンタル 2013
2013 年 10 月 26 日 by SIGN
プロップスフェスティバル用の作品に取りかかる。今頃から?
そう、だけど以前よりこういう事態に焦りがない。
さらに明日は久しぶりの「秋のツーリング・センチメンタル」だ。
奇しくも前回と同じ台風の後となり、今まだ降り続いている雨が明日朝やむというから行くことにした。
状況は予測できる。道は多分あちこちで土砂崩れがあり、山から水が流れ出し砂利や落葉や木の枝を乗り越えて走らなければならないだろう。通行止めになっている可能性もある。
普段であれば気持ちのいいワインディングコースも一転して悪路となり、ある意味めったに走れない道に変わる。
なぜそんな道を?
ただ予定していた日がそうなっただけ。向こうからその日に重ねてきただけだ。つまり用意された道を走る。
「ツーリング・センチメンタル」っぽくなってきた。
一緒に行く、ラッキーさん、Saltさん、銀じ郎さん、楽しみましょうね。
近所の保育所での木工教室は今回二回目で、数年前にさせていただいた時の反省点をふまえた改良点がいくつかあった。
材料の種類もイメージしやすい形や大きさを意識して増やし、最初に土台となる板を一枚ずつ配るようにした。そして作業の解説は実演しながら手短に、かつ目の前で見る見る形が組み上がっていくショーのように。
自分で言うのもなんだけど、手応えあり。今回の作品はどれも本当にすばらしく、前回2クラスだった時間を3クラスで分配したにもかかわらず、それぞれ作品のボリュームも十分だった。
また、保育士の先生方からの感想がとても好評で、嬉しかったのは子どもたちの集中力について。全員がこんなに夢中で取り組む姿を今まで見たことない、という。
特に僕も今回一番すてきだなあと思った作品は、クラスでも一番飽きっぽく集中できない子の作品だというし、いつもなら悪態ついて何もしない子がもりもり頑張っていたらしく、先生方にとっても再発見だったとおっしゃっていた。
終了後どのクラスからももっとやりたいという声があがり、残念ながら3、4歳児のクラスは時間いっぱいで切り上げたが、お昼寝のない5歳児クラスは僕が帰ってからも延長戦があったらしい。
昼食は5歳児と一緒に給食をごちそうになり、おしゃべりしながらおなかいっぱいいただいた。意外と彼等は食べながらよくしゃべる。
ああ、こんな仕事、無料だからさせてもらえるんだろうな。楽しいな。
帰り際、廊下で目が合った子どもたちみんなにありがとうって言われた。こっちこそだよ。神様どうにかしてよ。
結局丸一日費やして作り足した。本当の端材だけでは細かいのが足りず、またいつも人気の小さい丸も実は薄い板からくりぬいている。
量的には十分すぎる量だと思うけど、まあまた使えるからね。ほんとよくやるなあと自分でも思う。
昨日は大学ではじめて墨付けをしてのこぎりを引かせた。
初めて触れるシラガキやケビキ、スコヤにわくわくしているのを感じるとこちらもノッてくる。それを加速させるテンポとスピード感でのこぎりまで教えた。こういう感触があるとやりやすい。
おととい木工教室の材料を作っている時に、近所で最近木工をはじめたシロオカ君が訪ねてきて話し込んだせいであまり作業はできなかった。
一年目にして彼も悩んでいるらしい。どうやって売っていくかだって?そんなもん俺だって未だにわからんよ。
そもそもここに相談にくるのが間違ってる。今楽しそうにやってるこの仕事なんて収入ゼロだからね。
昔はGPライダーだった彼とはバイクの話をしたいのに、時間もせまり話を切り上げる前にいつもの心理テストをしてみた。出てきたのは「あこがれ」だけだった。それではあんまりだったのでひとつだけ「本性」としておいたが、今は自分にないものが気になるらしい。
わからなくはないけど。
僕のパリダカを見て「かっこいい、いいっすね」ってオフ車が気になり出したみたい。
「いいやろ、これいいやろ」とまた加速させる。感触があると助長しやすい。
ジグザグチェアの仕上げ塗装も終わり、乾燥待ち。焦ってるときは湿度の高さによる乾燥の遅れが気になるところだが、少しずつ反っていたところが戻ってきているのもこの湿度のおかげか。なんとなくありがたい。
テレビでは近付いている台風への警戒を呼びかける報道が途切れることなく、明日確実に被害が避けられないという状況にどれだけ人は対処できるのだろう。
SIGNのある奈良も防災無線が注意をうながす放送をしていた。
それでも目の前の仕事のことで頭がいっぱいなのは、どれくらい危険が迫ってくれば覆されるだろうか。
またその災厄の脅威を知らせる役が僕だったとしたら、いったい何ができるだろう。
塗装が乾くまでほかの加工作業はできないため、午後は月曜日の保育所木工教室の準備をした。
在庫を見ると材料は種類の面で作り足さなければならないようだ。量はどうだろう。幼児45人ってどのくらい消費するのか。内容によっても違うだろうし、時間も短いのでむしろ作らせる方向に誘導的な仕掛けが必要かも。
ジグザグチェアは明後日納品する。
魂よ体に命ぜよと誰かが言う
2013 年 10 月 12 日 by SIGN
折れ曲がり部分のさじ面などを削り出し、全体を磨いて一回目の塗装をした。ひとまず乾燥中。
なんとなく形にはなったが、まだ座るのがこわい。
クリアランスをとった折れ曲がり部分の板が反りはじめている。ああこわい。
このジグザグチェアと保育所の木工教室とその他バイクのことが気になり、木曜日は大学の授業があることを一瞬忘れていた。午前中に気付いて慌てて準備をしたが、もう少しデザインについて話をするつもりでいたのが思い付かず結局省略。一人ずつデザインのチェックをし図面を書かせた。
もりもり考えるやつもいたり、適当なやつもいたり、いろいろだった。
学校にいる時は体が勝手に反応し、学生に対して全身全霊で向かう気持ちがあるのに、一瞬でも忘れていたことを申し訳なく感じた。しかし立ち向かうことが僕にとって必要なら、そういう立場が与えられるはずだ。手に入れたいとは何度も願ってきたが、今はそうではない立場が与えられている。それを受け入れるしかない自分を見つめよう。
来週から道具を使い木を加工する。自分で考えた一脚のスツールを自分に対しオーダーする。
作ることは自分の体に命令することだ。
接着完了。硬化を待つ。
明日は摩擦系作業。
以前木工教室をさせていただいた近所の保育所からまたやってほしいと依頼された。
今度は3歳児と4歳児と5歳児の3クラス、を午前中に全部!!おおっ未知の領域、3歳児が増えてる。しかも15人いるクラスだそうで。どうする。
といいつつ、3クラス全部違う内容にしようかとか考えはじめている。
今回人数が多いので、とりあえず木工用ボンドだけ用意していただくようにお願いした。
でも今月って、プ…
いやいや考えない考えない。
ジグザグチェアは一枚一枚の板が、それぞれの面でバチ状に広がったりすぼまったりしている。
多分割の板を仮組み状態でほぼ現物合わせの加工となり、さらに椅子側面のエッジはすべて「さじ面」という加工を施す。これは仕上がり20ミリの板をさらに薄く見せるための装飾。
またこれらは最終接着後の削り合わせで図面寸法に合わせていくという果てしない仕事も待っている。図面にはその細かい側面の角度の取り合いは書き込まれておらず、無視しているというより多分気付かれていない。
すでに仕様で比較すればオリジナルを超えているのは間違いない。
今日はさじ面の加工で一部削り過ぎてしまい明日補修をしなければならない。補修ができるレベルの失敗で終わればいいが、一番心配な接着もいよいよ明日だ。
先日のプロップスフェスティバルのミーティングで、この製作日誌を見ている弟弟子たちにこの仕事をいくらで見積もったのかと聞かれた。
「そんな値段で普通しないですよ、もっと(その倍ぐらい)言わないとだめですよ!」あ、それエバちゃんにも言われた。
そりゃあそれくらい言えればいいけど、その前後の話があって。わかったどっかで回収するよ。
今年もやります Prop’s Festival 9
2013 年 10 月 7 日 by SIGN
それでも無効だと言いますか
2013 年 10 月 7 日 by SIGN
アーシングに関しては賛否両論で、効果があるとかないとかいろんな意見がある。否定派の意見は理論的にはないと言い、肯定派の意見にもアースの取り方やその本数によっては効果があるという曖昧なものもある。
市販パーツにはアーシングキットなる高価なパーツも出ていて、電気系のチューニングとしては一般的に認知されている。
特に古い車体には効果があると言われているので、試しにわがパリダカにもやってみることにした。
材料はホームセンターでアース用の2mmの単芯線と接点を必要分。これだけで、材料費150円。
バッテリーのマイナス端子からシリンダーヘッドとイグニッションコイルへ二本つなぐことにした。三本以上でないと効果はないとか抵抗値の少ないケーブルでないとだめとかいう意見はとりあえず無視。
プラグは前オーナーがイリジウムを入れていたので、さらにその性能を引き出してくれることを願う。
どきどきしながらキック。おっ、始動性が良くなっている。音もパタタタと歯切れがいい。これは期待できる。
早速試運転で走ってみると、かなり体感できるほどトルクが上がっている。やった!
やはり自分で行いその後の変化を確認したのだから、誰が何と言おうとこれは有効なのだ。
思いのほか材料代が安くあがったのでロゴステッカーも一枚購入。ちょっと顔つきも変わった。
角度接合の加工をし仮組みしてみたジグザグチェア。鉄が隠れると確かに妙な感じ。木の板だけではありえない形が美しくもある。
完全に蓋をしてさらにこれから削り込んでいくのだが、完璧にできればかなりいいものになる予感がする。しかしまだそこまでのレベルに仕上げられるか不安だ。不安定な椅子め。
薄く削った板が放っておくと直ぐに反り始めるので、加工する毎に重ねて重りをのせてプレスする。仮組みとすり合わせとプレスをローテーションしてなんとかここまで。それでも残ってしまった反りはまた一晩プレスしてのばしてと、意外と作業は進まない。早く接着してしまいたいのに、ディテールの加工は分解した状態でないとできないので、反りとの戦いはまだまだ続く。
こういった発想はやはり形を考える人間と、それを作る人間が別でないとできない気がする。もちろんオリジナルは一人の作家による作品であるが、その人は歴史に名を残すデザイン界の巨人であるから話は別として、作る人間が考えるとデザインは困難なことは避けるようになるしどんどん合理的になっていく。
また作ることを知らず形を考える人のアイデアというのは形そのものは面白いのだが加工に関する配慮はほぼなく、理想を描くだけ。そしてそれを作る人にどうすればこの形ができるかと相談を持ちかける。作る人はその配慮のなさに苛立ちつつ負けじと挑戦しようとする。なぜなら作る人のほうは自分一人でもデザインして一脚の椅子を作れるからだ。
形を考えるだけの人の椅子はその人だけでは存在し得ない。それを現実の形に作る人が必要なのだ。そして都合のいいことに、そのただの発注であるものが作る人にとっては挑戦状に見えてしまうということ。
オーダーメイドって結局それに近いものがある。
作ったものを売るはずが、売られた喧嘩を買っているのだから儲かるはずがない。
今日は大学の授業の初日だった。奈良畿央大学のデザイン学科一回生。
オリエンテーションと課題説明で多分2時間くらいしゃべっただろうか。僕のこの声としゃべり方だから、うとうとする学生もいたが、結構最後までがんばって聞いてくれた。
今にも居眠りしそうな学生がふっと目を覚ますそのきっかけとなった言葉すらまだ掴めないような、どんな個性を持っているのかもかわからないやつらが20人も目の前にいるということがうれしくて。
担当の先生が学生ひとりずつに僕に名前を言って挨拶をするという、僕なら絶対にしないような時間を作ってくれたのも楽しくて、さっきまで知らない人間が教室にいる違和感に警戒すらしていた連中が急に人なつっこい笑顔を見せたりするのだ。ああ、授業ってやっぱり好きだ。
先生と呼ばれる仕事であっても、授業しかしない非常勤だからこんな事が言えるのかもしれない。だけど、学校っていいな。
課題説明では「この授業は技術の授業ではなくデザインの授業としてするつもりです」と宣言した。15回の授業のうち、デザインに触れるのはあと1回だけだけど、木工の技術指導を通して伝えられることを意識していきたい。
彼等と教室で過ごすのはあと14日しかない。次回急接近。
今日は午後から大学で、10月から始まる授業の打ち合わせだった。
前年度の反省点も含めいろいろと考えていた改善策を担当の先生に伝えた。
15回ある授業のスケジュールと時間配分。課題内容と基本図面の変更。クラスの男女比も50/50にしてもらった。
さあ今年はどんな授業になるか。材料代の回収なるか、はあ。
打ち合わせの後、実習室の片づけと道具のチェックをした。ひとまず問題なし。その作業中に去年の学生が何人か通りかかり声をかけられた。
「湯浅先生やあ、私のこと覚えてる?」覚えてるよ。「なつかしい」おいおい。「あのスツール学校で使ってるんですよ」そうか、まだ壊れてなかったんだな。「なにしてるんですか?」授業の準備。
ということだったので、午前中仕事を早めに切り上げ昼休みは往復1時間コースを走ってきた。
XLは予想以上にいい。
XLRやXRに比べるとパワーや足周りが弱そうに感じていたが、逆にギンギンに走れないところにちゃんと味付けされてるというかバランスを感じる。サスもブレーキもパワーに対して必要十分で、乗り方でカバーできる範囲内。小径リアホイールとショートホイールベースは小気味良い旋回性がある。トルクはもうちょっとほしいけど。
順番でいうとXLRより前なのだから後に出たものが改良版なわけだけど、求めるものが変わってしまったから単純に優劣の比較はできない。XLにはXLの良さがあるんだな。
見た目の優しさもいい。今どきのバイクよりこんな田舎道にはなじむデザインだと思う。
それとキック始動が意外と楽しい。
なんだか忘れてたことを思い出したみたいなちょっとしあわせな感じ。
750+200=250
2013 年 9 月 27 日 by SIGN
来年のダカールラリー参戦に向けてバイクを乗り換えた。
材はオクメマホガニー。鉄のフレームは薄く削った板で両側からはさみ、まったく見えなくなる。まさに骨。
張り合わせて包み込むため、また折れ曲がった部分は角度で接合するので意外と細かくパーツに別れる。
今日はその木取りまで。はたしてうまくいくのかドキドキする。
多分形にするのはなんとかなるだろう。しかし問題は加重がかかった時にどうなるかだ。
接着も鉄と木だから予想がしにくい。まあ、座った時にめしめし言うくらいは我慢してもらいたい。
エバちゃんからフレームができたと連絡があったので行ってきた。
心配だった折れ曲がる部分の強度はばっちりだった。やはり80t以上の力で曲げるのだ、この厚みの鉄板だからか体重をかけてもびくともしない。
しかし、心配なのは曲げてないところ。平面部分は予想以上にしなる。これが仕上がった時にどうなるか予想がつかない。
下手すると座ったとたんに破損ということも十分考えられる。
明日から木部の加工に入るが、失敗は覚悟で挑戦するしかない。それを見越してかエバちゃんはこのフレームを二つ作ってくれていた。もう一つ買い取らなくていいようにがんばろう。
帰ると近所に住む方から見積もりの依頼があった。
履物を作る会社に勤めておられる方で、その商品のパーツを木で作るという。
仕上げまでのことを考えると多分見積もりだけで終わるだろう。
形自体はシンプルな板なのだが、4面カンナ仕上げであるとか手作業になる箇所がどうにも逃げられない。
こういう仕事を受けるかどうかも考えなければ。受けるとしたらいくらかという見積もりを出そうと思う。
写真館の絵を納品してきた。
早速壁にかけてみようということになり、「ここはプロにおまかせします」と言われ壁にヒートンを打ち、かけてみる。
プロ?まいいか。
壁にかかって離れて見るとまた印象が変わる。なんだか素人の絵には見えないのだ。
依頼者のご夫婦からも感嘆の声があがった。絵を見ながらこの絵の説明をあらためて聞くと、この絵を描いている先代の姿が見えたような気がした。
歴史のある写真館を半世紀以上守り続けた先代のおじいさんも、この絵を描いたときはまだお若かっただろう。当時は写真を撮ること自体が高度な技術を必要とした。それを職業にするということは専門技術者としての誇りもあっただろう。
写真は一般的な文化として定着し、スタイルは変われど、その後何十年経ってもいまだに写真館業界は成長をしているのだから、先代には先見性があったと言える。
本当は絵が好きだと言っておられたそうで、それを聞くと頑固で偏屈な写真館のオヤジだったという話と混ざって、この方にあった苦悩を勝手に想像してしまう。
戦後の日本の印象派に影響を受けたような絵をさらっとベニヤ板に描いて、近所の小学生が描いたのだと言いながら家に飾っていたのだという。
その後ずっとしまってあったその絵は、また娘の手によって引っ張り出され、長年過ごされたその店の壁にかけられた。
写真館の絵の額を手直し、というか追加であの箱に額縁を付けることになった。
確かに額縁を付けた箱は額に見える。これでよかったのだ。よくなったのは間違いない。
塗装の乾燥を待って明日あらためて納品に行く。田原本へ。
そう、田原本といえばあのバイク屋にもまた行こうと思っている。
バイクというのは不思議なもので、一台一台に性格のようなものがある。
そのバイクがデザインされる時に考え抜かれるコンセプトは、それをどのように乗るのかを想定した「どのような乗り方をした時に一番気持ちいいか」という価値を生み、そのバイクの個性となる。
数値で表すスペックも一つの要素ではあるが、排気量やパワーだけではその個性は読み切れないし、「気持ち良さ」に関しては乗ってみなければどんな「気持ち良さ」かはわからないし、「どのような乗り方をした時に一番気持ちいいか」もわからない。
そしてその乗り方は限定されるほど「気持ち良さ」の純度は高く、多分設計もピンポイントで攻められるのでやりやすいだろうと思う。
時速300kmの世界、高速コーナーの安定感、繰り返す小旋回をリズミカルに、悪路の走破性、ジャンプ、どこまでも走れそうな長距離巡行性、体の一部となりまるで猫のように壁を登る、低速で散歩気分、荷物満載で旅に出る、停車した街角が絵になる美しさ、加速感、振動、リズム、音。
最近のバイクに名車が少ないのは個性が限定されないからかもしれない。いろんなことができる子は、いろんな場面で役には立つが大事にされない。名車は猛烈に愛され記憶に残り、いずれ捨てられる。
結局自分がどんな「気持ち良さ」が好きなのか、その「乗り方」と絡まって記憶された様々な経験がそのバイクを選ぶ基準となるのだから、自分が今まで乗った時間に裏付けされる自分の感覚を信じるほか誰に教えられることではない。
バイクは出会い。個性は自分で作れるものではなく、与えられるものだからいい。
こういう形に見えない結果が見えない仕事をしていると、いろいろ雑用が舞い込んで、結果何も生み出さないのだけどばたばたと忙しく時間が過ぎる。
以前納品した家具のメンテナンス、小物の加工修理引き取り、そして市民体育祭におけるこの地区の役員をしている僕は綱引き参加者の試合用シューズの買い出しで走り回り、しかしなぜか偶然どれも同じ方角に向かわされるのは何か意味があるように思える。
SIGNの最初の工場があった田原本町というところ。
一度に済めばいいものを、ここ数日何度もそこへ行く用事ができたのだ。
それにしても全部無償の仕事だから寄り道でもしなけりゃやってられないと、昔気になってはいたが移転して行けずじまいだったバイク屋へ立ち寄ることにした。
夜はダーツバーになるというお店は中に入るとほとんどバイク屋ではなく、ショットバーカウンターがありその向こうには酒の瓶が並んでいる。そこにバイクが押し込むように並んでいるから無理矢理「バイク屋です」って言ってるようなもんで、サーファーの店長が短パンサンダルアロハでいらっしゃいなんて言うと「ここは海の家かよ」と思ってしまう。この人ぜんぜん油臭くない。
置いてあるバイクも売れるかどうかではなく、その店長が好きかどうかでチョイスされたもので「自分が欲しいから仕入れた」というものばかり。だけど「うちは仕入れたら早いよ」なぜかすぐ売れてしまうらしい。
なんか夢のような商売だな。
と思って見ていたら、ありました。見てしまいました。いや、これを見にきたんでしょう。それを外に出してもらいエンジンもかけてもらい、またがってみました。ヤバいパターン。
出会わされたとしても、しかしこれかあ。思ってたのと違うけど、さて。
とにかく帰って角材の続きをした。