そう言われても。
友人は僕が何か相談したいことがあると思っているらしいが、別にそんなことがあるわけじゃなかった。
だけど、彼が察するように最近僕は何かに苛立っているというか、満たされない気持ちがあることは確かだ。
仕事に不満があるのかと言われてもわからない。日々忙しく、次々と新たな案件が積み重なっていき、必然的に複数を同時進行している状態。
ひとつ終わればまた次と、どこに区切りがあるのかわからないくらい延々と続いていて、この数年はあっという間だったし、振り返る暇もなかった。この先もそうやって望まなくても実績は積み上がっていくんだろう。仕事というのはそういうもんじゃないのか。
やるべきことははっきりしているし、だからこの忙しさは充実とも言える。この先どうなるのかとか、どうなりたいかとか、例えば自分の理想があってそれに沿わないことをしていると感じれば不安になるだろうし、それを仕事のせいにするなら不満を誰かにぶつけてしまうかもしれない。
だけどそうじゃない。僕はただわからなくなっているだけなんだ。迷子のように。
状況に身を任せていれば必ず結果に辿り着くものを、あがくつもりなんてない。
僕はビールを一口飲んで、少し考えたけどやはり今ここで話す言葉が思いつかなかった。
「あのさ、別に相談したい悩みとかないんだけど…
あ、すみません女将さん期待させてしまって。豚玉とネギ焼きお願いします」
女将さんは何も言わず少しがっかりした表情で料理の材料を取りに行った。
「なんだ仕事の悩みじゃないのか。まああんないい会社で働いててそれもないか」
友人はうまそうに砂ズリ焼きをひとつ食べて、グラスのビールを飲み干した。
「だけど… いいや、今日はお前の話を聞くつもりだったんだ。なんでもいいよずっと喋ってろ」
「また、乱暴な言い方だな。
じゃあ… さっき、お前月見えたの?」
「月?ああ、ちらっとな。そうだお前こそ、なんかあんのか月に」
「ああ、あの月齢の月にちょっと思い出があって。子どもの頃なんだけど、凄く印象に残ってる。
うちのじいちゃんが林業をしてるって前に言ったことあっただろ。うちの村ではその伐採期の終わりに行う神事があって、それにじいちゃんが一度だけ連れてってくれたことがあったんだ。その時、さっき見た月と同じ月齢の月が出ていたんだ。
神事と言ってもストーリーのある能のようなものだった。焚き火の火に照らされた何人かの人の輪の中で、じいちゃんが面をつけて舞っていた。意味はわからなかったけど、少し怖かったのと、よく知ってるはずの大人達がその時は別人のように見えて不思議だった。見上げると山の向こうにあの月が出ていて、なんというか全てがひとつの景色になって完成していた。
それ以来、なぜかその月齢の月を見るたびに気持ちがざわつくというか、何かが起こりそうな気がするんだ」
「なるほどね、だからさっきぼーっとしてたのか。だけどそれもなんか他に理由があるような気がするけどな」
「他の理由?」
「そう、そんなことを思い出すのも、何か理由があるんじゃないかってこと」
目の前の鉄板で女将さんが僕らのお好み焼きを焼き始めた。
熱せられた鉄板に材料が触れたときの音が、無性に食欲をそそった。