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SIGNのポリシー、オーダーメイド家具の魅力

あなたと、あなたをとりまく環境を
肖像画を描くように、一つの家具で 描き出す作業
それが、僕が考える オーダーメイド家具の製作です

県意にしたがう


採用が決まったと喜んでいた仕事も実はまだ内定の段階だと知らされた。まだ踏まなければならない手続きがいくつかあり、それが終わって初めて決定の通知を出すのだという。当たり前といえば当たり前であることが、僕としては初めてなので理解していなかった。今までしてきた職業にはそういった手続きはなしで、すぐ来てくれ何なら明日からでも、みたいなことが多かったからだ。この時間の遠回りが勘を鈍らせる。
こいういったこともまた、あえて踏まされている気がする。今までとは違うのだということを知るために。
大学から次年度のことについての返答を急かされていた。訓練校に就職しても続けられるのかということ。以前聞いた話では可能性はあるということだったのでそのつもりでいたが、確認のために採用担当の人に電話してみると答えはNoだった。さらにその仕事の魅力の一つだった、小学校や保育所でのワークショップ講師の件も県は知らないという。
職務専念義務。今までの僕なら話が違うとそれに反発したかもしれないが、そんな気はさらさらない。むしろ法律なんてもので分かりやすく用意されたのだと思う。専念せよと。確かに自分の実績と満足が、否定されたこれら二つの仕事にはあり、去年その類いのものを手放してきたつもりが、次の仕事への衝動の要因であったために残して当然と気にもとめなかった。
それが取り去られると、次の仕事には期待も欲求も予想さえつかず、ただ何も持たない状態で新たに向かうことになる。職場としての内容はわかっていても自分がそこで何をすべきかは、なってみないとわからない。今は必要な手続きをこなしながら、一歩ずつその時に近付いていくしかないのだ。おもしろいなあ。
自分が成功できる道を示して下さいではなく、用いて下さいと祈った結果だから、それらのことにも納得できる。何に専念せよというのかを知る日が楽しみで。県の人には悪いけど。

とりあえず今週はこのテレビラックを仕上げて、木曜日には大学の補習としてSIGNに学生がやってきて、土曜日には写真茶話会RRのオリエンテーション…おっと何を言うかまとまってなかったわあ。

今さら言うのもなんだけど、NHKのBSプレミアムで放送されている「岩合光昭の世界ネコ歩き」がすごすぎる。

2012年から放送が始まり、番組に関しては猫好きの人のほうが欠かさず見ていて詳しいだろうとは思う。ほんとに今さらなんだけど、写真茶話会再開を前にあえて触れておきたい。

僕は特に猫好きというわけでもなく、この番組は猫を見たくて見ているのではなくて、岩合さんのカメラワークのすばらしさをいつも感心しながら見ているのだ。
淡々と流れる30分間の映像のすべてが神技的で、本来見ながら歓声をあげるような番組ではないけれど、その完璧なフレーミングと情報の配置が動画の中で完成されていて、僕はいつもどきどきしながら最後まで見入ってしまう。
よくスナップ写真でも達人はフレームの外まで意識して撮るという話はするが、動画であるためにその作業のライブ映像を見ているかの様だ。完成された構図の中にフレームインする猫、フレームアウトする猫、横切る歩行者、追いかける犬から逃げて塀の上で固まる猫をカメラも追いかけてピタッと決まる完璧な構図。動きながら撮る流し撮りでさえ画面には情報が詰まっている。当然岩合さん一人で撮っているので基本1カメだから、シーンごとのつなぎはあってもほとんど編集なしの回しっぱなし。ワンシーン終わるごとにため息が出てしまう。
テレビの前で家の猫が見入ると言われるこの番組は、猫好きのための猫趣味番組というだけでなく、猫をモチーフとしたドキュメンタリー映像作品でもあるのだ。

今度の写真茶話会RRでは表現方法は自由と宣言したが、これは動画もアリだな。誰か挑戦しないかな。

家具屋に残された時間


去年の夏に納品したテレビラックの続き。お客さんの都合でどうしてももう少し大きくしたいという。それに応えるのもオーダーメイドの仕事。
そもそもオーダーメイドなんてこだわりのあるお客さん相手の仕事だから、仕方がないと言うほかない。せっかく作ったものがもったいないという論理は通じず、お金をかけてでもやりたいと言われればやるしかない。
注文を受けて作るというスタイルでいる限り、これを苦悩と感じれば「オーダー」イコール「命令」であり、お金に対して従うことを受け入れるしかないのだ。
利益の追求が仕事と思える人はそこでも自分の優位性を感じられるだろう。しかしそれに興味のない人間は何をモチベーションとすればいいのか。
お金を払って家具を買う、できれば安くいいものが欲しい。これはお客さんの考え。
作り手としては、技術を売っているという感覚で、お客さんに対する思いこそがサービスだと考える。
このすれ違いはどちらかが妥協しなければ添うことがない。
また、作り手もお金を貰うことで欠けた部分を補っているのも事実。
何かいい方法はないものか。これからはこれについても学生に教えなければならないのに。

この仕事も作る作らないの話し合いで半年かかり、図面も数回書き直し、値段は材料代と経費で労働分は赤字。
こんな仕事だったら公務員が副業にしてても怒られないかもしれない。「専念」って言葉どおりの意味ではなく、お金を稼いだかが問題みたいだから。ああでもそれも僕の感覚とはズレてる。

鹿とタイミング職人


こんなとこです奈良県庁。
建物の向こうは歩道があって車道(4車線)があって、その向こうは奈良公園。もちろん囲いはないし鹿用の横断歩道もない。
だけど、囲いや道はあればあったほうが落ち着くもの。なんでこうなたったの、このあとどうなんの、って。

指導員になるまでに、あと何度ここに通うんだろう。歩きながら、ここがホームグラウンドである自分を想像してみる。非常に難しかったが、新聞社にいたころの自分と少しだけ重なった。ああ、あれか。

指導員になるために指導員免許を取らなくてはならない。採用はすでに決まっているから話が後先になっている。そんな融通のきく、いや良心的なところもあるんだと思った。
そう考えるとこの採用にはかなりアクロバティックなタイミングが作用していた。僕が職業訓練校を卒業してから今年の3月で丸10年で、採用条件として必要とされる実務経験は10年以上だったからほんとにギリギリだったのだ。
来年以降だったらもう少し余裕を持って、免許も取って、技能検定も受けて準備万端で応募できたものを、しかしそれでは遅く今後の募集も多分ないだろう。かといってそれより前だと10年未満の僕には応募する資格も、指導員免許を取る資格もない。
奈良県においての免許の講習がこの時期になったこと。後先のトリックがあるからこそ年度内にすべてが揃うようになっている。
仮にこの3月末を目標地点とすると、さかのぼって僕が師匠に出会ったタイミングさえも噛み合ってくる。

なんだろう、こんなギリギリな奴を採用した真意を今度聞いてみたいと思う。


年末から長野に帰っていて気付いたことがあった。
奈良で感じていた寒さが長野ではあまり感じないということ。気候の違いというより体の仕組みのように思う。
気温で言えば積もった雪が固まらないくらい、はるかに低い温度のはずが、薄着でいても平気で手もかじかむことなくむしろ熱っぽく、雪だるまを作るくらいの作業で汗をかくくらいだった。
順応?
だとすれば体が寒冷地仕様になるにはほとんど時間はかからなかった。

もといた場所の環境から次への変化を想像すると、その変化の量ばかりが目に留まり、そこにあるだろう厳しさにおののいてしまうけど、体はすでに順応する機能を持っている。所詮この世界にあることだ、そのへんはうまくできていて当然ということなのか。

僕の親が言うには、いつもよりあたたかい、とはいえマイナス5度がマイナス2度になった程度なのだが、そこに住む人間が感じる暖かさを僕も感じられる。奈良では2〜3度でがたがた震えているというのに。
価値観まで変化する順応とは不思議。いや、数字にだまされてるのは普段のほうなのかもしれない。
比較される「寒さ」は恐れなくてもよい。


年末年始のモータースポーツといえば、やはりこれ。
2014年1月4日から始まるダカールラリー。とにかく知らない人はいないであろうパリダカールラリーが今は南米を縦断するコースとなり、名称はダカールラリーとなっている。
雄大な砂の大地を2週間にわたって走り続ける世界最大規模のレースである。まさに道なき道、むき出しの地球をそのままレース場としゴールを目指すのだ。
2013年から2輪部門でHRCが復帰参戦し話題を呼んだ。2014年も当然活躍が期待され、KTMや出走台数では最も多いヤマハとの競り合いも楽しみだ。シリル・デプレもヤマハに移籍し、インタビューがYoutubeにアップされていた。

2014年もダカールラリーで始まる。

・オフィシャルサイト
・パリダカ日本事務局
・プロモーション動画

年末プレゼント交換


三重県の亀山にある喫茶店でkojiさんと会って話をしてきた。
以前知り合いの紹介で椅子を作らせていただいてから親しくなり、あちらは三重県こちらは奈良県だけど、関東方面に納品に行く時などに時々立ち寄るようになり、今では僕が勝手に友人だと思っている人。
ただ会うためにこうしてお互いの中間地点で都合を合わせることは初めてで、また話した時間も1時間ほどというのも面白い会い方ではあった。そのためだけに。
お互いの近況に大きな変化があり、でもそれは先日電話でも話したことだったけど、やっぱり会って伝えたいとなぜか思い、会いましょうということになった。
一見無駄とも思えるそんな行動を大切だと感じる感性が好きだ。そしてそれを実行した後の満足感も知っている。
今日はやっぱり会って良かった。
kojiさんには子どもが産まれたこと。そして僕は職業訓練校の指導員の採用が決まったこと。ともに大きな変化がこれから待っていることが確実で、期待とともに新年を迎えることができそうだ。

入った喫茶店の名前はシャロームだった。


これが今年最後の仕事になるか、どうか。
まあ、図面を書いて終わりにしたい気持ちもあるし。待てと言われたこの数日は静かに過ごそう。
昔から12月は嫌いだったが、今年はなんだか穏やかな気持ち。クリスマスもはしゃぐより静かに過ごしたいほうなので、ちょうどよかった。
採用試験の合否通知は26日。

夜、久しぶりにkojiさんと電話で話をした。

新春SIGNの写真茶話会RR43「オリエンテーション」

開催日:2014年1月25日(土) 13:00〜17:00

場所:SIGN

参加費:今回は無料(飲み物、お菓子は持ち寄りで)


今年の5月に最終回をむかえた「SIGNの写真茶話会」。ちまたにある写真教室とは異色の写真講座として、参加された方にはご好評をいただいていました。
写真で作品を作ることによって自己表現と向き合い、今まで気付かなかった自分と出会い、今まで語り得なかった言葉を得て、自分にも伝えるべきものがあることに気付いた時、写真はその人にとって特別な手段となっていきます。
あまりにも日常的に用いられる写真であるからこそ、表現手段としての敷居の低さがあります。
数ある様々な表現手段の中でも、もっとも簡単に短時間で作品制作のほとんどを完了してしまう写真。だからこそ作者の内面が表出しやすいという性質もあります。
そして携帯カメラの性能が上がったとしても、いまだにカメラメーカーは商品開発をしてくれているという道具としての安定感があります。
時代が変わり技術が進歩しても、そこで行われる作業は「記録」から逸れることがありません。作者の「眼」を通した「記録」を情報として読むことが写真を鑑賞する行為であり、それを作者が意識することで伝える喜びが生まれます。それが写真表現です。
「写真の撮り方」、「楽しみ方」をこえた「写真表現」というものを知ってほしいという思いから始めた写真茶話会でした。
しかし思うところあって、常連の参加者の方々の作品が完成する時期を見て一旦閉じることにしました。
僕自身は今でも写真が好きですし、人の写真を見ることが大好きです。目の前で作品が出来上がっていく過程はとても興奮します。ただ自分の満たされない欲求のために続けていくことへの疑問が、閉じようと思った理由でした。
僕はまだ写真で何かをしようと思っていたんです。

あれから時間が経ち、いろんなことがあって、人生におけるかなり大きな出来事もあり、そんな欲も薄れた頃、新たな道が示されました。それに対する答えはまだ出ていませんが、それにかかわらずこの転機に新たな気持ちで写真に向かえるかもしれないという予感がしています。
いろいろなご意見はあるかと思いますが、「SIGNの写真茶話会RR(ダブルアール)」として再開します。

内容は今までの表現講座をふまえつつ、新たなシリーズとして考えていきたいと思っています。
そのテーマは「励まし」。
「表現」という言葉を「人にはたらく」と言い換えて、写真の更なる可能性を探っていきます。
撮り方は自由、撮るものも自由、演出も加工もOKの写真講座です。

今まで参加された方はもちろん、新規の参加者も大いに歓迎します。
今回は「オリエンテーション」ということで、それぞれ持ち寄っていただいた写真からお話を進めていきますので、参加される方は普段撮影されている写真をプリントしてお持ち下さい。枚数は何枚でも結構です。

ご質問や参加を希望される方はメールかお問い合わせフォームでご連絡下さい。

メキシコ


吉良がバハ走ってきたんだって。いいなあ。
その動画


5年めになる大学での授業も、今まで授業中の写真を撮ったことはなかった。ここで話題にすることは多いのになぜだろう、とは思いつつもそんな余裕がなかったのかもしれないし、見せる必要を感じなかったのかもしれない。
自分でも初めて客観的に見る授業風景。うーん机の上が汚い…今度言わなきゃ。いや、それにしてもこれはちょっと面白い。見る人によっては違和感のある光景だと思う。

先日ある用事があって、奈良県の高等技術専門校に行ってきた。そこの家具工芸科の先生が知り合いで、授業をちょっとのぞかせてもらったのだが、広くて清潔な作業場に整然と並んだ木工機械、黙々と作業を進める作業服姿の学生たち、取り組んでいる作品は基礎を超えて応用的なものだった。複数でチームを作り合作を作っている者もいた。
年齢は高卒以上だから、僕が教えている大学生と年齢が近いこともあってか、比較してみるとこれは間違いだらけ探しのようだ。

オリエンテーションの時に「作業しやすい服装で」といってこれだけど、彼等にとっては普段よりずっと地味なはずで、でも写真でこうして見るとこの格好で木工してるって、しかもノミとかシラガキとかマニアックな道具を使ってほぞ穴掘ってるって変だよなあ。
たしかにこの教室を出れば「次の授業○○論」「○○学」とかいってる学生なんだし、そもそも実習なんてこの授業くらいだから、そんな学生生活の一場面で縦引きノコ引いてる時間ってなんだか刺激的な気がする。
今さらながら、視界を広げてみるとこの授業の面白さはそんなところにもあるのだと思った。


好きか嫌いかなら間違いなく


書類を出しに奈良県庁へ行ってきた。
僕のような生き方ではまず行く機会のないところだと思う。ましてや中に入ることなど、さらにエレベーターに乗り目的のある部屋へ向かうことなど、しいてはそこで働く人と話すことなど、絶対にないはずだった。
確かに実行しましたよ。あとは返答を待つのみ。

そういえば前の工場があった場所の大家さんは県庁の人だった。

昼食は針テラスでじんわり


天理市にある小学校で三年生に木工教室をするため、ゲストティーチャーとして招かれた。
毎年呼んでくださる知り合いの先生のクラスで、以前からその子どもたちの様子を聞かされていた。
それは、とても大変だということ。
教室に入らなかったり授業に集中できない子が、特に男子に多く、毎日起こるいくつかのエピソードも聞いていた。
今回ばかりは頼まれてほいほいというわけにはいかなさそうで、当日から一週間前の電話では二つ返事で承諾したものの、いやもしかしたらいつかくるだろうなとは思っていたものの、心の準備をしたほうがいいのか、その場で素直に反応すべきなのかを正直迷っていた。
結局僕が考えた結論は、子どもに対してはエネルギーのやり取りであって、こちらが出し惜しみしたり拒んだりすれば必ずその反応が返ってくるだろうし、初対面で技術のない教師ともいえないものが何かあった時に取り繕えるはずもない。だから、アクセル開け気味でトラクションかけていこうと思った。
なぜこんなことをしなければならないのか、という問いに対する答えさえ用意していた。
何度かこの学校で木工教室をさせていただいているが、多分それらを踏まえてのワークショップの改良点は彼等のためにあったのかもしれない。

結果は…

本当に担任の先生にはこんなこと言うのは申し訳ないんだけど、すごく楽しかった。
二コマ取っていただいた時間中、先生はひやひやするところもあったのだろうと思う。普段の授業とは全然条件が違うので集中できて当たり前だし、一度きりの先生なんて立場もずるいと思う。だけど、ほんとに楽しかった。
ちゃんと話も聞いてくれたし、作業のデモンストレーションものり出して見てくれたし、それにツッコミも入れてくれたし、質問もいっぱいしてくれたからたくさんしゃべった。
作品もさすが幼児と違ってスケールが大きくてまた緻密なものがあり、集中できない子たちが協力して合作を作っていたり。みんなそれぞれアイデアがあって面白かった。
徘徊していて途中から図工室に入ってきた子が結局みんなが教室に戻ってからも、僕が作品の写真を撮ったり片づけ終わる一番最後まで図工室にいて、僕が帰りに校長室で校長先生とお話しているところをのぞきに来たり、その子と一緒に最後までやってたちょっと内向的な子が帰り際に玄関まで一人で見送りに来てくれて、「ありがとうございました」って言ってくれたのだ。

そんな短時間で何言ってやがるって。そんなもんじゃないぜって言われるのはわかっているけど、でも言いたい。みんなと会えてよかったなあ。



その授業の後、材料を積んだまま長野へ向かった。
妹が出産のために里帰りしているので様子を見に。
その日あったことを話し、やってみようということになり、大人の木工教室をしてみた。
妹の動物もかわいいが、じじばばもなかなかやるではないか。


結局これだけ作ってしまった。
というかもっと作りたかったけど、大学の授業があるのでここまでしかできなかった。
明日は午前中に小学校で木工教室をした後、その足で長野に向かう。その荷物もサンバーに積み込んだ。


ちょっとおねがい、で頼まれた丸い板10枚。を半日で仕上げ、こないだの製作日誌を見た神戸の小学校の先生から例のタグを頼まれ20枚作った。
最近家具屋らしいことしてないね。それ以外のことでやるべきことがいろいろあって。
だけど保育所も大学も僕にとってはやりたい仕事でもあるし、今度の金曜には毎年お世話になっている天理の小学校で木工教室をすることになっている。
はたから見たら講師で食ってるように見えるだろう。少しずつそういうスタイルが定着してきているのかもしれないが、それは僕自身がこの状況を受け入れるからで、けっしてそれだけで食べていけるわけではない。
本来なら本業で家具の仕事をして、講師をするなら写真でできればとずっと思っていたけど、そういう考えを捨てたとたん今の奉仕活動のような状況が面白くなってきた。
本当にそれで食べていく方法はない?
実はそのために今少し動いている。また、5月に閉じた写真茶話会も来月から再開するつもり。もちろん家具も作る。

何もしてないようだけどこれからは結構タイト。
あ、週末長野に行くんだった。

後回しにするから面倒なのだ


ちょっと用事があって大阪芸大へ行ってきた。キャンパスを歩きながら、そこで自分が演じている役どころを見つめていた。
学生、OB、講師、歩きながら意識して演じている。小心者め。
この舞台に立つ現役の役者である学生たちから見ればエキストラであって、彼等の邪魔をしないように、異物と見られないように、背景に順応するように何かを演じている自分がおかしい。いったい何のために。
僕がここを大手を振って歩いていたのは20年以上前のこと。
その当時から20年前といえばビートルズやストーンズもバリバリの現役で、ジムモリソンやジミヘンだって生きていた。
そう考えるとあの頃は20年前とはものすごく過去のことのように思っていたのに、今こうして歩いているとあの頃との時間のギャップをあまり感じないのはなぜか。
今踏み出す一歩が、あの時ここで立ち止まった次の瞬間の一歩であるかのような錯覚、いやまさにそうなんだろう。
その用事というのは、僕がかつてここでしなかった、大学生としては当たり前の手続きをするためだったから。
その部屋に入るまでは演じきれていたものを、そこでは正体を明かさねばならず、きっと彼等も驚いていたに違いない。
僕だって今さらこんなことをするなんて思ってもみなかった。要求されて初めて気付いた。これが必要な手続きならば、えらく遠回りしたもんだ。

帰りに情報センターの地下でブレッソン展をやっていた。貴重なオリジナルコレクションも、こう何度も見せられるとありがたみがない。構成もおかしいし、多分キュレーターゼミの学生が研究課題でやってるんだろう。もっと大事にしてほしいね。


そしてその足でもうひとつの学校へ。そこは学校というより病院みたいなところだった。
ものすごく広くてきれいな建物なのに人がほとんどいない。駐車している車の台数分だとすると多分30人もいない。
大阪府の一番南の高等技術専門校。僕が卒業した学校が廃校になったので、過去の学籍情報などはここに移ったらしい。
なんにしても、スタートラインに立つまでにこんなに面倒だと、一緒に並ぶ人はどんな人か興味が湧いてくる。
過去に手続きを踏んでいる人は、そう苦にならないのかもしれないが。


motoGPの2013シーズンが終わった。ずっとYoutubeで観戦していたが、今年は面白かったなあ。
チャンピオンは史上最年少記録更新で若干20歳のマルク・マルケス。若さ溢れる走りでめちゃめちゃ速かった。よくこけてたけど。
応援していたロレンソは最終戦で勝てば優勝だったけど2位。芸術的な走りのロレンソもマルケスとのバトルはすごかった。
大好きなロッシも一勝したしね。

とにかく動画の質が高くなってきて、数分の尺でもかなり楽しめた。


Rewind 2013 motoGP Wold Championship

これ見てー


保育所から子どもたちがやってきた。心配していた天気も午前中はおだやかで、日なたはぽかぽかと暖かかった。
遠くから声が聞こえてきて工場(こうば)の外に出てみると、向かいの林道を歩く姿が見えた。見ているとこちらに気付いた子が手を振って大きな声で挨拶をしてくれた。僕も手を振り返す。

到着するとやはり40人はにぎやかだ。だけど一人一人が小さいので工場の前に先生が並ばせると意外とコンパクトに収まっていた。かわいい。まさかSIGNでこんな光景が見られるとは思ってもみなかった。
挨拶をし、とにかく準備していたプログラムを進めていった。
まず工場の前のスロープで、入ってきた子どもに一人一枚ずつ昨日作ったタグを渡していく。
「これは今日の見学の切符だよ」といって白いのと茶色いのの好きな方を選んでもらった。大きさはちょうど電車の切符くらいでパンチのような穴が空いているからいいかなと思ったら先生が、「みんなきっぷってしってる?」
あ、そうか、はは。まあいいや。「それ最後までなくさないようにしてね」とそれはそこまでの話にしておいて、見学の授業スタートだ。
まずは山の木を見上げ、その木と今渡したタグが同じものかどうか尋ねてみる。
「ちがーう」「おんなじー」
瞬間的に答える子は違うと言い、考えてから答える子は同じと言う意見が多かった。
そこでクヌギの丸太を見せて、あの木を間近で見せる。よく見ると円柱でもなく曲がっていて、ごつごつ、ざらざら。
次に製材されたナラの板を見せる。長さは3mくらい。ちょっとタグに似てきたかな、と思わせといてその板を立ててみる。僕の身長よりずっと高い。その板はもとは地面から生えていた木だったのを切って縦に割ったものだと説明すると「わあ」と声が上がる。

「さあここからが僕の仕事です」と工場を案内するのだが、全員は無理なのでひとクラスごとに入ってもらうことにした。待っている子にはサンドペーパーを一枚ずつ渡し、タグをつるつるになるまで磨いておくように手順を説明しておいた。
ひとクラスずつ全部で三回、工場にある機械や道具類を説明し作業台に並べた完成品を触ってもらう。
あの木から一つの家具を作るのに、たくさんの道具を使うということだけ伝わればいいやと思ってしゃべった。
常に誰かに話しかけられながら受け答えしつつしゃべったので、伝わったかどうかはわからないが、みんな初めて見る道具に興味津々だった。それでいいや、時間もなんとなくぴったりおさまった。

で、外に出てみると、驚いた。なんとみんな夢中でごしごししているではないか。
僕が出ていくとみんなが自分のを見てくれと押し寄せてきた。「つるつるになったー」「かどまるめた、みてー」と相当気に入っている様子。へえこんなにハマるとは。
先生たちも驚いていた。
もちろんいろんな条件が重なってのことだと思う。あの木工教室があり、ここまでのハイキングがあり、天気のいい屋外であり、集団であり、年代も。僕の説明もちょっとは効果があったかな?
しかし、夕方に先生からお礼と「きっぷ」の反応の良さをあらためて聞かせていただいた。帰ってからもごしごしやってる子がいて一時ブームになったようだ。
うーんこれは収穫だな。単純だけど、仕事をすることによってものの質が上がるという経験は確かに彼等にとっては初めてかもしれない。作る授業はするけれど。


帰り際の挨拶をした時に、年長さんがプレゼントをくれた。

みんなを見送った後、うれしくなってなんだか走りたい気分になり、3時間ほど山を走った。

こどもたちがやってくる


明日、保育所で木工教室をした子どもたちがSIGNにやってくる。
ハイキングもかねた施設見学ということで保育所の先生から相談を受けた。
こちらは全然かまわないのだけれど、保育所からSIGNまでずっと坂道だし往復で3km以上ある。
帰りに途中の公園でお弁当を食べて、と言っておられたが、明日は寒いというし大丈夫かな。雨降らないかな。などなど、子どもたちが心配で。
しかし頑張って歩いてきてくれるのだから、たとえ見学でも楽しんでもらおうと準備をした。
先日ヨシダの写真を見るために掃除はしてあったので、とりあえず工場(こうば)はきれい。
作業台にはサンプルを並べておいた。
SIGNから見える雑木の山を見上げて木の話をし、それがこれらの家具になるまでを機械や道具を見てもらいながら簡単にごくごく簡単に説明しようと思う。幼児相手の講義は以前すべりまくった経験があるので注意せねば。
それと、幼児とはいえ40人以上もいっぺんにうちの工場には入れないので、どうしても待ち時間ができる。そこでベリーショート木工体験としてこんな木のタグを用意してみた。
材はメイプルとウォールナット。メイプルにはちゃんとトラ杢が出ている。
これをサンドペーパーでごしごし磨くだけ。持ったままできるので作業台いらず。
磨けば手触りが変わることや、角を削って丸くする子もいるかなあ。とにかくやりたいだけやってもらって完成。穴を空けてその穴も面取りしておいたので、そこにひもを通してもらえばタグとして鞄にぶら下げられる。
名前を書いてもいいし。
みんなの鞄にこいつがぶら下がってるのを想像しながら、おじさんもがんばってみた。

よかったよかった


専門学校時代の教え子であるヨシダが写真を見てほしいと訪ねてきた。
ちょうど今日から近くの保育所で例の木工教室の作品が展示されていたので、二人でうどんを食べた後見に行くことにした。
ずらりと並ぶ力作たちにヨシダも驚いていたようだった。「感動しました!ほかでもやったらいいのに」
というのは、この作品をギャラリーなど公の場で展示して多くの人に見てもらえばいい。
というのと、
この木工教室をほかでもどんどんやるべき、という意味があった。
ほかで展示できるかというのは保育所のやる気次第で、これらが誰の作品かというスタンスは守られなければならないから意外と難しいかも。それにここで見るから良く見えるということもあるしね。
また材料を本業で出る端材に頼っているという点で数をこなすのには限界があり、また一から材料を作っていたらめちゃくちゃお金がかかってしまうのでどこもさせてくれないと思う。ずっと無料でしてたら俺死ぬ。
つまりバランスで成り立っている木工教室なのだ。

工場(こうば)に戻る車中で、「すごいやろ」「すごいです」「すごいやろ」「すごいです」


ヨシダが見せにきた写真というのは、この7年間に撮影した写真を一冊のポートフォリオにしたいというものだった。写真家としての活動をあまりしなくなってから5年くらい?また作品を作ろうと思ったきっかけは、来年オランダで活躍しているあるアーティストに作品を見せるチャンスができたこと。それが次の展開への手がかりになれば、そう思っていると色々とまわりでも動きだし、自分がまた作品を作るということにわくわく楽しくなってきたという。
調子に乗ってヨシダはそのオランダへ行った足でアイスランドまで行き、大好きなミュージシャンにそのポートフォリオを渡すのだという。(ほんまに?)
で、その編集を手伝って欲しいということだった。
編集の前にいろいろアドバイスはしたが、結局作業のほとんどは自分でやっていた。
僕は最後の仕上げだけちょこっと手を加えただけだった。
ポートフォリオというより写真集として鑑賞できるものになり、これがヨシダの復帰デビュー戦だと思うとなんだかかっこいい作品となった。

SIGNは場所を貸しただけ。

保育所の作品展

先日木工教室をさせていただいた保育所で作品展が開かれたので見に行ってきた。
授業で制作した作品すべてがずらっと並ぶと、あらためてそのすごさに感動してしまった。
小さな画像ではあるがその全作品をご紹介しようと思う。
お近くの方は期間中にぜひ実物を見に行っていただきたい。
12日(火)18:30まで。※土日は休み









音楽家、虹出せます


旅の音楽家 丸山祐一郎さんと こやまはるこさんが奈良に来るということで会いにいってきた。
一年のほとんどを旅をしながら演奏活動されているので、ほんとにたまにしか会うことはできない。
新潟の震災の時に被災地へ一緒にボランティアに行った時から親しくさせていただいているが、以来僕はそういった活動はしていないし音楽もできないのに、丸山さんからたまに連絡をくださり、関西を通過する時にタイミングが合うと会って話をする。
丸山さんがどんな人か検索すれば多分全国各地で演奏された記事がヒットするはずで、つまり日本全国に親しいお友達や定期的に演奏を依頼する人たちがいるだろうに、僕みたいななんの協力もできない者にどうしてと思う。
だけど会って話をするといつも不思議な気持ちになる。何かをもらった、というか、確信した、というか、言葉に表現しづらい感覚。以前にも書いたが、丸山さんのような人が生きているというだけでこの世界を愛せる、愛していいんだと思える、そんな感じ。
そしてその感覚は温泉に入った後のようにぼんやりと体に余韻が残る。
丸山さん自身はただ好きなように生きているんだと思うけど、確かに神様は丸山さんに何かを見せようとしている気がする。でなければ、壊れた蛇口のように日常にこんなに奇跡が溢れかえることなんてないだろう。

パートナーである はるこさんの存在も大きいと思う。どんな旅であっても誰に尊敬されようとも、それを肯定できる人はたった一人。どんな旅でもどんな時でも一緒に行くという行動以上の肯定はないから。

写真は太陽と月。針テラスにて。

「明日は雨」


前日、午前中に用事があり午後から会場に向かうとほとんど準備ができていた。
仲間たちはすでに朝から集まり作業をしていたようだった。なんとなく申し訳ない。

当日の天気は一週間前から雨の予報が出ていた。いつか変わらないかとずっと見ていたが、天気図の様子からはどうにも前線があってそれは避けられないようだった。
めちゃくちゃな雨が降らない限り必ず開催する。それはみんな共通の思いだったと思う。師匠の永田さんをはじめほとんどの参加者は本業を持ち、イベントだけで食っている者はなく、これのために割いた時間や労力を思うとやらないわけにはいかなかった。むしろ「やってしまいたい」という気持ちもどこかにあったのではないか。
プロップスフェスティバルも9回目をむかえ、永田さんが以前話していた10回目でひと区切りにする、ということからも今年はつまりラス前だということ。ものを売ることよりも自分達が楽しむためにやっているイベントだからこそ、残りの2回を存分に楽しみたい。

そんなプライベート感満載のイベントだから、意外なところにものすごく力が入っていたりする。
今回のライブステージは雨対策として初の屋根付きで、大工をしているメンバーの腕の見せ所だった。
なんだか野外フェスっぽい雰囲気が出てきて気分が盛り上がる。

当日は朝から小雨が降り始め、時折やむこともあったが弱い雨がほぼ一日降っていた。
会場中央にタープを張り、雨の中でのライブ。今回アコースティックピアノもあってライブの内容も充実していた。
ステージわきでPAもしながらMCをつとめた僕も、店番するよりそっちのほうが楽しくて、ほとんどステージのそばにいた。
おかげで売り上げは出店料と飯代くらいにしかならなかったけど。
マイクを通した僕の声が「ええ声」だと、知らない人にも声をかけられ喜んでいいのやら。昔マイクを使って授業をしていたのでなんとなくその癖が出ているのかもしれないな。そうか、声やしゃべりで稼いでた時期もあったんだなあ。

ライブでちょっとうれしかったのが、今回永田さんの実の息子たちが仲間を引き連れてバンドで出演したことだった。
やっぱり9年も経つと成長するもので、彼等ももう20代後半でいろいろ社会に揉まれていたりして、また音楽のほうもちょっと上手くなってて面白かった。荒削りなロックに僕もステージわきでノリノリだった。
このイベントの初期の頃、いろんなつてでゲストを呼んでライブをやりながら「いつか身内だけで全部できたらいいね」と話していたのだ。スタッフが楽しむためにやってるイベントなんだから、ステージに立つ楽しみも自分達で味わえればもっと楽しいはずと。
なんだかそれが叶ったようでうれしかった。

二日目は朝の曇りから次第に晴れていき、昼頃には快晴、そしてまた曇りはじめ昼過ぎにまた強く降りだした。
その降り始めがちょうど「永田ファミリーバンド」の最後の曲で、師匠の永田さんも飛び入りでマイクに向かい一緒に歌っていた時だった。会場はまさに雨の野外ロックフェスの様相で、出演者と僕はそれでかなり盛り上がっていたのだが、お客さんたちはみるみるステージ前から出店ブースの屋根の下に避難していった。
そして曲終わりで晴れた時にはずしたタープをまた急いで張る。
「この光景を忘れることはないでしょう」と歌った後のあいさつで語る永田さんの想いは、なんだかこの9年を振り返っているようにも聞こえた。

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