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SIGNのポリシー、オーダーメイド家具の魅力

あなたと、あなたをとりまく環境を
肖像画を描くように、一つの家具で 描き出す作業
それが、僕が考える オーダーメイド家具の製作です

本のための椅子塗装する


午前中に組み立て、一回目の塗装までいきたかったので昼休みをとらずに作業をすすめた。
仕上げの素地調整や面取りをしている間に、焼き印を押すために薪ストーブに火を入れる。今日は気温が高かったので少し燃やすだけでじんわりと暑く感じた。
組み上がった椅子にCDや本を置いてみる。確かにそうすれば本立てやCDラックに見えるのだが、単体で置いてあると幼児用の椅子かと思わせる大きさだ。
塗装は当初着色までしようと計画していたが、これを置くデスクの写真を送ってもらうとそれはウォールナット製のモダンな雰囲気で、デスクの色合いからしても濃い色はないなと思いクリアのワックスでナチュラルな仕上げにすることにした。溶け込むよりも存在を主張したい。
一回目の塗装を終えたのは2時前だった。今日中に2回目はやっぱり無理そうだ。月曜発送を予定して焦らずいこう。少し光沢を出したいので十分乾燥させたい。


遅めの昼食をとり、乾燥待ちの時間ができたので昼休みではないけどこの陽気の中少し走りに行くことにした。いつものコースを走り、少し気になることがあったので昨日の店にも寄ってみる。
昨日の話でちらっと聞いたそこに来るあるお客さんのこと。なんとあのOW-01に乗っている人で、近頃最新のSSを購入しOW-01を売ろうかなと言っている人がいるらしい。へえそんなの乗ってる人がこの近所にいるんだ、とそのときは聞き流したが、今朝作業しながらふと記憶がつながりもしやあの人ではと思い当たった。それを確認したかった。しかしそれは予想が当たっているかを確認するという意味だけではなく、同時に思い知らされることも含まれていて、できれば違っていてほしいという気持ちがあった。
店の人とあれこれバイク話をした後、帰り際そのことを聞いてみた。
「OW-01の人って、もしかして××さん?」
「え、ご存じなんですか?」あ、やっぱり。
「いや話したことはないんだけど、(これこれこういう事情で)もしかしたらって」
「はあいやすごい推理ですね。それでその新しく買われたのがR1で…」げ、マジ。
「…レプリカ2台もいらないからっていうので売ろうとされてるんですけど、R1乗りにくいって言ってましたけどね」
「あ、そう。へえ…いくらで売るつもりなんだろね。なんならR1売ってくれないかな、はは絶対無理だけど」

その昔、山口百恵と結婚したいと憧れた男はどれほどいたか。そのうち三浦友和だから許せた者はどれほどいたか。

ひと手間こだわる仲間


本のための椅子は側板を組み立てた。
お客さんのスケッチでは地続きに描かれていた形を、切り抜くのではなくパズルのように組木風に貼り合わせて作ることにした。
ひと手間だけど、ここで意匠的なことと木材の強度的な方向性の辻褄をあわせるためのアイデアだ。お客さんには「そうきたか」と言わせたい。
使用した材はナラ。オーク材。
座板と背板もできているので明日は早々に組み上がり塗装まで。気温が高いので2回めいけるかな。


昼休みにまたいつものコースを一周し、そのついでに地図で見つけたバイクショップにふらっと訪ねてみた。
SIGNの近くだったけど、奥まった住宅街の中にあるので今まで気が付かなかったのだ。
地図サイトにホームページがリンクしてあったので見てみたらちょっと面白そうなところだったので、今日は走りだしから立ち寄るつもりでいた。いつもと違い、目的地があるとなぜか走り方が慎重になる。ちゃんとそこにたどり着かなければならないからか。
細い路地をぬけるとそのバイク屋はあった。貸し倉庫を改造した見るからにマニアックな店だった。
着くと店から店員らしき人が出てきた。人なつっこい笑顔で結構若い。彼か。
話を聞くとひとりでやっているらしく、シングルやツインのフルカスタム車が専門だということだったが、旧車好きが高じてビンテージオフロードも取り扱っている。そういう車ばっかりのレースもあるそうだ。
僕としては今はSRやスポーツスターのカスタムにはぜんぜん興味はないが、古い型のトライアルやトレール車には何となく惹かれる。増車するならこれだな、とかお金ないのに思ってしまった。
125、50でもいい、2ストのトライアルとかいいなあ。
置いてあったレストア前の70年代ハスラー125の値段を聞くとまあそこそこいいお値段。うちの在庫のテーブルと同額だったので交換してくれないかなあ。
またふらっと行ってみよ。いつものコースにバリエーションが増え、昼飯を食う時間がまた短くなるな。

手書き対決


とりかかったのは「本のためのイージーチェア」。机の上に置いて使うブックスタンドなのだが椅子の形をしたもの。
なぜ?と最初は思ったけど、依頼者とメールでやり取りしながらその本気具合を感じ、もう何も迷いはない。こちらも本気で立ち向かうのみ。
手書きで描かれたイメージスケッチを図面におこしながら細部の寸法や角度を決めていく。スケッチのバランスを崩さないように、また構造上の無理がないようにアレンジする。と、絵を見れば簡単そうに見えても、そのまま数値になおすとかなり複雑な形をしていた。そこから比率をシンプルにしたり、角度に統一感や相関関係をもたせることで安定感が見えてくる。気が付けば図面は書き込みの数字だらけになっていた。
図面を書きながら頭の中では加工法まで考えるので、一脚作り上げたような感覚がある。

多分出来上がってみればどこにそんな計算があったのかと思うんだろう。そういうものになると思う。
シンプルなものほど隙のないバランスが求められる。直角で交わるところが少ない直線の構成は、実は曲線で逃げるより難しい。角度をうまく加工しないとぴしっと決まらないだろうな。
本のための椅子ではあるが、本当の椅子を設計するのとなんら変わりない。小さくても加工の工程で手を抜けない。
さあて。

君は僕の希望


ブラックチェリーで作った勉強机を納品してきた。
こちらのお宅には以前、同じくブラックチェリーで作ったダイニングテーブルを納めたことがあった。その時に確か奥さんのおなかにまだ、この勉強机の持ち主となる彼はいたんだと思う。
僕が独立して2〜3年の頃、デザインも作り方も値段の付け方も手探りで、一生懸命だったけどいつも迷いながら作っていたような気がする。
そんな僕が作った家具をとても気に入りずっと使い続けてもらっていることは本当にうれしい。時を重ねたおかげでそろそろそんな喜びを味わえるようになったんだ。
今回の注文は奥さんのリクエストでもあったらしい。それもちょっとうれしい。
依頼者であるご主人は建築設計の仕事をしていて、あることがきっかけで知り合った。そんなに近しい関係ではないけれど、前のテーブルを作らせてもらったことと彼がバイクに乗ることを聞いてからなんとなく親しみを感じていた。それだけで?そう、それだけで。バイク乗りはそんなもの。
だけど家族の中で一番そのテーブルを見てきた奥さんが選んでくれたのは光栄に思う。子どものために与えるものとして市販の既製品より遥かに高いものを、高くても使い続けることで愛着が増すことを選ばれたのだとしたら僕にとっても本望だ。それは使ってるうちに飽きて、捨ててしまうことを前提にするものとは機能的には同じであっても、優劣の比較もできない方向性の違いがある。

初めて会ったときはまだ新婚の空気を漂わせていた二人も、この家も、久しぶりに訪ねると生活の香りがした。搬入し組み立てていると持ち主の彼が外から帰ってきた。一気に明るく変わる家の雰囲気と、あの頃と変わらずかわいい奥さんが母に変わる。
新しいランドセルを、それ用に取り付けた荷掛けフックにかけてみる。
「ぴったり!」
彼が今夢中になっている図鑑を見せてくれた。早速机の本棚に納めてみる。
「ぴったり!」
そしてその中でも一番好きなのが鉱物のところで、石が大好きだという。お気に入りの紫水晶を見せてくれた。ごつごつした原石からあのオベリスクのような六角柱が何本も生えている。だけど、
「あ、それは裏にフェルトを貼ったらいいんじゃない」
「ふぇるとってなに?」
「布のことよ」
「なんで貼るの?」
「………」
いずれ君と過ごす時間とともに傷も付き汚れてもいくだろうけど、まあ今だけはお母さんの言うことを聞きたまえ。

その他の画像、寸法などはこちら

12時過ぎの電話


家紋を入れる額を磨き、塗装した。サンドイッチしたメイプルが側面から見るとピンストライプになる。
仕上がりはアクリルではなくガラスを入れ、折り畳んだ風呂敷をおさめる。
写真の展示でよく使われる無反射ガラスにしようかと思ったが、ガラス屋さんで見比べてみたところ無反射の方はどうしてもぼやけた感じに見え、風呂敷の織りや染め抜きの質感が不鮮明に感じたので透明のガラスを入れることにした。また破損の危険性などを考えるとアクリルやポリカもありだけど、その平滑性や透明度はやはりガラスの方が勝っている気がする。
一回目の塗装の乾燥中に風呂敷にアイロンをかけた。今まで使われまたしまわれてきた痕跡として折り目が付いていて、ちょうど展示する面にしわが出てしまう。それを消すのとともにこれから額に入って過ごすための折り目をアイロンで付けるのだ。家紋の部分だけ切り取ってしまえば話は早いが、半畳ほどの広さの中にはその家紋のほかにその家の屋号が染め抜かれていた。見えなくなるとは言えそれがつながっている意味はある。
今までとは違う折り方になりどうしても厚みが出てしまうため、その折り目をしっかりと付けておく。

この額を作る作業に時間をかけられるのは偶然のタイミングで、その時進行中の仕事やそのほかの仕事に少し余裕ができたためであった。その方の独立開業の事務所開きは明日。それにぴったり合わせて作れたことは何か意味があるように思う。


今こうして製作日誌を書いている時に電話が鳴った。現在東京でカメラマンをしている教え子たちと昔の同僚からだった。
その東京組の一人が実家の写真館を継ぐために小豆島へ帰るという、その送別会からだった。電話の向こうでは盛り上がっているようだったが、その席で僕に電話しようという話が出るのがうれしいやら、複雑な気持ちだ。次々に電話がまわされ久しぶりの声たちと目まぐるしく思い浮かぶ顔と姿。
この時期だからか、卒業式で彼等の名前を読み上げた記憶がよみがえる。彼等もそうだったのだろうか。
久しぶりの同僚とは学校を辞めたあの日以来。向こうは東京に行きカメラマンになった。苦労しているという噂は人づてに聞いていた。それぞれ違う道を歩みつつどちらも苦労していて、それでも教え子たちには未だに先生と呼ばれ会おうと誘われる。うれしいやら、多分複雑な気持ちだろうな。
「ブログ、いつも見てますよ」
「え、そうなの…」
彼女にとっても切り離してしまえば話は早いが、知らないところでまだつながっている。その意味はあるのかな。

SIGNにサインを依頼する


パパサンに乗って訪ねてこられた建築屋さんの依頼とは、その方の事務所に飾る額だった。
その額にはその方の家の家紋が染め抜かれた風呂敷が入る。
いただいた名刺にも家紋が入っており、事務所の屋号もサイモン。その方のお名前は西さん。
なみなみならぬ家紋への思い入れがあるようだが、打ち合わせの際あえてそこには触れなかった。
なぜ?重要なところではないのか。
きっと聞けば用意されたストーリーがあったに違いない。
家紋はその家の象徴となるもので、それが決められた時代のその家の使命を反映しているものだとしたら、それを後世に家を継ぐものがそのシンボルマークとともに担っていくという日本の文化ではなかったろうか。だからひとつの家系に家紋はひとつ。わたくしの使命はこの家系のルーツにおよぶ、という考え方。アイデンティティー、家族、一族のつながり、生きる指針、ポリシー。
今は冠婚葬祭でしか見なくなった家紋をとても大事にされる理由とは、多分僕に対しても突き付けられる問題かもしれない。今はそこからは目を背けたい。

額は最近のSIGNのモードというかこないだの小学校での木工教室からヒントを得てというか、色の違う材の貼り合わせで作ることにした。三層に重ねたそれぞれの板が角の接合で絡み合う仕口となり、無垢で作る際には溝を加工するところを板の幅の違いで作り出すという、またもやわざわざ遠回り。はいはいぱっぱーっと作れへんのかい。


勉強机は完成し、納品が3/31になったのでそれまで納品待ち展示中です。
でも水曜から金曜は休みです。


昼過ぎまでかかって全部のパーツができたので組み立ててみた。右側面の荷かけフックはランドセル用だ。
引き出しはすりざんだがスムーズで気持ちいい。実はスライドレールがあまり好きではなくてこちらにさせてもらった。板が変形すると硬くなったり、ものをたくさん入れると重くなったりするが、そんなときは調整しながらもしくはそれも記憶として使い続けてほしい。100年もつスライドレールなんて聞いたことがないし、故障して交換する時に仕様が変わってたら結局箱から作り直すことになるから。

電柱の工事は予定どおり行われ、予定どおり12時から停電があった。
朝、工事の業者が向かいの新築現場に発電機を設置しているのを見かけ、なぜかと聞いたらうちにも置いてくれることになった。
そのおかげで昼を過ぎても作業ができたわけだけど、何か釈然としない。申し出たためにそうなった。仕事に関係しないご近所の家は数時間停電しっぱなしだったのだ。そして最初から発電機が設置されることになっていた新築現場。
最初から保証されていれば得をしたとも思わず、損をした人のことなど考えもしない。偶然得をした人間は損をした人に申し訳ないと思う。損をした人はどちらのことも妬み原因を恨む。
当たり前は単純に実現しないもんだな。木工なんて呑気な仕事でも電気がないと確かに仕事ができない。

塗装が終わる頃来訪者あり。ぱたぱたぱたと歯切れのいいエギゾーストサウンド。
facebookで知り合った建築屋さんだった。
バイク好きで昔オーストラリアも走ったことがある方だった。そしてスポーツスター乗り。
ちょっとした依頼があって来られたのだが、初対面でも話し出せば話したいことがてんこもりにあって何を話せばいいのかとりとめなく。僕も作業モードからすぐに頭が切り替わらず。
でもとにかくまたこれからも付き合いがあれば、あるような予感がしている。おいおいその時々に。

塗装は一回目が終わり乾燥中。

スリルはチープ


出来上がった本棚と天板と脚部を仮に組み立ててみた。これはなかなかいいんじゃないの。というか勉強机という家具そのものがかっこいいな。

本棚に関してはデザインは原案どおりで寸法だけ洗い直したけど、もっと軽快な感じでも良かったかなと思う。しかし作り込めばそれに応じて値段も上がるのでオーダーでは難しいところ。すでに予算オーバーしているし。
引き出しはセンターにW500のひとつだけ。それもいい。すりざんでシンプルな作りの箱にした。箱にこだわればまた手間がかかる。そこは必要十分でいいと思う。組み手にこだわるよりメンテナンス性を重視。気になるならいずれ作り直す。本体と同じチェリーで作った。

さて明日は引き出しの調整と荷かけフックを作って取り付け、また分解して塗装をする。この調子でいくと日曜納品いけるかな。
が、しかし!なんと明日工場の向かいの電柱を交換するとかで午後から停電するらしい。ということは午前中に作業を終わらせないと塗装までいけない。
ほんとにいろいろやってくれる、造成工事からずっと。見れば交換じゃなくて移動だ。なんで移動って言わないんだ。家を建てるために電柱って移動できるんだっけ。
工事の業者が来て一方的に謝られても文句も言えない。謝ってる人も罪悪感も責任感もないから頭下げ放題でのれんに腕押し状態。移動しろと言った本人が出てこないのはなぜ。
なんかどっかで聞いたような話だ。企業にはクレーム処理という部署が当たり前にあり、水洗便所のように汚物を受け止めては見えないところに流すだけ。
ひとりでやってみろ、スリルがあるぜ。

いつか早くなる?


机の天板に本棚をつけてほしいとのことで取り外し可能な浅めの本棚を作った。
下は小学校の教科書、上は文庫本やCDや小物を置けるように。
今日は一気にここまで組み立てた。これらを組み合わせればほぼ形にはなるが、あと引き出しと右側面の荷かけフックが残っている。塗装もあるしあと2、3日はかかりそうだ。どうする俺。

朝から暖かくて作業ははかどり、窓の外では近所の子どもたちがあぜ道でツクシ取りをしている。昼休みのバイクも薄手のジャケットを抜けていく風が気持ちいい。
体が軽くて動きやすかったせいか、帰ってからタイヤをチェックしたら端のほうが熱で溶けたようなすり減り方をしていた。コーナリングスピード上がってきたねこりゃ。注意しなきゃ。あくまで気分転換で流す程度にしておかなければ、いくらK300のグリップが良くてもVFの旋回力が良くても過信してはいけない。細いタイヤに重いバイク、こけたら落下だからなあ。
といいつつ今日、あの短い登りのストレートでぬふわkm/hでた。

明日は組み立て


パーツはここまで仕上げが終わった。明日はやっと本体の組み立てだ。
あと本棚と引き出しがある。ちょっとペースを上げなきゃ。
おっと荷かけフックもあったんだ。

考えて、ライン取り


手作業でごりごりと削る。予想より時間がかかる作業だった。
だけど全然苦痛はない。やっぱり僕はやすりが摩擦系作業が好きなんだと思う。
少しずつねらった線に追い込んでいく感じ。形として残る本体と、切り離されたように見えてなくなった部分はその形を残さず粉末となって消えてしまう。
値段のことを言えば、わずかだが材料代は余計にかかり作業時間は大幅に増える。なのになぜそちらを選ぶのか。
答えは一点ものであることが重要だからだと思う。
型板やジグを作り、効率良く同じものをたくさん作れるようにする。今後この家具を何度も作る気で作る。といったその後のことまで考えず、同じ工程のやり直しも後戻りもできないその場その場の一発勝負となってしまう方法をあえて選んでしまう。
その作業を直に見なければどうやって削ったかもわからない。データは残さない。そんな気持ちを満たしてくれるやすりという道具が好きだ。

フロントフォークが直ってきたので今日は昼に一回夕方に2周、いつものコースを走ってきた。
思いきって突っ込んでフルブレーキングしてみる。やっぱり安心して走れるのはいいな。
でもそういう走り方をするにはブレーキの性能がイマイチ。古いバイクだから。チューンナップするよりノーマルに合わせた走りで速くなりたいので、ライン取りと立ち上がり重視のシブい走りを身に付けたいな。過激な走りは疲れるし。
夕方2周目にコースで一台のNinjaが練習してた。なんども往復しているらしく、すれ違ったと思ったら後ろからついてきていた。結構ハイペースで走ったつもりだったんだけど、ぴったりつかれて離れなかった。余裕って感じ。
あの短い直線で100km/h以上はVFと僕では限界なので、やっぱり走り込む熱意と最新のバイクの速さにはかないませんわ。

カンパネルラ序盤に


ほぞとほぞ穴の加工をし側面の組み立てをした。少し進んだような気がするが、ここからディテールの作り込みをしていくのでまだ序盤だ。
この側面の框組がシンプルな原案からアレンジされた部分で、今回のデザイン上の見どころとなる。シンプルな中にも造形を入れたいと思う。それが価値だと思う。

こないだ小学校で木工教室をさせていただいた時に、僕が子どもたちに伝えたかったことは「ものの価値」についてだった。
何かと比較される性能などなく、何に使うのか用途もなく、ただそれに対する愛着だけしかないものを作るワークショップ。
作業は単純で時間がかかる。形はゆっくりと変わっていき、手触りも削れば削るほど良くなっていく。こんなささやかなものが完成した時には宝物のように思える。
形を作ることにこだわることは、そのように愛されるものを作りたいという欲求から。
機能性にこだわった高性能な家具、さらに値段も安いという今の流れからすると逆行するやり方である。
しかしその価値の基準を「愛され長く使われる」ことにおいた場合、はたして多機能や耐久性よりももっと重要なことがあるのではないか。
高性能やコストパフォーマンスを追い求めれば次々に新しいものを生み出さねばならず、使う人はそれを追うように消費し続けなければらない。「価値のあるもの」とは何だろう。
僕自身が作り手でありながらそれを求める人間として、ずっと考えていることなのだ。
たどりついたその一つの答えが「愛されるものを作りたい」だった。
僕が作るものは愛されたい。だから時間をかけて削るのだ。

黄色に変わる


今日ははぎ合わせてあった天板を仕上げた。平面を出して角のアールを削る。
素地調整の前の水拭きで一瞬この木の本当の色を見せてくれた。明るいきれいなオレンジ色だった。
その間にもほかの部材は少しずつ色が変わっていたようだ。仕口の墨付けをしようと作業台に並べてみたら、磨いたばかりの天板とは微妙に違った。
今日の暖かさと夕方からの雨も関係するのだろうか。この季節、気温の変化が激しい。明日はまたぐっと寒くなるらしい。
三寒四温というくらいだから、この季節特有の気候ではあるのだろうけど、気にすればいくらでも危機感を煽ることができるメディアの報道。大騒ぎすることでもないんだろう。空気中の浮遊物にしたって僕らの世代は光化学スモッグや酸性雨の中をちゃんと生きてきたではないか。その原因を作った人たちが罪悪感を感じてくれればいい。
ヤクルトを飲んで花粉症が治った人もいるくらいだ。
寒暖差も浮遊物も情緒ある趣を持って受け入れよう。
僕は子どもの頃、黄色い夕方がとても好きだった。

そだてる喜び


先月末から打ち合わせをしていた勉強机の最終図面ができ、作業に取りかかった。
今日は天板のはぎ合わせと部材の木取りをした。材はブラックチェリー。
ブラックという名前でありながら、削ってすぐの色はピンク色をしている。これが作っている間にも変色していき、塗装をするとオレンジっぽい茶色に変わる。
ブラックというのは黒という意味ではなく、赤身ということなのかと解釈しているが定かではない。実際このブラックチェリーは経年変化でみるみる変色してチョコレートブラウンになり、水拭きなどよく手入れされる方のもとにおいては水に含まれる鉄分によっても黒色変化していく。またよく触れる部分は色の変化とともに艶も出やすい。
そんな経年変化がお好きな方にはおすすめの材ではある。もちろんそれには木が呼吸できる塗装でなくてはならないが。

そんな風格あるチェリーのビンテージ家具を完成形と考えるなら、僕の手を離れそれを使う人によって何十年もかけて完成させるものであり、またその人にとっての完成品はどこにも売っていない。
今回の依頼者は以前、同じブラックチェリーのダイニングテーブルを納めさせていただいた方で、この春お子さんが小学校入学ということでご注文があった。
あれを納めてもう何年になるだろう。とても気に入って使われているとのことで「同じ材で」というのもチェリーに惚れてしまったのかもしれない。
新品との比較も面白いだろうな。どんなふうに変わっているのか再会が楽しみだ。

楽しかったな。楽しかったな。

ああ、楽しかったな。

授業としてはだめだったけど、授業だったのかさえも。

でも、たのしかったな。

なんとかモード

おとといの土曜日に僕が木工を教えに行っている大学の卒展へ行ってきた。
今年は奈良県文化会館で開催された卒展は学科が10周年を迎える記念イベントにもなっており、過去の優秀作品の展示や卒業生をパネラーとしたシンポジウムも開かれた。
もちろん僕が手伝った作品も展示されていて、なんと今年度の優秀賞を受賞していた。担当の先生の話では授賞式のときその学生は感極まって泣いてしまったという。その先生にも学生にも何度もお礼を言われたけど、僕はほんとに手伝っただけで、頑張ったのは学生であり指導された先生の誇りであると思う。
展示作品には4年前に教えた学生たちの見覚えある名前が並び、彼等の成長を知り、なぜかせつなくなった。
学校関係者として観覧する気持ちと、そこに至る苦労を共有しない部外者としての立場とが複雑な感情を生み出す。
せめてもう少し授業をさせてもらえたら。口にすればすべてが消えてしまいそうな欲求。今でも十分非常勤としては優遇されている。それでもまだあなたは欲しいと言うのですか。


そして今週水曜日に、今までに何度か木工教室をさせていただいている小学校から依頼があり、6年生のクラスで最後の図工の授業をさせていただくことになった。
以前担任の先生に卒業の記念になるような木工の授業ができないかと相談されたことがあったので、考えた末こないだサンプルを持って行って見せたところ検討していただきOKが出たのだ。しかし小学校での「最後の図工」の授業として見合うものができるかどうか若干不安がある。
記念品にはなるとは思うのだが、複雑なことは考えていないし、それは完成すればということでもある。
今日から授業の仕込みを始めたが、はたして全員が完成できるだろうか。それに対する工夫も必要だと感じた。
そんなタイムトライアル的な授業であるのに、話することも二つ考えてしまった。いかん、子どもたち主体で考えなければ。
みんなが宝物を持って帰れるように。

午前中その授業計画がとりあえずできたころ、写真茶話会の参加者の一人が写真を見せにきた。
話の内容は自分のブログにも書かないと言っていたので、ここでも控えることにする。ただ少しだけど重要な進展があった。
そして夜に卒業制作の彼女が訪ねてきた。ちゃんとお礼をしたかったとドーナツをお土産に持って。
薪ストーブに火を入れコーヒーを飲みながら少し話をした。
もうあとは卒業式のみ、すべてのドタバタが終わった静けさのような心地よいだるさを漂わせ、過ごした時間を振り返る。
「湯浅先生のゼミがあったらいいのに」
見透かされたか。いや、もう社会人ぶってお世辞を言うようになったか。


2月中に取りかかる約束をしていた勉強机。知り合いの建築家さんからの依頼だ。
以前この方のご自宅にダイニングテーブルを納めさせていただいたことがあり、今回はお子さんが春から小学校ということで作らせていただくことになったのだ。
ご夫婦でイメージされている形がすでにあり、それを少しアレンジしてほしいという。まずはいただいたサンプル画像から図面をおこした。
「スカンジナビアンアンティークみたいなのを…」
またそんなことを。形にこだわると高くつきますよ。と、そんなことも言える関係ではある。サンプルイメージはいたってシンプルなものだったし、そこそこいい値段が付けられていたから。
それより大幅に値段が上がるのも違うだろうし、かといってそのままを安く作るのも違うだろう。
僕としても「なになに風」というのは好みではないし、それでいて与えられたテーマから外れることなくその制限内でどのように情報処理できるかが今回のポイントだろうか。
なんでもはいはいで作る家具屋もほかにあるだろうに。

小さな写真から各部の寸法などを洗い直し、工程などをイメージしながらつじつまを合わせていく。そんな作業の傍らBGMがわりに去年のマン島TTレースを観戦しながら。
市街地の公道をオートバイで200km/h以上の速度で駆け抜けていくTTレース。最高速は320km/h。
世界的歴史的に見ても他に類を見ないイギリスのマン島で行われる伝統的なレースだ。ホンダが世界にその名を知らしめるきっかけとなったレースでもある。本田宗一郎の夢はホンダレジェンドとして語り継がれ、世界の各バイクメーカーのスーパースポーツプロダクトモデル花盛りの昨年においても華麗な勝利をおさめた。
ホンダのこのレースに対する思い入れを感じる。そういう一途なホンダを見るのはいいんだけどなあ。
ところでうちのホンダは。
フロントフォークに点錆の磨き残しがあり、それによってオイルシールがやられてオイルだばだば。納車時にちゃんとしといてくれよと泣きながら、古いバイクだからOHだけですむのかいくらかかるのか。これじゃあマン島でジャンプしてフルボトムした時に死んじゃうよ、あーあ。

SIGNの写真茶話会40を開催します。
午前はカメラ茶話会となっておりますが、希望者が多い場合表現講座に変更するかもしれません。

3月9日(土)

11:00〜12:00 カメラ茶話会(参加費無料)
13:00〜17:00 表現講座(参加費 2,000円、定員7名)

午前のカメラ茶話会はカメラに関する相談、自慢話などなど。希望者がいる場合は基礎講座もしたり、バイク好きが集まればバイクの話になったり。
午後の表現講座にも参加される方々でお昼ご飯を食べに行ったりします。(うどん)

表現講座はその回のテーマに沿った講義と合評による個人の作品指導です。普段撮影された写真をプリントでお持ちください。どんな写真でも何枚でもかまいません。
作品を作ることに技術のレベルは問いません。写真茶話会は誰でもいつからでも参加していただけます。
普段撮影しておられる何気ない写真から、素晴らしい作品が生まれることがあります。
その瞬間に立ち会ってみませんか。

参加を希望する方はメールにてお申し込みください。
sign@norioyuasa.com
SIGNの写真茶話会は1回ごとの参加申し込みによるものです。続けて来られても1回のみでも楽しんでいただける内容となっています。
詳しくは「教室のご案内」を御覧ください。


この写真館で写真を撮影する時に妨害電波かミノフスキー粒子のようなものが発せられ、いつもの調子が出ない。何を撮っているのか定まらなくなるのだ。不思議な場所だ。何枚か撮った写真を帰ってからパソコンのモニターで見て落胆してしまった。ここの奥さんに指示されて撮った一枚が一番良かった。
もちろん納品した家具を撮影しているのだが、僕はいつも周辺の情報を詰め込んだフレーミングで商品撮影というより状況撮影を心掛けている。しかし今回はどの写真もすぱっと決まらなかった。
奥さんに指示されて撮った写真はほぼテーブルとスツールしか写っておらず、それでもその一枚が一番良く見えるのは他のカットと比較してのことなのか、それとも視界が狭められるその瞬間を記録しているからか。
自分の身に起こったことだから非常に興味深い。
タイトルにこう書いておかないとどこで撮ったのかさっぱりわからない。

納品したスツールに関しては大変喜んでいただけた。
カウンターテーブルともよく合っていた。
高さも座り心地もちょうどよくて、それはその時僕がそれに4時間くらい座っていたからそれが証明だ。
またそこでたこ焼きをごちそうになり、家具以外の話もし、僕について心配もしていただき、応援もしていただき、写真撮影では不思議体験もさせていただいた。

不安に感じている人を


2回目の塗装も終わり明日納品することになった。
今使っている塗料にも慣れてきて使いこなしができるようになり、仕上がりの予想やコントロールができるようになった。塗料一つとっても手に馴染むまでは不安はある、道具であると言える。
ほかの道具と同じく自分がどんな加工をしたいのかが本来先にあるべきはずが、はじめの頃はとにかく性能にこだわったり色んなものを試してみたり数を集めてみたりして、道具からの発想があるかのごとく持つことが安心につながるような気がしていた。また様々な道具を使いこなせることが職人的で偉くなったような気もした。
しかしどんなに上手くなってもその不安が消えないのは、先にあるべき自分のスタイルとしてどんな加工がしたいのかという答えがそこからは生まれて来ず、仮にあったとしてもそれを吟味し磨きあげることは職人的な腕を磨くこととは別の次元であることに気付くからだと思う。
創作家具は伝統工芸とは違う。最初から答えのない不安を抱えたジャンルなんだ。答えが出たとしてもそれがスタンダードより優れているかという評価は作り手にとって予想外なところでされることだってある。
難関はやはりデザインだと思う。技術から入った人間にとってデザイン力は弱点だ。上手ければ人の真似はいくらでもできるが、的を外したものまねは痛々しいだけ。
だから僕は塗料一つにしても自分で工夫した使い方を考えようと思った。質感もスタイルのうち。オイルフィニッシュなのにしっとりもせず、カリッともせず、平滑でさらっとした感触はウレタンに近いかもしれない。ただ自分が好きだというだけの気を失いそうな手触りを目指して。

今回カウンターテーブルから始まり、この期間中にこちらの写真館とは家具製作以外にもつながりができた。
それは僕が写真という別の顔も持っているからだった。
明日は家具、写真どちらの話がメインになるだろうか。

自分はそれを通す穴


塗装前に焼き印を押した。
今回のスツールは自分でも気に入っている。オーダーメイドでありながらオリジナルに近い感覚だ。
少しずつこういったものづくりができるようにしていきたいと思う。
お客さんのイメージを探りつつそれに応えるようなことから、自分の中にあるものを認めてもらえるような仕事へと。
こないだの写真茶話会でふと出た話題から、昔ある人に言われた言葉を思い出した。
「教師はどこまでいっても教師であり、表現者にはなり得ない。教師を辞めなさい。」
誰かのためにすること、誰かの手助けを生き甲斐にすることはある人にとっては尊い仕事である。しかし、すべての視線が自分を通り越していくことに我慢できるならば。
自分はこんなに良い授業ができます。自分はこんなにすばらしいオーダーメイド家具が作れます。と威張ってみても、被災地でのボランティア活動を誰かに褒めてもらいたがるのと同じようなこと。そんなことはむなしい。
自分から誰かに与えられるようなものは何もない。それを卑下することなく受け入れられるかどうか。自分を通して出てくるものがたとえ矮小であっても誇張せず自分でそれを認められるかどうか。好きになれるかどうか。
人のためと言うのをやめなければ、上の答えはすべてNOだ。
それでも誰かが自分を待っていると答える方が前向きな気がする。

一回目の塗装を終え乾燥中。気温がまた低くなり一時大雪になりそうな降り方をする。ゆっくりと油が固まるのを待つ。

それは木だけに


午前中に昨日削った座面が気になりもう一度削り直した。数値にすれば多分2ミリにもならないだろうけど、少しだけ中央を深くした。
木の座面はもちろんクッションのある椅子に比べて固く感じるので、接触面積による体重の分散に気を使わなくてはならないが、お尻の形に彫り込むような深いカーブは体型を限定してしまう。いろんな体型に対応するように考えれば、カーブが緩やかな方が安全策で、しかし座ったときのフィット感や体重の分散による柔らかな感触は深い方が感じやすい。
今回使用する人が限定されるスツールではないので浅めではありながら、僕のようなケツのでかい男でも窮屈に感じないぎりぎりのところまで削った。やはり女性や子どもの割合を多めに考えておきたいと思ったので。

午後から組み立ててようやく形が現れた。
なんだか古いような新しいような不思議な存在感。なんだかいいかも。
脚をつなぐ貫があるデザインも考えていたが、脱スタンダードとこの存在感のために削除。だけど貫は補強部材というだけでなく、あれば足掛けにもなるので身長差への対応策にもなる。それがないということで予定していた高さよりさらに脚を切って少し座面高を低くした。

明日は打ち込んだ楔を削って仕上げ磨きのあと一回目の塗装をする。焼き印も三回押す。

尻のことは尻に聞け


座板の裏面ができて次は表面、座る方の加工をした。
あまり極端な彫り込みはせず、緩やかなカーブで削ってみた。このわずかな曲面が座り心地を良くしてくれる。
このままで柾目の縞模様をきれいに見せたいという気持ちもあるが、脚を取り付けてからもう一度バランスを考えてみるつもり。板の厚みからしてもまだもう少し削る余裕はあるので、もっとカーブをきつくするか、よくあるお尻の形に彫り込むような加工も候補としてはある。
しかしデザイン当初の予定ではこの緩やかなカーブと裏面の船底面だった。この段階でふちを握ってみると、椅子を引いたり持ち上げたりするのにちょうどいいバランスで、触った感触もいい。

どうかな、シンプルすぎるかな。存在感はあると思うんだけど。

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