今週のmotoSIGNはいよいよSRXのキャブセッティングに取り掛かることにした。
多分一発で仕上がることはないだろうから、当分はSRXはお休み。
こういう時2台持ちはいいなと思う。パリダカがあるからその間バイクに乗れないわけではない。パリダカもいいからね。
ichiくんに聞いてたこの型のキャブの外しにくさは、まあ予想していたのでそれほどでもなかった。SRXは隙間が少ないので何をするにもなかなかコツがいる。
でもサービスマニュアル通りにやっても不可能だということがわかっていただけで気が楽で、最悪ichiくんが教えてくれた特殊工具によってインマニごと外すつもりでいたから。
結局インマニをキャブにつけたまま外すことにはなったけど、特殊工具の必要はなく、少し無理した程度ですぽっと外れた。
しかし取り付けにはあまり無理をしたくないので、今後のことも考えて、外した後その工具を自作した。まあこれで安心と。
とりあえず今日は他にも用事があったのでここまでにして、キャブのバラしと調整は今週かけてじっくり夜の仕事としたい。
それにしても「マニュアル通りにやってもできない=当たり前」とか、「肝心なこと=マニュアルでは触れない」ということに慣れてしまっている。
しかしそれでもマニュアルがあるのはなぜか。それはもう一般論的参考資料かもしくはマニュアルそのものが個人的見解による解説書でしかなく、それを広めることで誰かが得をするかだ。
初心者にとってマニュアルとはその道に踏み入れる際に無いと不安なものだが、知らないことばかりが書かれていて逐一納得させられていたものが、いつか実践における情報量の少なさと実践には使えない方法論だったことに気付いてしまう。
またそこに気付かない者、不安から脱しきれない者はマニュアルに縛られることになる。結果が伴う実践を経験しなければ気付くことはないだろうし、実践によるリスクを避けようとすれば気付くチャンスもない。
技術というのはそもそも同じ結果を得るのに様々なアプローチがあるもので、何が正解とは言えない。ただ間違いないのは自分でその結果を得なければならないということで、その精度や純度が評価の基準。その評価を理解しない者はマニュアルを信じ、できなければ文句を言い、いつまでも人から教えられることをやめられない。
そしていつか、キャブレターはマニュアル通りに外さなきゃダメだ、とか言うかもしれない。
いやはや、何度も読み返してしまいました。それにしても~のくだり。
正に、真理。単車いじりも木工も、多分どんなことも。
「技術というのはそもそも同じ結果を得るのに様々なアプローチがあるもので、何が正解とは言えない。ただ間違いないのは自分でその結果を得なければならないということで、その精度や純度が評価の基準。」
う~ん、素晴らしく的確で簡潔。何も足せない、何も引けない・・・。
はぁ~、motoSIGN行きたい。
他の意味があるように思うかもしれないけど、キャブの話だからね。
まったくマニュアルを否定するわけじゃないけど、それ以外のことは間違いって言うのは違うと思うだけ。
使いこなすということは、ある意味人と違う発想も伴うし、結果よければじゃないけど自分で編み出した方法で成功すれば裏付けがあるわけだし。
だから俺はマニュアルよりichiくんを信用するってわけだ。
俺もそんなふうに信用されたいよ。
いや、キャブの話だからね。