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SIGNのポリシー、オーダーメイド家具の魅力

あなたと、あなたをとりまく環境を
肖像画を描くように、一つの家具で 描き出す作業
それが、僕が考える オーダーメイド家具の製作です

台湾ラーメン+チャーハン


今日は昼前に襲撃者があり仕事が中断。今日中にすのこを仕上げるつもりが根太を作ったところで終わってしまった。
久しぶりの来訪だった理想建築工舎CRAFTの堤さん。現場をいくつも抱えつつポケットマルシェの運営もあるので普段は超多忙であり、最近全然会っていなかった。まあいつも会うと僕の仕事のやり方にイライラして説教されることが多いのだが、今日はなんだか雰囲気が違った。
いつものように僕がどれだけ商売が下手かを懇々と指摘され、挙げ句の果てに現実の時給まで計算され、やめてくれーっと思ってたら「もうお前はそれでいい、時給800円のパートでいいんや」と。
いやいやそれでは志が低いでしょ。「でも無理!」あ、言い切られた。
その後辛らつなアドバイスもあったが、その儲かるパターンにどうにも魅力を感じない。つまり現実を受け入れるしかないということなのか。
がっくり、だ。
それでいい、というのは肯定のようでそうでなくも聞こえる。激励だったのか。いや、
きっと暇つぶしだ。


フェンスを作って取り付けてみた。もう、どうだって感じ。
あとはすのこと下の引き出しなので、この段階でほぼ全貌が見えてきた。
フェンスは本当は上段の両側に付ける予定で下段には無し。そのほうが出入りがしやすいから。上下を分割して使用する際はお好きなところに取り付けてもらう。
とりあえず撮影のために試験的に上下に付けてみた。予想以上の強度に仕上がり、心の中でにやりと笑う。あの昔のぐらぐらフェンスではないのだ。デザイン的にも檻に入れられるような柵であることから形態を変えたかった。

こういうパーツをいろいろ付けたり外したり位置を変えたりというスペックは、きっと同世代である依頼者には響くのではと思う。合体ロボやどんどん強化パーツを装備して原型が分からなくなって果たして強いのかも不明な、そんなおもちゃが流行ってた時代の子どもだから。
そんなだからボルトをラチェットレンチで閉めるというだけでテンションが上がったりする。つまりそれは仕様というより付加機能と呼ぶべきところなのだ。


組み上がったラダーを取り付けてみた。ラダーはボルトで固定し、両面のお好みの位置に取り付けられるようにした。固定のためのボルト穴はフェンスと共用するため、このベッドを設置する場所に応じて組み合わせや取り付け位置をカスタマイズできる。
上下分割がまず必要機能ということだったので、二段ベッドとはシステム家具である、ということをコンセプトとした。
引っ掛けるのではなく固定することにより、上下をつなぐ剛性の強化パーツとしての役割もある。

ラダーを付けるといよいよ秘密基地っぽくなってきた。
登りたくなる衝動を抑えつつ、午後はフェンスの製作をした。
連休だからか、外では子どもたちの声がにぎやかだ。

これはいい、ほしい。


作業中の工場では組み立てると邪魔なので、在庫の展示スペースを片付けて仮組みをした。
金物を使った接合は予想よりしっかりしていて、側面の幕板に腰掛けてみたけど全然問題なし。心配だったぐらつきはこの段階でもほとんどなし。これにラダーが付き、すのこが入ればさらに剛性が増すはずなので、子どもが少々あばれても大丈夫だろう。

それにしてもでかい、そしてかっこいい(?)。うーん表現が難しいけど、なんだか二段ベッドってワクワクする。ああこういうものだったなあと記憶がよみがえってきた。子ども部屋に二段ベッドは寝台でありながら秘密基地的な遊び道具でもあり、はじめて手に入れたプライベートな空間だった。上段から見下ろす部屋の景色も天井の近さも新鮮に見えた。
そうか、そういうことか。ああこれ売りたくなくなってきた。こんな気持ち初めてだ。
いかんいかん、月収2か月分の材料費と1か月の労働を棒に振るのかよ。


組み立てた状態で各部の確認調整をし、足もとの受けざんを追加した。そのままの状態でラダー、フェンス、すのこと引き出しを作る。それらは作りながら取り付けのテストをしなければならないからだ。
次に分解するのは塗装前だから、それまではながめて楽しもう。


写真茶話会のために床で寝られるくらいきれいだった工場もあっというまに元通り。家具モード。
今日は側面のフレームを仕上げた。
今回、材料代の出費をおさえるために在庫していた秘蔵のウォルナットを使うことにした。それもなんと裏面の受けざんに。あきらかに色の質感が他と違うため、こうするしかなかった。もったいなくて泣けてくる。違う材で作ることも考えたけど、二段にすると裏面は隠れる部分ではなく化粧でなくてはならない。すべての材の中で一番いいのが脇役だなんて。ほかにも引き出しの前板にこの材を使う。それはさらに幅広の一枚板なのだ。その面積があればいったいどれだけのものが作れるだろう。
目先の支払いのために。こんなウォルナット、次いつ出会えるかと思うとカネがないってくやしい。

いよいよ明日は仮組みだ。

はかって彫って


今日は一日穴と格闘した。穴はちゃんと空いたけど、なんかツイてない一日だった。

明日は写真茶話会


出来上がったコンソールを取り付け作業を一旦終える。
明日の写真茶話会のために工場を片付けなければならないからだ。フル稼働中の工場は木屑が山盛り、粉じんが降り積もり足跡が付くほどなのだ。少し風が吹くたびに舞い上がる埃の中で写真を見ることなどできない。だから徹底的に掃除をしなければならない。
ひと月に一度こうして大掃除できるのだから良いことかもしれない。しかし、仕事の区切りで開催できればとも思う。
別の場所ですればいいという意見もあるが、自分の工場で自分でコーヒーをいれて冬は薪ストーブを焚いて、というスタイルが気に入っているので他の場所だと違うものになりそう。煙草も吸えるし。
そして参加者の人たちも僕の工場に遊びにくるというのがきっと楽しいんだろうと勝手に思っている。

そう言いながら写真茶話会も5月の回で一旦閉じようと思っている。それ以後のことはまだ考えていない。

講義の仕込みをしていたら常連参加者のfukuさんが夕方訪ねてきた。明日は参加できないらしい。
いろいろ話をした。
茶話会を通じて出会った人だけど、ふと訪ねて来られてこうして写真以外の話もできるならそれもいい。


枕元に物を置く台、コンソールを作った。既製品にも付いているものがあるが僕が調べた限りではどれも低い。
実際低いそれが付いているベッドで寝たことがあるが、勢い良く寝転んだ時に頭をぶつけて相当痛い思いをしたことがある。ベッドに入れるマットレスは薄いものを想定しているが、いずれ上下を分離して使う時には厚いものに換えるかもしれないのでそれも考慮してコンソールは少し高い目にした。
目覚ましは耳元で鳴った方が効果はあるかもしれないが。

クランプして固める間に側板を固定するコーナー金物を加工した。金属は専門外だがちょうどいいものを探すより自作してしまおうということだ。
固定はボルトを使うつもり。しかしナットを仕込むところはできれば木口からは離したい。そうすると回転や湾曲の力によって変形するかもしれないので、アングルの根元付近に補助的なビスを入れることにした。
いつもは木に穴をあけるために使っているボール盤と錐も、本来は鉄工用のものなので意外とすんなり、というか本領発揮という感じだった。切れ味抜群で気持ち良かった。すごいぜ日立!金属で金属に穴をあけるための技術もすごいもんだ。その後穴空け時に出たバリをやすりで削る。これも普段木に使用しているやすりだったが本来は金工用。さくさくっと削れてまた気持ちいい。すごいぜツボサン!何を感心してるんだか。

次々と作業を加え


接合部の目違いを削り取り仕上げ磨きをした後、荷重のかかるところに補強のビスを入れた。
椅子やテーブルに比べ部材の幅が広いとは言え脚間のスパンが長く、常に動く人間という荷物を宙に浮かせ続けるというのは未知の荷重だ。

オーダーメイド家具というのは試験的なことができなくて、作るものはいつも最初で最後だから設計には予想が重要な鍵となる。一点ものはお客さんにとっては贅沢なことだが、作る側としては非常にスリリングだ。しかし恐れていては作れない。迷っていては進まない。そんな判断と行動がともなうようになるのはいつ頃からだろうか。
今日はその後上下のジョイント穴をあけて、各部の面取りと磨きをした。朝から夕方までフル稼働してもそれだけ。このあたりの作業は形もあまり変わらず見た目はゆっくりと動く。


二段ベッドの前後のパーツを組み立てた。これだけで一点の家具といえるほどパーツと呼ぶにはかなり大きい。
午前中に上段、午後から下段を組み立ててクランプしている間に金物を買いに行ってきた。使用する金物全部を袋に入れて持つと結構重かった。これが全部装着され、マットレスが入り人が二人乗るといったい総重量でどれくらいになるんだろう。
二段ベッドってでかいだけじゃなく相当重いものなんだな。それをたった4点で立たせる。天井や壁からはフリーの状態だから、揺れるとほんとに危険。やっぱり補強は考えておこう。
市販のものを見るとそこまで強度や耐震性が考えられているものはあまりなく、二段ベッドとはそういうものと割り切った作りのものが多い。
ベッドを二段重ねてさらに分解して一段ずつにも使えるという機能性はバランスから考えると不自然だしリスクが大きい。最初に商品化した家具屋さんは勇気あるね。昔の二段ベッドは接合部もすぐ緩んでぐらぐらだった気がする。脚も細くてフェンスもぐらぐら。はしごなんて引っ掛けてあるだけでいずれバラバラに。それがうちのだけがそうだったわけではなくて、友達の家もいとこの家もみんなぐらぐらだったからやっぱりそんなもんだったんだろう。なのに子どもだからぶら下がったり、はしごを使わずに登ったり飛び跳ねたり。
そんな結構荒い使い方をされても破壊して事故になった話は聞かなかったし自分でも経験はない。なんだかんだいって10年くらいはもつような作りだったのかもしれない。
さて、僕が今作っているベッドはどうなるだろう。

一部仕上げで気持ちが逸る


寸法切りした部材の組み立て前に仕上げておかなければならない部分にサンダーをかける。
ペースを上げていきたいのにやはり面積の多さに時間を取られる。
明日から一部組み立てに入るつもりだ。この大きさだからもちろん現場で最終組み立てとなるノックダウン式の家具である。そのための金物の仕込みなどはあるが、仕口の加工が少ない分ここからは早いはず。
分解式の接合部の補強をどこまでするか迷うところだ。


厚みの次は幅の加工をする。これもまた今日一日延々こればっか。工場の中は縦引きの切りくずと粉じんでマスクなしでは息もできない状態だった。
幅が広くて長い部材が多いため昇降盤や自動鉋盤が通せず、丸のこと手押し鉋盤を使い加工する。電動工具を使い体を動かしてする作業のほうが安心感があるのはなぜだろう。疲れなければこれをずっとやっていてもいい気がする。しかし、このやり方で精度を出そうとするとそれなりの技術と集中力が必要で、どんどん刃口に顔が近付き猫背の前のめりになり気が付くと腰が痛くなっていた。
ふとマスクの中で息が荒くなっているのに気付き、もうあと数枚で休憩しようかと思っていた時に来客があった。うちの近所で最近工場を開いた新人木工家のシロオカ君だった。

この春まで訓練校で学んでいた彼がうちに訪ねてきたのは去年のこと。まだ学生ではあったが将来のことを考えて色々情報収集しているころだった。就職するか迷っていた彼が、卒業後すぐに独立し勢いで工場や設備までそろえてしまった。けっして僕が誘ったわけではない。うちも厳しい時期だったので大変だという話しかしなかったはずなのに。楽しそうに見えた?まさか。
その彼がうちのすぐ近くに工場を構えたことを知ったのはつい最近のこと。昼休みのバイクの通り道に彼の工場はあった。またえらく近いなあと思ったが。

腰も痛いし休憩だ。コーヒーをいれて話をした。彼の話は質問だらけだった。学校である程度わかったつもりでも実際に仕事となるとわからないことだらけ。僕も経験したことだからその気持ちはよくわかる。焦る気持ちも。だけどそうやってひとつひとつ自分で解決していくことが蓄積され財産となっていくので今は十分苦しめばいい。
技術的な質問に僕なりのテクニックについて話すと目が輝いて、でもそれもいつかは自分なりに答えが出るはず。本当に悩むべきはそんなところじゃないよ。「近くにきて良かったあ」って言うけど今度はバイクの話しかしないぞ。彼は昔日本GP250クラスで走ってたそうなので、僕にとってはライディングの相談相手ができたと思っているんだから。
あ、そういえばこないだのMotoGPアメリカズのレースでホンダのマルケスがスペンサーの最年少優勝者記録を塗り替えたね。30年間破られなかった金字塔がついに20歳の若者に。彼の時代がくるのかなあ。

隙間がないから始められる


二段ベッドの材料をそれぞれの部材の厚みに削ると随分量が減った気がする。
もとの厚みからそれぞれ5〜15ミリ削ったことになるが、両面を平面に削ることで削る前の湾曲や反りもなくなるため積み上げたときの隙間がなくなった。
完成品しか見ることのないお客さんにとっては、この工程は想像もできないことだろうし、実はこれこそが木工家としてのプロフェッショナルな仕事だと言える気がする。
森に生えている木を伐採し運ぶのが林業家のプロの仕事であり、それを板材や角材に製材し乾燥させるまでが材木屋さんの仕事。そのおおまかな厚みや様々な幅、ざくざくの表面の材木を直線や平面や均一な厚みに削り出し、すべての角を直角にしてX×Y×Zの数式にあらわされる直方体に加工する。それが木工家がするはじめの仕事。直方体の材料を買ってくるわけではない。
僕も訓練校で初めて知った工程だったけど、たしかにそんな直方体の、直線や平面がある木など自然にはないわけだし、乾燥の段階や時間が経つにつれ変形していく木材は組み立てる直前にこの加工をしなければ、精度はもちろん美しい家具にはならない。
自分一人でやっているような木工家という人間は、そもそも人に任せるのが嫌で独りでやっているのであり、その平面がその厚みがその直角が自分の手によるものでなければ信じられないのだ。多少の誤差があったとしても、それさえも把握しつつ作業を進めるから最後に辻褄が合うとも言える。
あれだけ時間をかけて計画する図面も、結局そのとおりに作ることなんてない。木工家は繊細で神経質で几帳面でなんてただのイメージで、臨機応変にトラブル対処できるようなフレキシブルな人間のほうが向いている。
ただ、後々の工程のことを考えるとめんどくさがりの人間ほど失敗から学習し、この工程をしっかりやっておくことの重要さを知ることになる。
そのための木工機械たちが、工場の面積のほとんどを占めているのだ。


材を木取りし基準面を削り出す。手押し鉋盤から出た削りくずがもりもり山のようになった。
とにかく部材ひとつひとつが大きくて数も多いので、すべてが大掛かりで力仕事だ。一点の家具とすれば今までで一番大きなものとなる。
削ってみるとやはり節だけでなく木表に白太が含まれているものが多く、全体的に色も浅い。経年変化で色が次第に明るくなるウォルナットだから良く言えばヴィンテージっぽい色なんだけど、ひと昔前のウォルナットのような紫がかった濃い茶色ではなくなっている。これは古い在庫ということなのか、それともこの木の生態的な変化なのだろうか。
以前材木屋さんから聞いた話では、経済成長とともに中国での需要が増え、良い材は中国に流れていると聞いたことがある。もちろん生産国でもある中国から日本に入ってくる木材は量も質も下がる一方だとか。質は下がっても値段は上がるという日本の木材市場で今まで通りのまじめな商売をしていてはやっていけないんだろうな。
流通している木材のほとんどが輸入材であるから、また消費者が求めるのが欧米のスタイルであるためにそれに合った材の選択となるのは仕方なく、製作するものとしては自由にやっているようで実は木材に縛られて制限されるのは否めない。
地産地消は理想だけど今どき杉や檜の家具を欲しがる人は稀だと思う。
日本において広葉樹は産業として成り立たない。いや、世界的に見ても木は生えているものを取ってくるしかない。それを誰が使うかということだけなんだ。

スイッチ


昨日の話から一転、材はウォルナットになった。
いつもお世話になっている材木屋さんが問屋さんまで現物を見に行ってくれて「噂ほど悪くはないけどどうする?」と今朝電話があった。
図面も書き直し材積もひろい直した後だったが、このベッドがウォルナットでできている姿を一瞬想像すると気持ちが傾き、賭けてみようと思った。
数秒後、「お願いします」と言っていた。金額的にも自分を追いつめているのはわかっている。もちろんお客さんのためでもあるが、理由を付けて納得しようとしている自分に気付いていないわけではなかった。歳をとると妥協を許すスイッチが軽くなる。昨日「すべてがあるべき姿におさまっていく」なんて言ったから、神様がおいちょっと待てと用意してくれたのかもしれない。「俺のせいにすんなよ」って。
ただ自分の目で見てみなければ本当にそれで良かったかはわからない。作ってみなければそれを見ることもできない。そういう仕事なんだ。それをするためにはまず材料を注文しなければならない。

届いた材料はたしかに、さほど悪くはなかった。しかし、選べるほどの量もなく差もなく、かといって金額的に多めにとることもできなかった。すでにこのベッドの材積分でも一件の量としてはありえない量なのだ。
ウォルナット材の特徴として節が出やすくまたその節によって木目が大きく流れて変形し、加工の際信じられないほど反ることもある。それらの材にはところどころ大きな節があった。
加工後は安定する材と言われるが、切れ目を入れるごとに変形する性質に泣かされたこともある。だけど、積み上げられたこの灰色がかった茶色を目の前にすると燃えるぜ。


もちろん自分で作るんだから、図面をどこまで詳細に書くかは自分で決めること。僕も図面なしで落書きみたいなスケッチからいきなり作ることもある。しかし今回はもう3枚目に突入。
言い過ぎかもしれないけどベッドって家具というより建築のようだ。住宅なみの坪単価で計算したいよ。
とりあえず材積が出せる段階で部材をひろってみた。すると、うっ0.3立米超えてる。ということは…
とりあえずで出した見積もりのほとんどが材料費か…ああ…
材木屋さんに聞いてみようと思い電話すると、木材も今は厳しい状況のようだ。値段はそんなに上がってはいないけど、良い材がなかなか手に入りにくくなってるみたいだ。
予定していたウォルナットは現状の品質と値段の釣り合いからすると今は却下。木材は値段が高いからいいというものでもない。良い材は確かに高いが、なにがなんでもウォルナットという気持ちもないので、今よいものという観点で考え直してみる。
それ以外でいろいろ聞いた結果良い材にたどり着けたと思う。その材のために設計も若干変更しなければならないが、むしろいい方向だと思う。
こうしてすべてがあるべき姿におさまっていくのもこの仕事をやっていて感じる不思議のひとつ。
しかし金額以外は、という話。

大きいとね


自分で描いたイメージスケッチを図面に変換する。各部の数値を洗い直し実際の加工を想定したバランスに辻褄を合わせる。ここで自分の思い描いたイメージのいい加減さに気付き、またそれを整然とした数値に都合良く置き換えていくことのつまらなさも感じる。
イメージを優先すれば数値は複雑になり、数値を優先すればイメージから遠ざかる。
また時として偶然にも図ったかのような数値のおさまりを見せるケースもある。それは不思議で快感だ。
今回の図面はほどよく複雑。複合的な構造を持つ二段ベッドは久しぶりに部材の多い家具になりそうだ。

図面を書きながら使用する材について迷っている。高級感を出すためにウォルナットでいこうかと思っていたが、重量のことを考えるとこのままだと軽量化を考えないといけない。ウォルナットより比重の軽い材を使うべきか。
こんな時代だからやはり耐震性は避けて通れない。上にあるものを軽く作らなければならないのに上下が同じ性能であればバランスでいうと上の方が重くなる。かといって補強の部材を入れると人の出入りがしにくくなる。
すなわち材そのものの剛性が必要となってくる。固くて軽い材かあ。それでいて高級感がある色と質感。チェリーかマホガニーか、鬼グルミを着色か。
図面はもう少しかかりそうなので、材に関してはその間もう少し悩むとして、問題は軽量化だな。今のままだとかなり重い。


と、製作日誌を書いていたら携帯にメールが届いた。東京のオペラシティで展覧会が始まったらしい。「みにきてよ!」とかいつもの調子だけど、なんかすごいことになってるやないか。
ちょうどこのベッドが東京納品なので見に行けそう。25日のトークイベントには無理かなあどうかなあ。

開催は6月23日まで。

SIGNの写真茶話会41を開催します。ゴールデンウィーク中ではありますが。

4月29日(月・祝)

11:00〜12:00 カメラ茶話会(参加費無料)
13:00〜17:00 表現講座(参加費 2,000円、定員7名)

午前のカメラ茶話会はカメラに関する相談、自慢話などなど。希望者がいる場合は基礎講座もしたり、バイク好きが集まればバイクの話になったり。
午後の表現講座にも参加される方々でお昼ご飯を食べに行ったりします。(うどん)

表現講座はその回のテーマに沿った講義と合評による個人の作品指導です。普段撮影された写真をプリントでお持ちください。どんな写真でも何枚でもかまいません。
作品を作ることに技術のレベルは問いません。写真茶話会は誰でもいつからでも参加していただけます。
普段撮影しておられる何気ない写真から、素晴らしい作品が生まれることがあります。
その瞬間に立ち会ってみませんか。

参加を希望する方はメールにてお申し込みください。
sign@norioyuasa.com
SIGNの写真茶話会は1回ごとの参加申し込みによるものです。続けて来られても1回のみでも楽しんでいただける内容となっています。
詳しくは「教室のご案内」を御覧ください。

ヘイ!ジュード


今日午前中にちょっといいことがあった。
モコも活躍してた。

二段ベッドにとりかかる


お待たせしている二段ベッドに取りかかる。
デザインをずっと考えていたがスケッチをいろいろ描いているうちに結局よくある二段ベッドに似てきた。おおまかなアウトラインでディテールまでは考えきれてないけど、やっぱりあの形から大きくアレンジすることができない。
それが最良というわけでもないと思う。いろんな付加機能を考えればフォルムや構造の変化もあるだろう。だけど、そういったことを考えるほど違和感を感じる。
多分ベッド屋さんのほうがいろいろ考えられると思う。そんな引き出しの少なさが原因なんだろうか。

先日修理の終わった椅子を届けに大学へ行って、デザインの先生と少し話をした中で次の仕事のことを聞かれた。二段ベッドだと言うとその先生も二段ベッドについて考えたことがあったらしく、そのアイデアを聞かせてもらったがどうもしっくりこない。
「上と下でコミュニケーションがとれる配置」
もともと子供部屋を兄弟でシェアしなければならないからこそ省スペースの二段ベッドが必要となり、仲のいい兄弟でも寝るときは別々に寝たいから上下に一人ずつ寝るのであって、水平の座標上では重なっていても感覚としては個別であり個室に近いプライバシーが存在しているはず。しゃべりながら寝たい?上下でもしゃべれるし。顔を見たい?見られたくないかも。寝るときは電気消すしなあ。
その先生の話だけでなく自分でもアイデアを考えては自問自答。結局魅力的に感じることは思い付かなかった。ひとつだけ、枕元に物を置く台をつけること、は採用。
それは僕自身子どもの頃に二段ベッドを経験していて、その時に不便に思ったことがあったからだ。
そう、それが原因かもしれない。僕自身が二段ベッドの楽しさも使い心地も切なさも知っているから、かもしれない。
二段ベッドはあのスタイルでないとだめなのか、そんな言葉にできない理由は形に現れてくれるだろうか。

マネするだけじゃだめー


リートフェルトのRED&BLUEchairの破損箇所は背板の部分。一見「これどうやってついてるの?」と思わせる直角に対して斜めの平面。それがこの椅子の印象的なところでもあり、名前にもなっている赤と青の長方形が絶妙な角度で取り付けてある。
しかし、デザイン上最も理想的なのは厚みゼロではあるが現実的にはあり得ないので極限まで薄い板で作られている。それから生じる問題は強度と、それをどうやって取り付けるかだったと思う。
分解し、とりあえず汚れを洗いながら隅々まで観察した。たしかによく考えてある。
直角の角材に対し斜めに取り付けるために金物を使用してあった。この小さな真鍮性のナット、これがミソだ。破壊してみないとわからないナットの正体。知りたいからと破壊した人はいるだろうか。
そして板の材質や特殊な塗装が合わさって強度を出している。この塗装はすごい。
種類としてはイージーチェアでゆったりとした角度がついているが、これもイージーチェアにしたかったわけではないのだろう。平面に座るということはやはり見た目のイメージどおり座り心地も悪い。それを座面と背板の角度を大きく傾けること、それとひじ掛けをつけることにより、体重の分散を狙っている。深く腰掛け背板に体重をあずけ、アームに肘を掛けさらに足を前に投げ出す体勢で座らせることにより、イメージを裏切る座り心地となるのだ。まさに教科書どうりのバランスで。
もちろん直線と平面のデザインがまずありきだとは思うが、この座り心地の意外性を強調するための直線と平面にもなっている。
しかし数値的には教科書にものっていることで、ちょっと勉強した人なら何のことはない角度であり、構造も作り方も基礎の範囲。機械があれば塗装前まで多分一日で完成だろう。だがこの椅子のすごいところは、100年前のデザインであることなのだ。
僕らが目にする教科書や手引書のもちろんそれ以前であるし、電動による木工機械が発達する以前の加工法によるもので作られ、さらにこういったモダンなデザインが世界のどこにも存在しない時代、まさに常識はずれであったろうにも関わらずその後の工業デザインに大きな影響を与え続けて100年。いまだに愛され、またこれから学ぶこともできる貴重な教材となっている。

でも、家具もデザインも100年間何をやってきたんだ。

修理ができてとりあえず在庫と一緒に置いてある。
我が家にリートフェルトがあるよ、すげーな。

たのしんではるわ


毎年後期の授業として家具製作を教えに行っている畿央大学からお呼びがかかり行ってきた。
その授業の担当の準教授の先生が頼みたいことがあるという。それはあの有名なリートフェルトの椅子を修理してほしいということと、ご自分の研究としての椅子の製作を依頼したいということだった。

デザイン学科の資料としてその大学には歴史に名を残す名作と呼ばれる椅子がコレクションとしてあり、エントランスホールにずらっと並べられている。それらはただ展示されているだけでなく、その準教授の先生の方針で学生が自由に触れ、座れるようになっている。まあ本当は見るだけという体裁ながら、誰が監視しているわけでもなく、それをそこに展示したのはその先生で、その先生が何も言わなければだれも咎める人はいない。それらの椅子の価値を一番理解している人が「それでも触りたいやつは触れ、座りたいやつは座れ」と考えているのだからそれでいいのだ。
しかし学生のことだから扱いが雑なやつもいて、傷が付いたり汚れたり、そして今回ついに破損してしまったので修理ができないかと相談されたのだ。そうは言ってもやはり何十万もする椅子たちであるから。

そんな話と先生の研究のための椅子の概要をお聞きした後、研究室を出て玄関前へ。この新年度にあわせて学校のモニュメントが完成したのだ。そのモニュメントはその先生がデザインを任されたものだった。
この大学の「健学の精神」が刻まれた石碑とそれをデザイン化したオブジェだった。しかしその説明をご本人から聞いていると、どこまでが仕事でどこまでがアートでどこまでが遊びなのかわからなかった。学長から直々に依頼があってしたことでありながら、話を聞いていると全部が遊びのようにも聞こえてきておかしかった。構造や材質に関することはさすがにプロの仕事を感じさせるのだけど、それをアートに変換する時点でふざけて、いや楽しんでおられるようで。

三つの精神を表す金属製のアーチ。その一番背が高いのは「美の精神」を表していて、そのてっぺんから不思議な糸が一本垂れている。
どこかから飛んできて引っかかったようにも見え、何かの手違いで外し忘れたゴミのようにも見えるこの糸は、他の部分の硬質なイメージからあまりにも違和感がある。
しかし先生が言うにはそれがこのモニュメントの一番重要な部分であるらしいのだ。
「モニュメントなんてつまらない。除幕した瞬間がモニュメントの死だ。」と言う先生は、自然に勝るデザインは存在しないとも言われ、このたよりなげに風に揺れている糸が作り出す連綿と移り変わる線の造形こそが真のモニュメントであり、今後このモニュメントが生きていくための装置であるということだった。
うーんなるほどと思いつつも、モニュメント自体はそれをメインに感じさせるバランスではなく、ほんとに取って付けたような糸の存在感。かなりの反対があったとおっしゃってはいたが、まるで「○○参上!」の落書きのような本人のしてやったり感がおもしろい。
写真を撮ろうとすると、「そんな人間が作ったカメラ如きに写るはずがない」と言われたが、確かに何度シャッターを切ってもその瞬間の形や動きは写せなかったし糸すらも写らなかった。(ということで一番テキトーに写した一枚をアップすることにした)
今日の出来事に関する僕の感想は、ああうらやましい。

妖怪ほうほう


仕上げのワックス塗装を終え明日の発送まで乾燥する。
意外な注文だったけどなんだか楽しかった。この小ささゆえにスピード感もあって、本当のサイズの椅子がこれくらいのペースで作れたら商売だって成り立つのになあと思ったり。
最近はとくに形を作ることに迷いがなくなってきた。うまくなったとは言えないが早くはなったと思う。
思えば師匠はそれがとても早かった。持ちうる道具を駆使し、そんな使い方ができるのかと感心させられた。
それはもちろん取り扱い説明書には載っていないし、木工の手引書にもないような独自の方法もあった。
多分今の僕と同じように、ここをこうしたいという時に道具を選び加工法を工夫しているうちに身についたことなんだろう。
誰かにこうしなさいとか、調べてスマートな方法を試すとかではなく、自分がやりやすいとか気持ちいいかという基準で選ぶ。それは決して効率が良かったり精度が高かったりするものではない。ただ自分の頭の中での解決が早いだけで、質を上げるにはやはり自分の手の熟練度を上げるしかないという潔さみたいなもの。
どちらがいい悪いということではない。むしろ独自の方法は間違っている可能性だってあるし、何らかの理由でそれができなくなったら代替案を一から考えなくてはならない。しかし、「その先にあるもの」と考えたら可能性はきっと独自の方法にこそあるんだと思う。方法による結果の違いを認めるなら、人と違うから良いという評価を求める世界において、方法の選択は自分の内面に向かっていなければならないと思うから。
わからなければ「外に目を向けよ」という教育を僕は受けてきた。それではうまく立ち回れない性格や生き方もあると身を以て知った。

ただ、結果が同じであった場合にどう判断すればいいのか。それを恐れなければならない。

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