形を考えるということは人を考えること
2013 年 2 月 5 日 by SIGN
写真館のスツールの脚の加工に入った。頭の中でイメージはできているが実際に作りながら微調整をしていくつもり。
この脚も削りながらスケッチの段階よりシャープな感じにしようと思った。
昨日は大学の補習授業で、今年度最後の授業だった。
補習授業と言いながらクラスの9割が参加するという、それだけ聞けばほとんど計画ミスの失敗授業だった。
朝10時から開始して夜の11時まで、時間にすれば約一か月分授業を延長したことになる。
それで一応全員が作品を完成させ提出することができたのだが、電動工具を使ういくつかの危険な作業を僕が補助することが前提の課題だったので、全ての制作に関わり、感覚として一日で18脚のスツールを仕上げたような疲労感があった。
実際終わった時には体はバキバキで、腕も腰も曲がったまま痛くて動かせないような状態だった。
なによりその疲労感に輪をかけたのはこれが補習授業であって、完成した学生から次々にいなくなり、最後の一人と一緒に片づけをして終わりで、合評もないし最後のシメの話もできず今年の学生とはこれでお別れということだった。
半年に渡って一脚のスツールをデザインして自分の手で作るという授業に込めた思いを、作品を前にして完成の喜びとともに伝えるはずが。
技術指導として雇われているのだからそこは余計なことかもしれない。だけど半年つき合ってきて距離も近付いてきたところで、ここだっという瞬間がある。
アルバイト教員はいやだ。
学生のがたがたのスツールを見過ぎたせいか、自分の作る脚がきれいに見えた。