SIGNの写真茶話会の最終回
2013 年 5 月 19 日 by SIGN
今日は4年半続けてきた写真講座「SIGNの写真茶話会」の最終回だった。
続けて参加されてきた5名の方々の作品を、夜9時までかかってすべてを完成まで漕ぎ着けた。
図らずも第1回から参加されていた方の作品が最後の合評となり感慨深かった。
写真専門学校の教員を辞め木工に転向した時に「もう写真の仕事はしない」と心に決めた。僕にとっての写真表現とは教育であり作品指導だと思っていた。学校を去ること、それは写真を捨てることだと。
しかしその封印は、いくつかのきっかけが重なり数年後自ら破ることとなった。
僕が教員を辞めた後、教え子たちが卒業後華々しい賞を受賞し、僕が関わった作品が次々と出版され、近年の写真家としては異例ともいえる扱いでもてはやされ、教員の時に抱いていた「写真界を引っくり返してやる」という野心は僕が写真界を去ってから叶えられたのだった。それはまさに実績は彼等にあることを示し、僕が理解するためだと思っていた。
しかしある時、木工家になってから知り合った人から一度だけ写真教室をしてくれないかとの依頼があった。その誘いに僕は我慢できなかったのだ。それに対する返事は仕方なしにという感じではあったが、内心ではすごく嬉しかったんだと思う。また授業ができるということに。
3回で終わったその写真教室の後、それで終わりにするという自分との約束とは裏腹に、ふつふつと僕の中では欲がわき上がっていた。もう一度、いやもっとやりたい、どうすればいいのか。
そうして始めたのが「SIGNの写真茶話会」だった。場所を借りるお金がないので自分の工場をその日のために大掃除し、最初は知り合いや前回の写真教室の参加者に声をかけ、ホームページでも告知をした。
本業に差し障りのないようにと言いつつも、毎回講義と合評による作品指導を行う本気の写真講座であることがやりがいだった。またそうしているうちに、僕の中では欲望が膨らんでいった。もう一度学校で授業がしたい。
しかしそれは引き返せない道であったし、すでに木工家としての道もある。それでもふたつを両立する方法はないものかと、ここ数年あがいてきた。そのふたつがけっして両立できないという思いなどなかったかのように。
昔の知り合いや学校をたずねたり、木工を続けながらできることを条件に調べた近くの大学に書類を送ったりもした。
だがそれらはすべて空振りに終わった。僕が示さずとも「実績は彼等にある」ことは世間からすれば当たり前のことだった。僕にはなにもない。
そして僕の欲求で始めた写真茶話会も、なんの成果も出さずただ欲求を満たすだけのものであってはいけないと思った。続けて参加されている方もいる。彼等の作品を全て完成させることをもって終わろうと思った。
その期日が今日だった。
また欲求に耐えられず、何食わぬ顔で始めるのかもしれないし、もう再び写真を教えることはないのかもしれない。
今日の閉めの言葉で言ったように今後のことは一切考えてはいない。本当にただ終わるというだけ。
参加されたみなさんの作品はどれもすべていいものだった。それが写真茶話会の意味となり、実績は彼等のものとなる。
写真よさらば。なんべんも言わせるな。
お忙しい中で、工房を片付け新しいことを始められ
それがどんな小さな集まりであっても続けてこられた
お疲れ様でした(ひとまず)。
所詮自分の決心や誓いといういうモノは紙切れ程の重さでしか無く
時にはそれを頑なや頑固で補ってしまうことも多いです。
体だけじゃなく心まで年をとると柔軟性がなくなってくるように感じます。
だからでしょうか、五十を過ぎても楽しめそうだと思ったら、周りからどう思われても
ちょっとバカになって(もともと、かなりばかなのですが)やりたい事を出来る範囲で始める事にしています。
はじまりがある事には終わりがありますからいつか
バイクから降りる時もくるのですが、
その時が楽しいと思えるなら続けられるだけ続けてみます。
「写真よさらば。」
どうぞ、楽しいとまた思えるなら何度でも言ってあげて下さい。
私も機会があれば一度参加させてもらいと思っていましたから
じゃぁ また
ありがとうございました。
4時間オーバー、ほぼ2回分の写真茶話会でした。
まさに、もぬけのから、と化したのではありませんか。
ご家族にもご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
でも、本当にありがとうございました。
昨日も、この4年半も。
写真も、表現し世に働きかけるという行為についても、教えられ考えさせられた時間でした。SIGNでなければ、私は続けられなかったでしょう。
「橋を渡り」新しい地に踏み入れていることを自覚し楽しみます。
今後は、また違うこと?で、たくさん一緒に楽しませてください。
本当に、ありがとうございました。
昨日は どうも有り難うございました。 妻もとても喜んでいました。
昨日で終わりかとおもうと残念ですねえ。また 始まることを期待しています。
電気屋さん
ありがとうございます。
決心や誓いなんてするもんじゃないとは思うんですが、物事をひとつずつしかこなせない性格なもので、重心がそこにのっかってしまわないと気が済まなくなってしまうんです。
そしてやりだすとそればっかりになってしまい、やりきって終わる。その繰り返しです。
僕にとってはライダーも復活組でもう降りることは考えられませんから、写真もまたそんなふうに「こんにちは」というきっかけを待ちたいと思います。そのための終わりです。
おっしゃる通り、今の僕に「楽しそう」と思わせることがあればですけど。
なんべんも言わせるな、とはそういう意味です。
って言いつつなんですが、今度お伺いした時にちょろっとお見せしましょうか?
写真をプリントにしてご用意下さい。何枚でも結構です。
銀じ郎さん
ライダーひとりで8時間耐久はやっぱり長かったですね。
ほんとに長い間お付き合い頂きありがとうございました。
銀じ郎さんがいたからこそ続けられた茶話会でした。
写真を全く知らなかった方がこんなにも上達され、さらにすばらしい作品を完成されるとは。
写真は写真を知るだけではだめだということを、写真以外のことが重要だということを再認識しました。
あなたは私の写真論そのものです。(これ言って欲しくなかったですか?なんつって!)
作品を作るだけでなく、その意味を自分で考えまた活用されていることも嬉しく思っていました。
またお仕事に役立つことがあれば遠慮なく、僕をいつでも使って下さい。
ツーリングも行きましょうね。
ヒデシローさん
奥さんの作品は御覧になられましたか?
何冊ものポケットアルバムに入れられた写真の束があんなふうになるとは思わなかったんじゃないですか?
なにげない生活の中で気付かないことが写真には記録されています。
言葉数が多い奥さんですから大事なことが隠されて拾い忘れてしまいがちですが、枝葉を整理してみればこういうことだったんです。
合評の際、みんなの前で言うと照れて「やめて〜」となりそうだったので言わなかったんですが、多分カリーナは気付いていたと思いますが、あれはラブレターですよ。
写真が嫌いで、撮るのも撮られるのもおうちの写真館も大嫌いだった奥さんが、自分が写っている写真を含む作品を認められるようになったのは、写真を撮る時にいつもそばにいるご主人のおかげだったというわけです。
隠されている言葉は「ヒデさん、ありがとう」ですよ。よかったですね。