塗装前に焼き印を押した。
今回のスツールは自分でも気に入っている。オーダーメイドでありながらオリジナルに近い感覚だ。
少しずつこういったものづくりができるようにしていきたいと思う。
お客さんのイメージを探りつつそれに応えるようなことから、自分の中にあるものを認めてもらえるような仕事へと。
こないだの写真茶話会でふと出た話題から、昔ある人に言われた言葉を思い出した。
「教師はどこまでいっても教師であり、表現者にはなり得ない。教師を辞めなさい。」
誰かのためにすること、誰かの手助けを生き甲斐にすることはある人にとっては尊い仕事である。しかし、すべての視線が自分を通り越していくことに我慢できるならば。
自分はこんなに良い授業ができます。自分はこんなにすばらしいオーダーメイド家具が作れます。と威張ってみても、被災地でのボランティア活動を誰かに褒めてもらいたがるのと同じようなこと。そんなことはむなしい。
自分から誰かに与えられるようなものは何もない。それを卑下することなく受け入れられるかどうか。自分を通して出てくるものがたとえ矮小であっても誇張せず自分でそれを認められるかどうか。好きになれるかどうか。
人のためと言うのをやめなければ、上の答えはすべてNOだ。
それでも誰かが自分を待っていると答える方が前向きな気がする。
一回目の塗装を終え乾燥中。気温がまた低くなり一時大雪になりそうな降り方をする。ゆっくりと油が固まるのを待つ。
このスツールいいですね。
カウンターテーブルからの一連のお仕事は、ブログから拝見させて頂いても、爽やかさを感じています。
時間と金に追われていたらなかなか思った様な表現は遠ざかります。
手でサンディングならではの曲面も美しいと感じます。
リフォームをはじめてから、新築とは違った面白みを感じています。
それは、今既に住んでいるその人やスタイルとの競合というか、うまく言えないのですが、自分も自分がやりたくない事はやらないのだけど、自分だけでは出来なかった形を、その人の望みを聞いて、やっていくうちに、自分が、もらったという感覚です。
実際には、出来上がった時に、私の手を使ってオーナーさんが設計し、作られたという感じの仕事が出来た時に今は、満足を味わっています。
「ゆっくりと油が固まるのを待つ。」
「誰かが自分を待っている」
待つ事は、ゆとりがないと出来ない尊い仕事、いいですね。
「教師はどこまでいっても教師であり、表現者にはなり得ない。教師を辞めなさい。」
つまり、私は表現者なので、どこまでも教師ではないのかな。
それにしても、スツールかっこいいね。
電気屋さんありがとうございます。
確かにきっかけはお客さんからです。自分一人でオリジナルを考えていたらなかなか発想できないこともあります。
待つ仕事は僕は結構得意なほうですね。普段からぼーっとしてますんで。
Saltさんから聞いた話(いただいた資料?)だったでしょうか、教師と預言者の話にもかけてみました。
ただこの話をある人に言われた時は主体が自分か他人かみたいな意味だったように思います。自分が前に出たい、自分を見てほしい、自己表現をするのが表現者だと。
また一般的に先生をしている人に有名な作家はいないということ。作家が講師をすることはあってもです。時間的なこともあるでしょうが、やっぱり力の入れ様だと思います。
Saltさんみたいに両(多種)立できる人っていないんですよ。
僕なんかは特に一個ずつしかできません。