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SIGNのポリシー、オーダーメイド家具の魅力

あなたと、あなたをとりまく環境を
肖像画を描くように、一つの家具で 描き出す作業
それが、僕が考える オーダーメイド家具の製作です

あんずの椅子
汚れを落としてみると、それまで気にならなかった傷や塗装の剥がれが目立ってきた。今回はそういうものをあえて補修せずに残していこうと思う。
もともとの塗装はなんだかペラペラの着色のみのようだった。トップコートの痕跡がないのだ。アンティーク風に見せるためか、わざとすり切れやすくしているみたいだ。
そういうことならと、この着色層に直接ワックスを塗り込んでいくことにした。長年手入れしながら使い込まれた椅子のように、ヘタりながらも輝きがある感じになればいいな。

ワックスを塗りながら、この椅子の細部が見えてくる。
量産品でありながら、手仕事の痕がうかがえる。そういう時代のものか。デザイナーの意に反して職人の手の荒さが目立っていた。この仕事は日本製ではない。素人が作ったにしては手の抜きどころを心得ている。きっと手間賃が安いんだ。

座面もビニールレザー用のワックスクリーナーで磨き上げた。ビニールレザーもここまで使い込むと、テクスチャーがすり切れて、ツルツル。この光沢はある意味魅力的に思える。これは張り替えたらもったいない。台座に乗った宝石ちゃん。

あんずのいす
シェルフの注文をいただいている美容室から、古い椅子を預かってきた。
いただきものらしいのだが、少し汚れており、座面のレザーも2箇所小さな穴があいていた。多少すれた感じで塗装もはげている部分があり、それらを削り取って再塗装し、座面も張り替えできないかという相談だった。
しかし、いただきものだけに、自分が気に入っていて絶対に必要というものでもなく、きれいになるなら店で使おうかということ。さらにこれにかかる金額的にもあまり出せるものでもない。
ほかのお客さんにもよく誤解されがちだが、修理というと安く思われる事が多い。たとえ修理でも本気でやったら一脚買えるぐらいの値段になってしまう。それでも使いたいという気持ちがあるかどうかなのだ。
もちろん修理専門でやってるところはあるけど、それはひと月にこなす量が多く、またそんな仕事を斡旋してくれる業者とつながっていたりするので安い。
僕がこれをやる意味は、お客さんとの関係とその想いにつきる。

座面を外し、水をつけたブラシとウエスで洗い上げた。ほこりやカビやそのほかの汚れでたちまちバケツの水はどろどろになった。そんなに汚れているようには見えなかったし、洗った後もそんなにきれいになったようにも見えないのに。
しかし表面の汚れは落としても、刻まれた時間は落としたくはない。それは僕が作る家具への想いもある。家具にはやはり、使い続けられた時間の蓄積が風格になっていく素質が必要だと思う。そういうものを作りたいと思う。

作業をしながら、その美容室に納めるシェルフのことを考えていた。
クリスチャンの友人の食卓のデザインが振り出しに戻ったので、先に次の仕事をこなそうと思ったら、なかなかこちらも難しい話になってきて、今、四六時中妄想にふけっている状態なのだ。
オープンシェルフで何が難しいの?と思われるかもしれない。そうではない、それだけではないのだ。
僕のオーダーメイドは依頼者の肖像画だと偉そうなことを言ってきたが、今回はとんでもないことになっている。この世にいない、存在したこともない、しかし依頼者と共に生きている人を描かなくてはならなくなった。
このごろ、僕の仕事は。

鼓から算盤、そしてサイン

今日記念的な出来事があった。
シェルフのデザインを完成させるべく、図面とスケッチに鉛筆と消しゴムで格闘していた時、今回のシェルフの象徴的なある部分の形を考えていたら、”降りてきた”。
以前から構想中のオリジナル家具のデザインに使おうと思っていた、SIGNのシンボルデザインとなる”形”が、はっきりと目の前に現れたのだ。
こんな書き方じゃ何のことだかさっぱり伝わらないだろうが、これはすごく重要なことなのだ。
おぼろげに頭の中でイメージしていたものが、自分のスケッチから浮かび上がってくる感動、衝撃。それは物づくりをする者なら誰もが待ち望む瞬間だ。
誰かの手を借りることなく、自分で手を突っ込んで引き出すことの難しさは、産みの苦しみと言ってもよいだろう。
たかが落書きのような、しかもたった3センチ四方の小さなスケッチに、木工家人生をかけて挑む目標が見えた気がした。

うちで木工教室を受けたいという奇特な人がいて、午前中、その打ち合わせでその人の実家のある桜井市へ行ってきた。
その家の倉庫に15年ほど前に購入したという立派な一枚板が置いてあって、それをテーブルの天板に仕上げたいという。
前に、楠一枚板の天板を作る過程を製作日誌に書いていたのを読んで思い立ったらしい。
今日はそれを一度見て欲しいということで伺ったわけだ。

さて、ここからがややこしい。
この人、実は僕の大学時代の探検部の後輩の旦那さんで、その後輩と同期の後輩が木工仲間の名嘉眞君と知り合いで、その二人共々家族連れでプロップスフェスティバルを訪ねてくれた時に20年ぶりくらいに再会し、その後旦那さんは何度かSIGNにも来てくれて、今回こういうことになったのだが、なんと今では僕より探検部OBたちと親しくされており、定期的にキャンプ等をしているそうだ。
そして、今回テーブルを作ることになったのは、僕の師匠の永田さんがこないだテーブルなどを納めた蕎麦屋さんの店の設計をした設計事務所に、最近購入した家の設計を偶然依頼していて、その新しい家に入れるためのテーブルを自分で作りたいからだという。
さらに、そのさっきの同期の後輩は現在横浜に住んでいるのだが、なぜか奈良の大和郡山のとあるカフェと親密なつながりがあり、そこの奥さんに彼女の描く絵が気に入られ、勧められ、風草木のjunpei君と近々コラボ展をするらしい。と、名前はよく聞くものの今までなぜか行けてなかった、桜井市のマジックマレットでカレーランチをごちそうになりながら教えていただいた。

工場に帰って来て気がつけば3時前で、そういえば昔あるNPOでお世話になった方が管理しているギャラリーがSIGNから歩いて行ける距離のところにあり、そこで今、風草木のjunpei君が陶芸家の人とコラボ展やってるのをさっきの話で思い出し、行ってみた。
じっくり作品を見た後、カフェでのコラボ展のことを聞いてみたら、確かにやるそうだ。その彼女は探検部の後輩だと言うと、junpei君は驚いていた。

時間とか距離とかを、あまりにもぐちゃぐちゃに飛び越えてつながれている節操のなさ。いい加減誰かに怒られそうだ。

あんずシェルフ・図面
例の食卓のデザインが、白紙の振り出しに戻った。
少し聖書を読んで勉強したつもりでいたのだが、やはり信仰の壁が越えられず、これまで最大の手がかりと考えていたダヴィンチがNGとなり、もう一度、大工のイエスから再出発しようと思う。
あるクリスチャンの友人が言うには、聖書は自分が読みたいように読んではいけないという、そこには明白な文脈があり、自分の都合のいいように解釈してはいけないという。
キリスト教という宗教は、聖書のいろんな解釈を生み出し、それによって宗派や異端が多く存在し、その中にダヴィンチもいた。さらに聖書学者や宗教学者、歴史学者に果ては小説家や芸術家、科学者までもが色んなことを好き放題言っている。信仰のあるなしにかかわらず。
イエスの教えを象徴するもののひとつとして、パン種を入れないパンがある。
僕と依頼者との間に、何も混ざってはいけないということ。分かっている、今までもずっとそうしてきたし、それに立ち返るだけだ。
スタートはゼロから。あらためてここから眺めると、ゴールは遥か、遠いなあ。

というわけで、これの次の仕事を先にすることにし、今日は図面にとりかかった。そちらのお客さんだって随分お待たせなのだ。

予想を超えるできばえに

聴こえてくるもの
写真茶話会に続けて参加されている、硬派銀じ郎さんの写真集が完成した。
SIGNの写真茶話会、第一号写真集。
自分のテーマを探り、写真集を作るのを目標にしている茶話会としても、やっと形になった感じ。
これからはこれを目標にがんばっていける。早速茶話会11でも教材として使わせていただいた。
次回5月の遠足でも、浅田に見せて感想を聞いてみたい。
自分の作品のように嬉しいこの感覚は、教えるエネルギーになっていく。
思わず顔がにやけてしまう。

賢人パズル
昨日知り合いの小学校の先生から、「こんなのできる?」という電話があった。
電話の内容ではイメージがしにくく、でも作業からすれば簡単そうだったので、「すぐできると思います」と返事をし、昼飯代で請け負った。

近頃こういった飛び込みの仕事をすぐ受けてしまうのは、考える作業ばっかりで、体を動かす作業に飢えてきているのかもしれない。
今日なんかこのキューブの精度が誤差0.05ミリ以内で、ぱぱぱっと50個以上作れた時の気持ち良さにはゾクゾクした。(がんばれ町工ーー場みたい)
なにしろこのパズルのキモは精度。どの方向から組み合わせてもびしっとしていないと、面白さは半減してしまう。

名前は「賢人パズル」という。
古代ギリシャ時代に生まれたものらしく、今では知育玩具として、図形認識や空間認識のトレーニングに用いられたりする。
対象年齢は三歳以上とあるが、なめてかかると大人でもなかなか解けない難しさだ。
そしてこれの面白いところは、何十種類もある解答の中からどれを完成させたか、早さや行動パターンを観察することで、その人の特性がいろいろ分かってくるということ。僕は専門家じゃないからよく分からないけど、言葉でのコミュニケーションが苦手な子どものことを知る手がかりになるのかもしれない。
これを注文した先生の話では、軽度発達障害を持つ子どものクラスで使うのだと言っていた。

木のおもちゃなんて作りたいとは思わないけど、これはまた作ってみたいと思った。

午前中にベンチのワックス塗装を終え、乾燥中。
先日カメラマンの松野さんから連絡が入り、今日、二人の共通の知り合いであるLeeさんを連れてSIGNを訪ねるという事だった。
僕が一番年下だけど、このまったく境遇の違う三人には、この人生の中でまさに一点とも言える交わりの時期があり、それ以来、付き合いはもう10年以上になる。
5年ほど前に開業したLeeさんの店に、家具を納めた事があった。そのLeeさんのためにデザインしたイージーチェアも作った事がある。しかしその後お互いにそれぞれの道を行き、それに没頭し、交流はほとんどなかった。
僕が工場を移転した時に少し電話で話をした。「すごくいいところですよ」そう言うと、「いつか行ってみたい」とLeeさんは言った。それから数年たち、やっと来る機会ができたのだ。それはLeeさんにとって今、ひとつの転機であるということ、それに際し三人で会っておきたいという気持ちがあったからだろう。
僕に対して、いつも姉のように接して話すのが煙たいこともあったが、僕が一番苦しかった時期を知る唯一の友人である。
4月からまた学校に通うという。

「あなたは、鉱物を貯え産み出す広大な山だけれど、木も生えていなくて小川すら流れていない、もちろん獣も住んでいない山なのよ。しかしその鉱物目当てで人は集まってくるけれど。」
なんかすごく厳しいこと言われた気がする。

落語のような生活感の無さ

杉の子ども用ベンチ
東京学芸大附属幼稚園へ納品する「杉の子ども用ベンチ」。注文は1脚だが、材料の取りや今回のコストを考えて2脚作った。
ひとつは在庫として置いておこうと思って。売れるかどうか分からないけど、カラーワックスで着色してひと手間掛けた。

現在オーダーメイドしかやっていないから、基本的に在庫というのはうちにはない。時々イベントに出展しないかというお誘いもあったりするが、それのために作ってる余裕がいつもなくて、お断りする事が多い。
このホームページの在庫情報なるページにも、売れ残りのカホンしか上げてないのも、家具屋のサイトとしては商売っけなしだし、一体何で食ってるのか自分でも不思議だ。
このベンチを作るのに材料を仕入れに行った材木屋さんに、モロ「食べてますか?」と聞かれたり、「その車、買った値段で買いますよ」なんて言われたり。

ええい、今年はオリジナル作って本当のSIGNはこうだというのを見せてやる。
フルオーダーも絶対にやめないぞ、うりゃ。

飛び込みの仕事が入ったので、進行中の仕事の手を少し止めて、今日は朝から作業をしていた。
以前、ある幼稚園のために作った「杉の子ども用ベンチ」を今年度中に一脚だけ欲しいという依頼だった。
それがまた東京のとある幼稚園の先生からの注文だったので、同じ単価でいいですよと言ってしまい、それをどうにか元を取るために、もう一脚同時に作っている。
ああ、つい。
こういう時、誰か代わりに販売やってくれないかと思う。

それでも久しぶりの作業だったので、なんだか気持ち良くて、すいすい丸ノコで木取りしていると、昼前くらいにメールが入った。僕の写真学校時代の教え子からだった。
最近やけにそういうのが多いな。いい話も良くないのもあるが、みんな義理堅いというか、ほかに相談する人いないのかよ。
僕が紹介したスタジオを辞めたという。ゆっくり僕と話をしたいから行ってもいいかと。
すぐ来いと返信。ああまた、つい。

多分同業者から見れば、どう見ても、まじめに商売しているようには見えないんだろうな。

製作日誌はこの記事の下にあります。

さてさて新年度、新たなスタート。
SIGNの写真茶話会11を開催します。
4月3日(土)
10:00〜12:00 基礎講座 (定員7名)
13:00〜17:00 表現講座 (定員7名)現在予約6名

写真茶話会ってなに?という方は「教室のご案内」をごらんください。
今回の内容は、Yuasa Brand Milkでも発表しています。
お問い合わせ、参加予約はメールにてお願いします。sign.norioyuasa@gmail.comまで。

家族の食卓を作るのだ

今とりかかっている仕事の打ち合わせに、依頼者である友人が三重からはるばるSIGNへ訪ねてくれた。
午前中に到着し、結局夕飯まで一緒に食べながら、一日それについて話し合った。
作るほうも作るほうなら、それに付きあう客も客だ。
僕は木工家で家具屋で、何かの書類の業種欄には「製造業」と書いているのに、それが何かの冗談か、何かを偽ってごまかしている気さえしてくる。

こんな地の果て、奈良のど田舎の小さな家具屋が、ダヴィンチに挑もうとしている。あの小説さえも引っくり返す仮説を僕らは打ち立てた。

走って脚でデザインする

こないだの土曜日は、例のクリスチャンの友人の依頼の打ち合わせで、三重県桑名市まで行ってきた。

この話が始まってから、何を作るかもしっかりと決まっていなくて、ただ時間が過ぎていき、それさえも聖書の中から読み解いていこうという途方もない話だった。
今回の打ち合わせに際して、ある程度は知識としてイエスの事を知っておかねばならず、この一ヶ月ほど時間を見つけては聖書を読んでいた。しかし、信仰という基盤がなければ、なんと読みにくい本なのだろう。何度も立ち止まり、なかなか進まない。
そんな中にも、おぼろげにいくつかのキーワードが浮かび上がってきた。とりあえずはそれを相手にぶつけてみるしかなかった。

聖書の中にはほとんど、もちろん家具に関する話などは出てこない。
それでも今回の打ち合わせで、お互いに用意した言葉には不思議と整合するものがあった。
「食卓」
とにかくその手がかりが掴めただけで、やみくもに手探りしている状態からは脱出できたと思う。ここからは、それがどういうものであるかを、ひとつずつ決めていく作業になっていく。
手がかりとしての言葉が、見えなかった部分に光を当てるように形になっていく過程は、SIGNにおけるデザインの醍醐味だ。

その少しずつ見えてきた形、構造に関して、大工の友人である中島君に聞きたい事があったので、大阪で仕事中の彼をつかまえて話をしてきた。
構造についてはもちろん、今日の話でなんとなくいけそうな感触があった。そして、大工の中でも彼を選んだ理由は他にあって、そっちの方でもかなり大きな収穫があった。
「目標として同じものを見ているならば、今あるものを捨てて別の道を行く事に抵抗はない」
今回の仕事において重要なキーワードになる予感がする。
僕は彼の口から、こういう言葉を引き出せる数少ない友人ではないだろうか。

丁子恵美 ガラスアート
素材であれ、手法であれ、僕は、それによってしか作れないものを作っているだろうか。
そんなことを考えながら、目の前のガラス作品を眺めていた。

以前作らせていただいた、あの泣ける募金箱の仕事を振っていただいた、ガラス作家の丁子恵美さんが、奈良市学園前で個展をされていたので観にいってきた。
少し煮詰まってきたこの頭をクールダウンしたくて、また違った刺激を受けたくて。

ものづくりをする者として人の作品を見る場合、どうしてもひねくれてしまい、その形になるまでに作家がどれだけ考えたか、試行錯誤をしてここに至ったかを読もうとしてしまう。僕はその時、第一印象や”パッと見”の感動が、できるだけ早く流れ去っていってくれるのを待つ。
丁子さんの作品は、今までに見たことのないガラスアートだった。
もちろん立体でありながら、絵画的で、リズム感があり、動きがあり、ゆらいでいた。ガラスなんだから当たり前なのに、透明感を強く感じた。
彼女の作品は、素材がすべて完全な平面の板ガラスでありながら、作品のどこにも直線や平面がなく、細かいパーツであっても必ず歪みをもたせてある。それが無意識に働きかける柔らかさのようだ。しかし、歪みという事なら吹きガラスの方が歪みそう。どうもそこにメッセージがありそうな気がした。
板ガラスが素材なのではなく、完全な平面が素材なのかも。その平滑性を保ちながら歪ませることで、あの透明感を表現している、ってのはどうだろう。
今度恵美さんに会ったら聞いてみよう。頭もちょっとほぐれた。

全財産でうどんをおごる

今日、写真学校時代の教え子が三人訪ねてきた。
一人は長野県の写真館の息子で、店で写真教室をやりたいというから、少しだけ僕の教え方をアドバイスした。

そんなことをするようになったか。

最近製作日誌を書いていなかった。それは、かなり大きな山に立ち向かわなければならなくなっているから。
大きな仕事という意味ではないが、大きな意味を持つ仕事であり、かつてない難解な仕事であることは間違いない。
何を作るのかさえまだ決まってない、と言うと、仕事自体始まってないのかと思われるかもしれないが、それを話し合う以前に知っておかなければ、見解を持っていなければ、打ち合わせそのものが上滑りしてしまう内容なのだ。

依頼者とは数年前、僕の友人からのつながりで知り合った。今となっては彼とも親しい付き合いではある。
その彼を紹介してくれた友人というのはクリスチャンであり(そういう表現で正しいのか)、依頼者の彼もクリスチャンである。そのつながりで紹介されたものだから、僕にとっては彼をその姿以外で見たことはない。つまり僕としては、彼から家具を作って欲しいと頼まれた時に、その事実を踏まえないことはあり得ないのだ。
その二人の信仰は深く揺るぎないものである。それに対して信仰のない僕が挑まなければならない、ということは選択肢は二つ。全く無視してユニバーサルデザインみたいなものを作るか、それともそれに立ち向かっていくか。
SIGNの家具はどちらかと考えれば、答えはひとつしかない。
予算度外視の大仕事をおっぱじめてしまった。
まずは彼等が信じるイエスについて知らなければならず、聖書を読んでいる。なかなか進まず、いったいいつ作り始められるのか見当もつかない。
同業者が聞いたら笑われそうな話。僕だって商売上ありえないと思う。

境港に行って、水木しげるロードを歩いたら、水木しげるのファンになりそうな、興味がすごく湧いてきた。
点在する妖怪たちのブロンズ像を見ると、彼の描く妖怪たちは三次元的に無理がないことに気付かされる。
大抵の漫画のキャラクターは、立体モデル化すると違和感を感じてしまうのに、彼の描いた妖怪たちは違うのだ。
どの像も、どの角度から見ても、水木しげるが描いた絵に見えるのだ。

そして、どれもかなりメッセージ性が強く感じられる。その存在がすでにひとつの物語になっているかのよう。
水木ファンには申し訳ないけど、妖怪漫画というと子ども向けな気がして、今までそんなに感心はなかった。でも今は、何かを見落としてきた、気付いてなかったという焦りさえ感じる。
直筆の漫画を見なくてはと。

課題のスツールを作る
大学で学生に作らせた課題のスツールを余っていた材料で作った。
これは担当の先生から前に頼まれていたからだった。
知る人ぞ知る有名なデザインのスツールで、そういうものに触れさせたいという担当の先生からのリクエストでこの課題になったのだ。
もともとは機械加工で製作効率とコストパフォーマンスを考えたデザインであり、手加工で作るのは逆に難しい。ましてや初心者にとっては。しかしこれを経験した学生はその矛盾を、自分の作ったいびつなスツールから学び取ることも出来るだろう。
どうすれば商品のような美しい完成度が得られるのか。
完成度が高ければ高いほど、このシンプルなスツールは美しいのだ。
僕もこれを作ってみて、あらためて、これをデザインした人の意図を感じとれたような気がする。
ほんとによく考えられていた。
一脚を作るのに、機械を使うとちょうど一日でできる工程量。シンプルかつ理にかなった構造。見せるための接合部。
デザイナーの仕事は作る者を納得させる力が必要と、次の学生には伝えたい。

SIGNの写真茶話会10

製作日誌はこの記事の下にあります。

お待たせしました。
SIGNの写真茶話会10を開催します。
3月6日(土)
10:00〜12:00 基礎講座 (定員7名)現在予約3名
13:00〜16:00 表現講座 (定員7名)現在予約4名
※今回の参加費はどちらも2,000円です。

お問い合わせ、参加予約はメールにてお願いします。sign.norioyuasa@gmail.comまで。
写真茶話会ってなに?という方は「教室のご案内」をごらんください。

実習道具のメンテナンスに大学へ行ってきた。
本来なら手道具は手入れをしながら使うもの。それをせずに作ることだけ教えることは出来ない。
本職と同じ道具を使わせるのだから、同じ使い方をしなければどんないい道具を揃えても使い捨てと同じ。
授業でもある程度はやり方を教えたが、課題を完成させる方が優先で、そして慌ただしく、出来ている学生はほとんどいなかった。これは僕の教え方にも問題ありか。だから今日のメンテナンスは無償で、担当の先生に実習室を開けてもらい、手伝える学生がいたらと声をかけてもらった。

結果を求める学校としては目に見えるものが欲しいのはわかる。課題作品を並べてよくできましたと言いたいのだ。しかし、それが学生にまで浸透し、結果がすべてという価値観に支配され、課題は効率良く提出できれば良しみたいなことになっては、ものづくりから遠のいていくような気がする。
彼等には、一回使用して道具が使い物にならなくなったとしても負うリスクが何もない。本来の使い方をすれば何十年使える道具であったとしても。

大学で教えるという、求めてもないであろうチャンスに恵まれて欲が出てきたのか、もっと丁寧に教えたい。でもそんなことなど言えない立場しか与えられなかったのは誰のいじわるなのか。そして今の状況からすれば、その優先順位はその位置から上げることはできない。
期間限定のお試しセット。

しかし、声をかけてもらって今日の手伝いに来てくれた学生は、一人二人いればいいかと思っていたら、クラスの半分の人数が集まった。
出来は悪いが、わいわい言いながら60本のノミを研いだ。
担当の先生の「昼飯カレーおごる」が効いたのか、それとも。

今日は京都の岩倉というところへ、師匠の永田さんの納品の手伝いに行ってきた。
新築の家の収納家具一式。キッチンとリビングと。相当な量であることと、ひとつひとつが大きくて、師匠の車一台では運びきれないため、僕とスーパーキャラバンにお呼びがかかったのだった。
師匠の納品を手伝うのは久しぶりだった。修行中に初めて同行した時のことを思い出す。
自分の仕事の製作の部分をほとんど手伝わせることをしない教え方をする人が、「一人では運べないから」という理由を付けて、その時修行中の弟子を連れて納品に付き合わせる。
施主や設計士とのやり取り、家の図面の見方、大工さんや建具屋さんやその他の業者さんたちとの兼ね合いや、自分が作ったものを実際に触れさせて、設置しながら解説まで付いてくる。
僕らにとって、師匠から得る何よりの情報であり、しかも一日に凝縮されている。そんな経験だった。
今日も、久しぶりだったけど、やはり勉強になった。
最近、というか独立してからあまり大きな仕事をしていない僕にとって、師匠の家具で埋め尽くされた空間は圧倒的だった。
「まだまだいける、これからや」そんな声が聞こえてきそうな気がした。
タイムリーだった。
ひとつの仕事にすったもんだしている場合ではない。もっと前へ進まねばと思った。

作品一覧/人が集まるところ カテゴリーに、「枝香庵の収納ベンチ」をアップしました。

作品一覧/リビング カテゴリーに、「つっぱり壁面ハンガー」をアップしました。

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