なぜならあたたかいと判断する体
2014 年 1 月 3 日 by SIGN
年末から長野に帰っていて気付いたことがあった。
奈良で感じていた寒さが長野ではあまり感じないということ。気候の違いというより体の仕組みのように思う。
気温で言えば積もった雪が固まらないくらい、はるかに低い温度のはずが、薄着でいても平気で手もかじかむことなくむしろ熱っぽく、雪だるまを作るくらいの作業で汗をかくくらいだった。
順応?
だとすれば体が寒冷地仕様になるにはほとんど時間はかからなかった。
もといた場所の環境から次への変化を想像すると、その変化の量ばかりが目に留まり、そこにあるだろう厳しさにおののいてしまうけど、体はすでに順応する機能を持っている。所詮この世界にあることだ、そのへんはうまくできていて当然ということなのか。
僕の親が言うには、いつもよりあたたかい、とはいえマイナス5度がマイナス2度になった程度なのだが、そこに住む人間が感じる暖かさを僕も感じられる。奈良では2〜3度でがたがた震えているというのに。
価値観まで変化する順応とは不思議。いや、数字にだまされてるのは普段のほうなのかもしれない。
比較される「寒さ」は恐れなくてもよい。