これによってしか作れないもの
2010 年 3 月 11 日 by SIGN
素材であれ、手法であれ、僕は、それによってしか作れないものを作っているだろうか。
そんなことを考えながら、目の前のガラス作品を眺めていた。
以前作らせていただいた、あの泣ける募金箱の仕事を振っていただいた、ガラス作家の丁子恵美さんが、奈良市学園前で個展をされていたので観にいってきた。
少し煮詰まってきたこの頭をクールダウンしたくて、また違った刺激を受けたくて。
ものづくりをする者として人の作品を見る場合、どうしてもひねくれてしまい、その形になるまでに作家がどれだけ考えたか、試行錯誤をしてここに至ったかを読もうとしてしまう。僕はその時、第一印象や”パッと見”の感動が、できるだけ早く流れ去っていってくれるのを待つ。
丁子さんの作品は、今までに見たことのないガラスアートだった。
もちろん立体でありながら、絵画的で、リズム感があり、動きがあり、ゆらいでいた。ガラスなんだから当たり前なのに、透明感を強く感じた。
彼女の作品は、素材がすべて完全な平面の板ガラスでありながら、作品のどこにも直線や平面がなく、細かいパーツであっても必ず歪みをもたせてある。それが無意識に働きかける柔らかさのようだ。しかし、歪みという事なら吹きガラスの方が歪みそう。どうもそこにメッセージがありそうな気がした。
板ガラスが素材なのではなく、完全な平面が素材なのかも。その平滑性を保ちながら歪ませることで、あの透明感を表現している、ってのはどうだろう。
今度恵美さんに会ったら聞いてみよう。頭もちょっとほぐれた。