こんなとこです奈良県庁。
建物の向こうは歩道があって車道(4車線)があって、その向こうは奈良公園。もちろん囲いはないし鹿用の横断歩道もない。
だけど、囲いや道はあればあったほうが落ち着くもの。なんでこうなたったの、このあとどうなんの、って。
指導員になるまでに、あと何度ここに通うんだろう。歩きながら、ここがホームグラウンドである自分を想像してみる。非常に難しかったが、新聞社にいたころの自分と少しだけ重なった。ああ、あれか。
指導員になるために指導員免許を取らなくてはならない。採用はすでに決まっているから話が後先になっている。そんな融通のきく、いや良心的なところもあるんだと思った。
そう考えるとこの採用にはかなりアクロバティックなタイミングが作用していた。僕が職業訓練校を卒業してから今年の3月で丸10年で、採用条件として必要とされる実務経験は10年以上だったからほんとにギリギリだったのだ。
来年以降だったらもう少し余裕を持って、免許も取って、技能検定も受けて準備万端で応募できたものを、しかしそれでは遅く今後の募集も多分ないだろう。かといってそれより前だと10年未満の僕には応募する資格も、指導員免許を取る資格もない。
奈良県においての免許の講習がこの時期になったこと。後先のトリックがあるからこそ年度内にすべてが揃うようになっている。
仮にこの3月末を目標地点とすると、さかのぼって僕が師匠に出会ったタイミングさえも噛み合ってくる。
なんだろう、こんなギリギリな奴を採用した真意を今度聞いてみたいと思う。
こんなところに書くのもなんなんですが、きのう義母が他界しまして、僕は妻といっしょに看取ることができました。
その話はまた今度しますが、じつはきょうY中学校へ、事情があって撮れていなかった生徒さんの撮影にいきます。それを撮り、すぐにプリントしてまた学校へ持っていって、そのプリントを使って自由編集のページをアルバム委員の生徒さんにつくってもらいます。
夕方、僕は妻の実家へ飛んでいってお通夜。あしたは一日中お葬式で、夜遅くに大阪へ戻る予定です。さらにあさって、ふたたびY中学校へいって自由ページの原稿をもらい、その足で奈良の印刷会社に入稿する。というギリギリの超過密スケジュールです。
この「測ったように」ものごとが動いていくことに、僕は見えない力がはたらいているとしか考えられません。どなたか存じませんが、ありがとうございます。
さあ、長い三日間がはじまります。
ラッキーさん
春よ早く来てください。