教材を作るために昨日は一日費やした。
まず大学の授業で使う材料、その大学で初めて教えた学生が卒業制作で使う材料、そして来週行う予定の小学校での木工教室の材料。
いろいろな使い方ができるもんだ、木工機械。そして僕も。
作業をしながら一昨日その小学校の先生と打ち合わせしたことを思い出していた。
その授業の内容はそもそも近くの保育所で4、5歳児に実施するために考えた木工体験だった。
刃物を使わず、教室も汚さず、幼児の自由な感性で造形させるのがねらいであって、それをそのまま小学5年生にしていいものか。いやいいのかというより「もったいない」。
木工おじさん登場で木工体験楽しかったね。十分かもしれない。
担任の先生のお話も、それ以上は求めないですよ、という気遣いにも受け取れた。でも逆に要望がないということは何をしてもいいのかな。
きっとたった一回の授業では顔も名前も覚えられない、僕のことも彼等はすぐ忘れてしまうだろう。でも何か残したい。
先生っていう仕事はそんな個人的な欲求に支えられているのかもしれない。
参観したいところです。
「でも何か残したい。」
そうですね…そういう発想こそが生み出す力なわけで。
ちょっと、かなり?考えさせられました。
いやいや技量からしても空振り空回り覚悟です。
こないだSaltさんに教えてもらったやつを試してみたいなと思ってるんですが、こういう授業でどう活用できるか考えてます。