オタクには地位はない
2012 年 11 月 12 日 by SIGN
今日は大学で授業だった。課題であるハイスツールのデザインを考える授業で、今までの加工技術の基礎練習とは違い学生と話をする距離が近い。
2週に渡ってデザインの時間を取っていて、前半は講義をしスケッチをさせた。
講義は「秩序とデザイン」について。講義とはいえただ話を聞くだけではなく参加型のディスカッション形式で、それぞれ思い思いに「秩序」について語らせた後、それらの返答をもとに僕が「デザインとは人が作る秩序」であると定義していく。そんなライブ感のある授業が好きだ。
僕は非常勤なのでほかの先生がどんな授業をしているのかは知らない。デザイン論に関しては教授クラスの先生が担当されているはずで、僕のようなものが出しゃばることは許されないことかもしれない。それが学校というものだと思う。
技術指導を目的とした実習の授業で講義の時間をいただけるのも、担当の先生のご好意だと思う。
だけど、僕は僕の授業の時間内でしか彼等を知らないことをいいことに、彼等と担当の先生しか僕のことに興味がないことをいいことに、僕自身の楽しみも織り交ぜさせていただいているのだ。授業オタクなもんで。
しかしきっとその効果が彼等のデザインに影響を及ぼすという確信があってしているのもたしか。
彼等が描いたスケッチにはひな形の原型がわからないくらいアレンジを加えているものが多かった。
しめしめと心の中でにやりと笑いつつ表面ではクールに、後半はそれを図面に起こしながら構造を考えていくのを指導した。指導しているていでものすごく距離を縮めてみる。
講義のねらいは自由な発想でありながら構造的にも理にかなっているデザインをさせるため。逆にいえば実用に耐えうる性能を持ちながら「わたしのための」オリジナルデザインを誘発させるため。
思惑どおり最後の合評には多種多様なスツールが並びそうだ。
実はこの授業に文句をつけた先生がいたらしく、そのポイントを補うための工夫から始まった今回の課題ではあったが、そんな予想を軽く超えてしまうかもしれない。
これからの技術指導もしっかりやらねば。