その村の西側の山に日が沈み夜に変わるまでの時間を、老人はいつも決まった場所に立って見届けるのを習慣にしていた。
老人の家は谷を見下ろす山の中腹にあった。その場所から見渡せる山々はこの老人が管理してきたものだった。また、この村の森林組合とともに施業に関わった山を数えれば、その数倍の広さの森を今まで育ててきたと言える。一日の終わりに山を眺めるのは、そんな自分の生き方を確認する作業であったのかもしれない。
ふと老人は今日が満月だということを思い出した。日が沈んだ山の、谷を挟んで反対の山から月が昇ってくるはずだった。同じ満月であっても季節によって昇る方角も時間も変わる。老人はその法則を知っていた。
「おじいちゃん!」
背後から老人を呼ぶ声がした。家から飛び出してきた少年が老人の方へ走ってくる。振り返り、向かってくる少年を見る老人の表情は満面の笑顔だった。
「また夕焼けを見てたの?お母さんがご飯ができたからおじいちゃん呼んできてって」
少年は老人の横に並び、老人が見ていた山の方を見た。
「ああ、木を見ていたんだよ。一本一本ね。ここから見える木は全部知っている」
「全部おじいちゃんが植えたってこと?」
「いや、全部じゃないな。あのあたりの大きな木はおじいちゃんのおじいちゃんが植えた木だ。それをずっと守ってきた」
老人が指を刺す方向に目をやりながら、少年はその話の時間的なスケールをどのように理解したのか。世代を超えるということが遥か遠い昔と感じるか、逆に自分まで辿ることができる身近なことだと感じるか。
しかし量的なスケールに関しては多少信じがたかった。見える木全部というのはあまりにも多すぎて、一本一本を覚えることなんて無理だと少年は思った。
「章ー、おじいちゃーん、」少年の母親が待ちかねて玄関から出てきて二人を呼んだ。少年と老人は同時に家の方に振り返って彼女の方を見た。その視線を感じてか、それに続く彼女の言葉はなかった。終わりかけの夕焼け空を背景に、二人一緒にこちらへ歩いてくる姿に愛おしさを感じて。「不覚…(おつかいをきちんと遂行できない息子と、気ままな義父に少しは小言を言うつもりだったのに)」
「さ、早く入って、ご飯食べよ」
玄関まで来ると家の中の明るさに安心し、漂う料理の匂いに他のことを忘れて安堵する。
老人は、彼女の世界に取り込まれる心地よさも知っていた。