ブラックチェリーで作った勉強机を納品してきた。
こちらのお宅には以前、同じくブラックチェリーで作ったダイニングテーブルを納めたことがあった。その時に確か奥さんのおなかにまだ、この勉強机の持ち主となる彼はいたんだと思う。
僕が独立して2〜3年の頃、デザインも作り方も値段の付け方も手探りで、一生懸命だったけどいつも迷いながら作っていたような気がする。
そんな僕が作った家具をとても気に入りずっと使い続けてもらっていることは本当にうれしい。時を重ねたおかげでそろそろそんな喜びを味わえるようになったんだ。
今回の注文は奥さんのリクエストでもあったらしい。それもちょっとうれしい。
依頼者であるご主人は建築設計の仕事をしていて、あることがきっかけで知り合った。そんなに近しい関係ではないけれど、前のテーブルを作らせてもらったことと彼がバイクに乗ることを聞いてからなんとなく親しみを感じていた。それだけで?そう、それだけで。バイク乗りはそんなもの。
だけど家族の中で一番そのテーブルを見てきた奥さんが選んでくれたのは光栄に思う。子どものために与えるものとして市販の既製品より遥かに高いものを、高くても使い続けることで愛着が増すことを選ばれたのだとしたら僕にとっても本望だ。それは使ってるうちに飽きて、捨ててしまうことを前提にするものとは機能的には同じであっても、優劣の比較もできない方向性の違いがある。
初めて会ったときはまだ新婚の空気を漂わせていた二人も、この家も、久しぶりに訪ねると生活の香りがした。搬入し組み立てていると持ち主の彼が外から帰ってきた。一気に明るく変わる家の雰囲気と、あの頃と変わらずかわいい奥さんが母に変わる。
新しいランドセルを、それ用に取り付けた荷掛けフックにかけてみる。
「ぴったり!」
彼が今夢中になっている図鑑を見せてくれた。早速机の本棚に納めてみる。
「ぴったり!」
そしてその中でも一番好きなのが鉱物のところで、石が大好きだという。お気に入りの紫水晶を見せてくれた。ごつごつした原石からあのオベリスクのような六角柱が何本も生えている。だけど、
「あ、それは裏にフェルトを貼ったらいいんじゃない」
「ふぇるとってなに?」
「布のことよ」
「なんで貼るの?」
「………」
いずれ君と過ごす時間とともに傷も付き汚れてもいくだろうけど、まあ今だけはお母さんの言うことを聞きたまえ。
こんな机で勉強できる小学生は幸せだなあ。
人生のこのタイミングでしか買ってもらえないものですからね。ずっと彼とともにいられれば家具も幸せです。
湯浅さん、久しぶりに覗いたらこんなにいい感じでコラム書いていただいて、ちょっとホロリとしちゃいました!
ほんと、愛着のわくいい家具を作っていただき有難うございました。
息子もメチャ気に入って使ってます。
キチンと「人の時間=命」が内包された品を子供には与えたいと思っています。人につく家具であれば尚更です。
粗大ゴミ置き場の、お金の事情だけで過去に購入されたモノたちが軽々と捨てられているのをみるにつけ、作り手・使い手・モノ・それぞれが何重にも不幸な世界だよなァとよく思います。
これからも素敵なものづくりにまい進してください。
僕も、人生の節目に湯浅さんに家具を作ってもらえるよう(できれば沢山^^)頑張りますヨ!
ありがとうカナヤマさん。でも気付くの遅っ!
末永く彼の時間が刻まれていきますように。