家具を作っています、家具屋ですから
2013 年 7 月 2 日 by SIGN
再塗装したテーブルを納品してきた。
表面を削り着色をし直し、もともとはウレタン塗装だったのを新たにオイルとワックスで塗り直したとは言え、元の場所に納まるとそのたたずまいには歴史を感じさせる何かがあった。
依頼者のお父さんから結婚祝いにプレゼントされたいくつかの家具のひとつ。それから30年愛用しているという。
そうやって「このテーブルはね…」と語られるたびにその家族の歴史も再確認される。それは家族の記念碑として。
そのテーブルはそういう思いを背負えるだけのいい仕事がしてあった。不粋ながら購入当時の値段を聞くと、換算すれば今の僕が作る家具とそう変わらない値段だった。量産品と一点ものとの価値の差はあれど買う人からすれば出費は同じ。そもそもそんな思いを背負うことがオーダーメイド家具の存在意義でもある。はたして僕の作る家具はどうなのか。
コストパフォーマンスを追い求め、安いということが好まれる時代。逆に高いということで満たされる人もいる。
またそれらが視野に無いかのような技術と知識で押そうとする職人もいれば、自分の仕事量を減らし素材の良さだけで勝負しようという木工家もいる。
そんな市場の原理や作り手の仕掛けに関係なく、持ったものをただ愛そうとする人もいるのだ。
そんな思いを背負える家具なんてどうすれば作れるのか。
そのヒントが今回のテーブルにはあるような気がした。たたずまいを醸し出す何か。意味は使う人が決めること。だとすれば人に対し働かなければならないということ、なんだろうか。