LOVE SAMBAR DAY !
2012 年 3 月 15 日 by SIGN
銀色のスバルにもう一度。
僕が初めて買った車は、スバル360R-2という車だった。
1960年代、日本のマイカーブームの火付け役となった富士重工のスバル。その後継車種であるR-2は、同じ360ccの2サイクル2気筒のエンジンで駆動方式はRR。初代スバルよりも居住性や積載性を向上させたモデルだった。
当時同じアパートだった友達3人を乗せて、中古バイクのオークション会場でのアルバイトに通い、その日の日当でラーメンを食べる贅沢。その足で夜のドライブ。男4人がちっちゃな車にきゅうきゅうに乗って走り回る姿が映画みたいでかっこいいと思ってた。
またR-2は旅の友でもあった。前輪の上にあるトランクルームと後部座席に食料やキャンプ道具を積み込んで一人旅。
フェリーに乗って四国に渡ったり、はじめて就職したのが島根県だったので、R-2で出雲を駆け巡って取材もした。
販売されてから20年選手の中古車だったけど、ほんとによく走ってくれた。僕の車人生の中でR-2と過ごした時間が一番楽しかったと思う。
その360R-2のカラーがグレーメタリック、銀色だった。銀色がほんとによく似合う車だった。
時を経て、僕が木工家になる時に買った車がサンバーディアスワゴンAWDだった。
それまでの仕事には車の必要性はなく、すっかり車に対する興味なんて忘れてしまっていたのだが、いざ仕事に使うマイカーを持つと思うと、スバルは外せなかった。
サンバーはスバル360と同時期に生まれた富士重工を代表する商用車で、他社にはない独特のメカニズムや走行性に対する贅沢な作り込みが魅力の車だった。
後に乗用車初の四輪駆動車レオーネの登場で、スバルといえば四駆と言われるほど定評があり、軽商用車に四駆のラインナップを登場させたのはスバルが初めてではなかっただろうか。
だからサンバーは四駆でなければ、という思いがあった。
小さなトラブルが多く、修理代が結構高くつくスバルではあったけど、よく働いてくれたし、家族を乗せて何度も信州との往復を走ってくれた。
その後、やっぱり仕事上もう少し大きな車が必要と思われ購入したハイエースやキャラバン。
そして、仕事する気あるのかと周りに言われつつも乗っていたランクル40やプロシードマービーなどを乗り継ぎ、ランニングコストのことに初めて気付いたのが去年のこと。
やっぱり軽に戻ろうと思ったときにふいに忘れていたその名前「スバル、サンバー」をある人にささやかれた。
調べるともうすぐ生産終了であり、50年以上の歴史があるスバル最後の車であり、そして、サンバー最終モデルにはファンが待ち望んでいた5速スーパーチャージャー4WDがラインナップされていた。
そんな生産終了の車をなぜ買うのかと思う人もいるかもしれない。確かに打ち切られる理由がこの車にはある。でもそれは企業の経営の問題や、誰が何のために決めるのか理解し難い環境基準に適応しきれない構造のためで、売れないからではないということ。
生産終了ということは、過去の車になるのではなく、これからこれがずっと最新型であり続けるということ。
それは富士重工がサンバー乗りに残してくれた喜びであったと、最新型にあえて5MTSC4WDをラインナップしたことから受け取ろうと思う。
だからもう一度、銀色のスバルに乗ることにした。多分これからが大変だと思うし、小さいし、不便なこともあるだろうけど、スバルに乗るって言うだけでドキドキする。
やりますねー、すごいですねー、正直うらやましい(それをやりたいけど出来ない自分に対してです)
「生産終了ということは、過去の車になるのではなく、これからこれがずっと最新型であり続ける」
かっこいー、そのとうり、アーメンです。
”過去に地上での人生を終了したイエスと共に私の人生も共に終了させた私は、これからもずっと最新型であり続ける”に共通する魂の響きがある。
私も最近メーカーとして終了した車両を購入しました!
どうぞ、神がY.B.Mさんの車人生の中で銀色のスバルと過ごした時間が一番楽しかったと思える時にしてくださいますように
電気屋さんありがとうございます。
やっちゃいましたよ。電気屋さんの一言が効きました。
R-2の時もそうでしたが、ちょっと無理してでも楽しい方を選ぶこと、若い頃は当たり前だったそんな感覚を思い出せそうです。
それが趣味だけでなく、僕にとっては仕事やその他のことにも関係していることだからかもしれません。
軽バン買ったくらいで大げさですけど。
ちっちゃくて速い車に荷物満載、に対する憧れはやっぱりルパンからですかねー。