アースデイは1969年から
2011 年 4 月 24 日 by SIGN
今日はアースデイならsouth2011に参加してきた。
第一回目からいろんな形で関わってきたイベントで、時にはステージで演奏したり、スタッフとしてお手伝いしたこともあった。
しかし今年はなんと国際森林年にちなんで講演のようなことをさせていただいた。
実行委員のSaltさんから「木の話」をしてほしいという依頼があり、ずっと何を話そうか考えていたのだが、その依頼があった時から震災のことや仕事の納品のことや作品制作のことで頭が占領されることが多く、結局当日までその内容についてまとまらなかった。
ステージ直前で伝えたいことは決ったものの、話の筋がまとまらないままマイクを握っていた。
上手く話せず、なさけなかった。
主催者のいとまんさんには「よかったよ」とは言ってもらえたけど、Saltさんにも「期待していた内容」だったと言われたものの、僕としては満足のいく出来では決してなかった。
もしあの講演を聴いていただいて、このブログを読んでくれている方へ、僕があの話で言いたかったことを書いておきます。
『木が好きだと言うけれど、そんな得体の知れないものを簡単に好きって言っていいのでしょうか。
木以外のものでも、どこから来て誰の手を経てどうやって自分の手もとに届くのか知らないものって多いと思います。
そしてそれを知れば選ばないものもきっとある。
またそれを知っていれば、それがふいに失われた時にうろたえることなく、文句を言うことも無いのではないでしょうか。
森林の乱伐や自然破壊だけが悪いのではなく、それを知らずに使う人にこそ責任があり、人はもっと手の届く範囲で生きていくことができるような気がします。』
人はもっと手の届く範囲で生きていくことができる
そういう生活を意識しなくては、と思います。自分がかかわれている、と実感できる範囲を大切にしたいです、いや、そうしないと、えらいめにあいます。
アースデイのイベントで言うようなことではなかったかもしれません。
上手く話せてたら、本気で地球環境のためにエコロジーな生活を考えている人に怒られてたかもしれません。
話が下手で誰にも伝わってなかったですが、Saltさんだけには伝わったらしく、スピーチが終わった後にっこり握手。
僕には「森を大切に」なんて誰に向かって言ったらいいのかわかりません。
手の届く範囲というのは、手を届くところまで伸ばすことも意味します。制限を作るということではなく、かかわって知る可能性も自分には与えられていますよね。
現代人は、目の前にある「断片」の、しかも「表層」しか見ていないことが多いです。
文明の発達は分業化を加速させてきました。効率を追求することによって多様性は失われます。
森の断片が、机や椅子のかたちを与えられたとしても、それが森を感じさせる断片であるような家具だとしたら、それこそが、家具の中の家具と呼べるものではないでしょうか。
私は風や波の断片であるような音楽を作りたいと思います。
いつも無理難題にトライしてくれてありがとう。
聞きたかったなぁ、その話。
私がベジタリアンになったきっかけも、似たような感じだったかも…
次遊びにいった時、またじっくり聞かせてくださいね(^^♪
こんにちは☆
アースデイならsouth2011でお世話になりました、
アンニョン・クレヨンのアンニョン美子です。
「木の話」、とっても聴きたかったです!
時間が間に合わず、とても残念でした。
ぜひ、またの機会に聴かせていただけたらな、と思います。
終了後、私達のステージについてなど、色々と心に残るお話をいただきまして、
本当にありがとうございましたm(__)m
またぜひお逢いできればと願っております。
ブログの最後の一文、何度も読み、考えさせられました。
ありがとうございます。
そして、湯浅さんの作品、とっても素敵ですね!
じっくり見させていただきたいと思います☆
いやいや、木工家としてはまだまだです。
こんな無茶なオファーは僕をよく知るSaltさんだからです。
何かと引っ張り出そうとするんです。
ありがたいっちゃあ、ありがたいんですが。