おとといの土曜日に僕が木工を教えに行っている大学の卒展へ行ってきた。
今年は奈良県文化会館で開催された卒展は学科が10周年を迎える記念イベントにもなっており、過去の優秀作品の展示や卒業生をパネラーとしたシンポジウムも開かれた。
もちろん僕が手伝った作品も展示されていて、なんと今年度の優秀賞を受賞していた。担当の先生の話では授賞式のときその学生は感極まって泣いてしまったという。その先生にも学生にも何度もお礼を言われたけど、僕はほんとに手伝っただけで、頑張ったのは学生であり指導された先生の誇りであると思う。
展示作品には4年前に教えた学生たちの見覚えある名前が並び、彼等の成長を知り、なぜかせつなくなった。
学校関係者として観覧する気持ちと、そこに至る苦労を共有しない部外者としての立場とが複雑な感情を生み出す。
せめてもう少し授業をさせてもらえたら。口にすればすべてが消えてしまいそうな欲求。今でも十分非常勤としては優遇されている。それでもまだあなたは欲しいと言うのですか。
そして今週水曜日に、今までに何度か木工教室をさせていただいている小学校から依頼があり、6年生のクラスで最後の図工の授業をさせていただくことになった。
以前担任の先生に卒業の記念になるような木工の授業ができないかと相談されたことがあったので、考えた末こないだサンプルを持って行って見せたところ検討していただきOKが出たのだ。しかし小学校での「最後の図工」の授業として見合うものができるかどうか若干不安がある。
記念品にはなるとは思うのだが、複雑なことは考えていないし、それは完成すればということでもある。
今日から授業の仕込みを始めたが、はたして全員が完成できるだろうか。それに対する工夫も必要だと感じた。
そんなタイムトライアル的な授業であるのに、話することも二つ考えてしまった。いかん、子どもたち主体で考えなければ。
みんなが宝物を持って帰れるように。
午前中その授業計画がとりあえずできたころ、写真茶話会の参加者の一人が写真を見せにきた。
話の内容は自分のブログにも書かないと言っていたので、ここでも控えることにする。ただ少しだけど重要な進展があった。
そして夜に卒業制作の彼女が訪ねてきた。ちゃんとお礼をしたかったとドーナツをお土産に持って。
薪ストーブに火を入れコーヒーを飲みながら少し話をした。
もうあとは卒業式のみ、すべてのドタバタが終わった静けさのような心地よいだるさを漂わせ、過ごした時間を振り返る。
「湯浅先生のゼミがあったらいいのに」
見透かされたか。いや、もう社会人ぶってお世辞を言うようになったか。
「先生のゼミがあったらいいのに」
うれしいですね。
でも、私なら、これ言われたら魂 打ち抜かれそう。
どういう意味ですか?!
すみません。おかしな書き方で、、
別に男女の差も無く
本来、浅ましいわたしですから
その様なことばを心の中で
反芻するだろな~って事です。
決して言うことや、言ってもらうことが、問題では無く
私が言われたなら、そこから派生する
わたくし内の問題の話です。
そうでしたか。
僕にとっても難しい問題です。