日曜日の写真茶話会RRでは参加者の方のほとんどが集まったので、今年度のテーマについて説明させていただいた。
「楽しむ写真」
それはただ写真を楽しむということではないということ。
写真の歴史を振り返って「写真が生まれて200年近く、写真はいろんなものを見てきた。」もしくは「記録してきた。」と表現されることがある。
もちろん写真を撮影するのは人間であって、写真の歴史とは人間の歴史なのかもしれない。しかし、そういった表現がなされるほど人は写真に対して特別親しみを感じているのだろうと思う。「写真が見てきた」と。
人は外部からの情報の8割以上を視覚から得ていると言われる。とすれば人間の設計において視覚の重要性は非常に高く、またそれを記憶したり処理したりする脳の機能は計り知れない。
それはもともと個人の感覚器による情報でありながら、いつからかそれを他者と共有できるようになった。また記録されたそれは物体として残す方法により時間や空間をも超えて共感できる情報となった。それが写真である。
ときには言語を超えた言葉となり、造形表現となり、時代とともに科学的進化を遂げてより鮮明にそして迅速な伝達手段となり、読むという行為によって一人の人間の視覚は多くの人に共感されるものとなった。それが写真である。
確かに写真は見てきた。それはもちろん人によって、ということではあるが、写真が個人の所有物ではなく総称であると仮定すれば、写真が主体であるとき「楽しむ写真」とは「写真が楽しむ」写真ということになる。
たとえばそれは自慢や訴えや批判や、辛いことや悲しいことや憤りでもなく、今ただこの世界を肯定することかもしれず、そんな視覚を共有してみたい。
僕自身そんなスタンスで撮影された写真を見たことがない。だからこの茶話会でどんな結果になるかは予想がつかない。だから実験だ。
みんなどんなものを撮るのだろう。どうやって写真を楽しませるのだろう。また年度末に予定している写真展は、人が見ても楽しめるものになるのか。楽しみだ。
みんなは予想と違ってあまりの難題に唖然としていたけど。
茶話会の前日にSRXのフロントフォークのオーバーホールが終わり、当日の午前中に少し試運転してきた。
オイル漏れはなんとか止まり、新しいサスペンションオイルはやはり乗り心地も(効いてるぜ!)いい感じ。
次回motoSIGNはラジポンの巻。
「今ただこの世界を肯定する」視覚ですか。湯浅節、ますます尖ってきましたね。おもしろい。
ラッキーさん
まだ写真にも未知の部分があるってことですよ。
どんなことになるか予想もつきませんが、来年のRR展でお見せしたいと思います。それまでお楽しみに!
ごぶさたしてます。難しそうだけど楽しそう!!!
また時間ができたら遊びに行きたいです。茶話会。
スミレさん
ごぶさたです。どうです今年も面白そうでしょ。また気軽に覗きに来てくださいね。ご主人もごいっしょに。