完成、そして鈴木さんからの電話
2013 年 6 月 24 日 by SIGN
白と黒の椅子が完成した。明日の午後大学へ納品しに行くことになった。
さて依頼者である准教授の先生の反応はいかに。
仕事として受けたことではあったが色々考えさせられた。
100年間、我々はこういうことをしてきたのだと、たったひとつの椅子を作ることから教えられたような気がする。
この世界に存在するものを肯定していくことだと。手を伸ばせば与えられるものをただ喜んで受け入れることを当たり前の感覚とし、それが人が作ったものであったとしても最高の価値を与え、その価値を語ることがアイデンティティーになっていく。
そんな価値が実在することを前提に、多くの人間がさらにそれを自分のものとするために模倣し、また反論し、さらに良いものに改良しようとしてきた。
いったい何の型なのか。
最初の一人はただ前時代に対するアンチテーゼであったのが、それは本当に普遍的な美(自由)の発見だったと言えるのか。いやこの椅子を作っている時に、そうであるという前提でそれに反論する人まで僕の前に現れる始末。
リデザインされた椅子を作ることにより、あらためてオリジナルの考え抜かれた計画を知ることができたのだが、それをみんなと同じように肯定するなら、リートフェルトがにやりと笑う気配を感じる。
そしてそのタイミングで駆け込みの仕事がひとつ。知り合いの建築屋さんからの紹介だった。
その方のお客さんの家に昔からあるダイニングテーブルを磨いて再塗装してほしいという依頼だった。
思い入れのあるテーブルで長く使いたいから、すり減り傷付いた天板のお化粧直しを、と。
こういう時、僕が知りたいのはどれだけ本気かというところ。再塗装と簡単に言うけれど、今の時代安いダイニングセットが買えるくらいの値段がかかってしまう。うちのような安い家具屋であったとしてもだ。
こちらも言いたくないなと思いながら値段を言う。
そこで自分がその家具に対して感じている価値を信じて貫けるかどうか。
なぜかこういうケースにはお客さんに優位性があり、僕はどんな仕事より頭を下げなければならなくなってしまう。
救いがあるなら、その建築屋さんが僕でなければと選んでくれたんだと思うこと。