授業初日前日にしてやっと教材の準備ができた。
それも心配して訪ねてくれた花火師の友人の助けがあって。
なんでこの時期にと思った。
この角材の加工だけでなく、地区の自治会の活動にも迷惑をかけ、やっぱり行こうと決意したプロップスでの福島行きも行けなかったし、その他にも細かい予定はすべてキャンセルした。
僕に、色々悩んでいたこと気にかけていたことや雑多なことを一度に放棄させるのに、非常に効率のいい方法だったとは言え、あんまりだと思う。誰に文句を言うわけではないが。
1週間という時間が、ながーい1日のように今は感じられる。
その間に考えたことは多分これからの自分のやり方に方向を与えるものになるんじゃないかと思う。
お見舞いに来てくれた幾人かの知人の励ましの言葉には、共通する指針が含まれていたような気がする。
そう感じる僕の中には、多分その前からその種が存在していたんだろう。
やってみようと今考えていることは、この状況から限られた僕にできること。もうそうするしかないと気付くまで、まだなんとかなるだろうと思う余地すらない徹底した追及の始まりにさえ思え。ひどいなあ、と思う。
久しぶりに我が家に帰って寝床に付くと、色んな音がこの谷間に溢れていることに気づく。
遠く聞こえる山麓線を走る車の音、バイクの音、救急車の音、近鉄南大阪線橿原神宮前行きの電車の音、踏切の音、虫の鳴き声は無数の重なりが鼓膜の奥で唸り、蛙の一声で、一瞬すべての音波の谷間が訪れたりする。
明日会う今年の学生はどんなだろう。