家紋を入れる額を磨き、塗装した。サンドイッチしたメイプルが側面から見るとピンストライプになる。
仕上がりはアクリルではなくガラスを入れ、折り畳んだ風呂敷をおさめる。
写真の展示でよく使われる無反射ガラスにしようかと思ったが、ガラス屋さんで見比べてみたところ無反射の方はどうしてもぼやけた感じに見え、風呂敷の織りや染め抜きの質感が不鮮明に感じたので透明のガラスを入れることにした。また破損の危険性などを考えるとアクリルやポリカもありだけど、その平滑性や透明度はやはりガラスの方が勝っている気がする。
一回目の塗装の乾燥中に風呂敷にアイロンをかけた。今まで使われまたしまわれてきた痕跡として折り目が付いていて、ちょうど展示する面にしわが出てしまう。それを消すのとともにこれから額に入って過ごすための折り目をアイロンで付けるのだ。家紋の部分だけ切り取ってしまえば話は早いが、半畳ほどの広さの中にはその家紋のほかにその家の屋号が染め抜かれていた。見えなくなるとは言えそれがつながっている意味はある。
今までとは違う折り方になりどうしても厚みが出てしまうため、その折り目をしっかりと付けておく。
この額を作る作業に時間をかけられるのは偶然のタイミングで、その時進行中の仕事やそのほかの仕事に少し余裕ができたためであった。その方の独立開業の事務所開きは明日。それにぴったり合わせて作れたことは何か意味があるように思う。
今こうして製作日誌を書いている時に電話が鳴った。現在東京でカメラマンをしている教え子たちと昔の同僚からだった。
その東京組の一人が実家の写真館を継ぐために小豆島へ帰るという、その送別会からだった。電話の向こうでは盛り上がっているようだったが、その席で僕に電話しようという話が出るのがうれしいやら、複雑な気持ちだ。次々に電話がまわされ久しぶりの声たちと目まぐるしく思い浮かぶ顔と姿。
この時期だからか、卒業式で彼等の名前を読み上げた記憶がよみがえる。彼等もそうだったのだろうか。
久しぶりの同僚とは学校を辞めたあの日以来。向こうは東京に行きカメラマンになった。苦労しているという噂は人づてに聞いていた。それぞれ違う道を歩みつつどちらも苦労していて、それでも教え子たちには未だに先生と呼ばれ会おうと誘われる。うれしいやら、多分複雑な気持ちだろうな。
「ブログ、いつも見てますよ」
「え、そうなの…」
彼女にとっても切り離してしまえば話は早いが、知らないところでまだつながっている。その意味はあるのかな。
見える部分
見られる所
そして見えない事
折り目正しく収め過ごしてきて
また、新しい折り目に
そんな風呂敷が羨ましくもありますね。
確かに節目を感じる時期です。
そうですね、はからずも思いのこもったものになりました。
今朝引き渡して、これからちょっとでかけます。
節目ですか、タイミングが合えばお会いしたいです。
最近私は、小学生だった教え子と、FBで「友達になる」というのを楽しんでいます。
僕も教え子たちからの友達リクエスト多いです。
みんな写真関係の仕事に就いていて、ちょっと気後れしますが。
長野で「あれ」やってこられたんですか?