気付かなければ罠じゃない
2012 年 9 月 19 日 by SIGN
大学の授業の課題を考えていた。内容と方向性は打ち合わせの通り。しかしそんな自由度のあるひな形ができるかどうか。図面を書きながらアレンジの許容範囲と、まったくの素人がアレンジしても実用強度を保つ制限を自然に織り込みたいと思った。
要は資料として配付するこのひな形図面に、基礎的な構造の解説とイメージの制限を語らせたいのだ。
ああしろこうしろ、あれはだめそれはだめを極力言いたくはなくて、デザインを考えるための資料としてそれを見れば、自由とは言え構造的な制限があることに自分で気付けるように。
そんなことを考えながら図面を書いていると、逆に崩しがたい強固な比率の結界を張ったようなひな形になってしまった。
どうかな。
イメージ力の弱い学生はこれを越えられず、高さの変更のみに終わるかもしれない。しかし実用上は理想的な構造なので出来上がったものは優等生と評価されるだろう。学校には喜ばれるか。
僕が期待するのはやはり、その結界をものともせず乗り越えてむしろ使いこなす、想像を超えた表現力なのかもしれない。
自由な奴には簡単に踏み台にされてしまう、そんな快感も実は教員にはあったりする。
罠をかけるような課題の出し方は意地の悪さなのか、あの頃と変わってないなあと思った。