「アキラくんの仕事って、たしか繊維の会社だったよね。ENGIだっけ」
そう言いながら女将さんは、僕らの前の鉄板に油壺で油を薄く引き、焼き上げたばかりのお好み焼きを運んできた。
「はい。木から糸を紡いで編んだり織ったりして布を作る会社です」
「最近はアパレルブランドも人気だよな。いただきまーす」と、友人はコテで豚玉を切り分け、ひとくち頬張った。
「ああ、俺はそこのリサイクルファブリックの部署で働いてる」
「え?リサイクルだったら製造の方じゃないの」
「いえ、うちのアパレル部門が好調なのは、もちろんデザインとか機能性も好評なんですけど、在庫や中古まで回収してもう一度分解して糸から紡いで再生しますってコンセプトが話題になったんです」
「へえそうなの… 知らなかったわ。でもそんなこと、手間がかかるだけじゃないの」
「それが、これはどこのブランドもそうなんですが、生産した製品の50%以上が実は売れずに在庫になっていて、セールで売ったり海外で売ったり寄付したり、それでも残ったものは廃棄です。うちの服は木から作られるので、原料を大事にしたいという社長の思いからリサイクルを始めました。
各店舗から在庫を回収し、ユーザーからも特典を設けてうちの古着を集めて、新しいデザインの服を作るサイクルにしたんです」
「えーおばちゃん知らないの? 随分前に賞とか取って結構話題になったのに」
「わるかったねえ着の身着のまま、目の前の鉄板がこの世のすべてなもんで!
ごめん話しかけちゃって、早く食べな」
「はい」僕はネギ焼きをコテで口に運んだ。甘辛いすじ肉とこんにゃく、荒く刻んだ九条ネギがたっぷり入ったネギ焼きに、女将さん特製の柚子ポン酢の酸味が最高だった。
その後話題はなんでもない世間話になっていき、女将さんは他の客の相手で忙しくなり、3本目の中瓶を空けた時、友人はまた僕に居直って話しかけてきた。
「それで一体何が気になってるんだ。今の生活に不満なんてなさそうだし」
「ああ、そうだな…
ひとつ聞いていいか?」
「なんだよ」
「お前、月がどの方角から昇るかわかるか?」
「また月かよ。
昇る方角って、東からだろ」
「だけど、真東じゃないよな。一定じゃない」
「そりゃ季節によってずれるんじゃないのか、太陽と一緒で。冬は南寄り、夏は北寄りってことだろ」
「それが、そうじゃないんだ。今まで誰に聞いてもお前と同じような答えだったり、わからないって言われたり。ちゃんと答えられる人がほとんどいなかった」
「なに、じゃあお前はわかるのかよ」
「いや、俺もわからない。だけど、今までに二人だけ月が昇ってくる方角を言い当てた人がいたんだ。一人は俺のじいちゃんだ。
また子どもの頃の話だけど、俺はよくじいちゃんと谷を見下ろす庭先の展望台みたいなところで、山と夕暮れの空を眺めたことがあったんだ。満月の日はその時間に山から月が昇ってくる。その月が山のどの辺りから昇るかを当てる遊びをした。だけど、俺はほとんど当てることができなくて、じいちゃんは100%言い当てるんだ。間違いなく、指さした方角から月がゆっくり昇ってくる。俺は悔しくて学校で習ったこととか少ない知識を駆使してここだ、って予想するんだけど全然当たらない。子どもだったから、じいちゃんすげー、で終わったけど。
それから大学生になるまで、わからないままそんなことも忘れていた。
だけど、また現れたんだよ言い当てるやつが。覚えてるか、ヒロキだよ」
「ヒロキって、学生時代お前の相棒だったやつか。中退した。たしか、お前とオーストラリアへ行ったよな」
「そうバイクで砂漠を走って2ヶ月かけて横断と縦断と。その旅の中で、俺はその日が満月だということを思い出して、昔じいちゃんとやった遊びをその時何気なくやったんだ。
『太陽があっちに沈んだから、月はこっちからだな』と指さした。360度地平線で、太陽が沈むのを確認し、方角は間違いなかった。だけど、ヒロキは俺とほぼ90度違う方向を指さしたんだ。
『俺はこっちだと思う』って。
正解はヒロキが指さした方角だった。
俺はまた悔しくなって、結局あいつがなぜわかったのか聞けなかった。その旅を計画した時にした約束で、途中で別れて半分の行程は一人ずつ走ろうということになっていた。だから聞くチャンスもなく、俺の方が先に帰国し、あいつと日本で会ったのはさらに半年後だった」
「そうだったな。あいつの休学届けを出したのは俺だった。あいつはまだ海外にいて、同じアパートに住んでたってだけで頼まれて。でも帰ってくるなり退学届だよ。四年の夏に」
「まったく、急すぎて話す時間もなかった。月のことなんて聞いてる場合じゃなかったよ。
その後、色んな人に機会があれば聞いてみたんだ。だけどその法則をちゃんと答えられる人、わかる人は誰もいなくて、唯一生物学者だって人が調べてくれたら、地球の公転と自転、そして月の公転が関係してるから非常に複雑だということだった。つまり、その難解な計算をそのゲームごとにやるか、統計データを記憶しているか、100%当てるってことはそういうことだと。
でも二人がそんなことしてるわけがない。俺は思ったんだ、それがわかるわからないが俺とヒロキ、俺とじいちゃんとの違いなんだって」