テーブルは一回目の塗装までできた。けっして早くはないけど、これだけの作り込みをしてこのペースなら悪くはない。
しかしこれがこの時期、この状況でなければ。
あと一週間か。
午前中脚部の組み立てをして接着が固まるまでの時間を使って宝塚へ走る。先生に会いに。
何のために行くのか自分でも曖昧になっていた。
あまりにも強引で無茶な偶然により、会えると決まった時はいろんなことを考えた。
もう一生会えないと思っていたから。それだけのことを僕はしてきたんだと思っていたから。
謝ること、言い訳、また頼ってしまうのではないか、見栄を張りかっこつけたい。
そういったものがこの数カ月のうちに消えていった。仕事や作品制作に追われ、ドタバタしているうちに。
そういう時間が必要だったのかもしれない。だけど、会って何を話していいのかもわからなくなり、とりあえず話のネタにと教え子たちの作品を数冊持って行くことにした。
結果的にはそれらを見せることはなかった。
一緒に食事をしながら、それはとても幸せな時間だった。
恩師と写真教育について語り合う。それだけが。ほかの考えていたことなど流れ去っていたおかげで、それだけが。
先生が大学で教鞭を執ることになった経緯から、その教育方針をあらためて聞き、それに共感し、自分がしてきたことの再確認をし、裏付けを得た。こんなところにあったのかと。できることなら、教員時代に先生と話すことができたなら、あの頃の僕はどれだけ心強かっただろう。
先生とこんな話をするなんて、学生時代は想像も出来なかった。僕は先生の教え子として間違ったことをしていなかった、それがわかっただけでよかった。
でもそれがなぜ今なのかはわからない。
僕はもう写真界からは遠ざかり、木工家であり、初の個展を間近に控えている。事実上の作家デビュー。
「家具屋だけど写真のことを分かってる、それでいいじゃないか」と先生は言った。
やり続けていればその先にきっと何かある、と。
茶話会はやめるなってことか。
先生は80歳で現役。そう思えばまだまだ先は長い。
また会えると思い続けても、別れたときに終わっている物語もあり、終わったはずだと思っていても続いている物語もある。
先生は別れ際に言った。「また会おう。」
工場に戻り、作業の続きをした。