開催前、実行委員会では「はたしてお客さんは来るのか。来ても例年より下回ることは覚悟するべき。」という話が出ていた。
実際、出展を予定していた多くの窯元が被災し、去年より20ブースも出展者数が減っていて、出展できるところでさえ地震によって作品のほとんどを失い、震災後に制作した作品と損壊を免れた在庫品でのぞむところがほとんどだった。
僕の妹夫婦の鴨工房も同じような状況だった。
出展する作品が少なくとも人が来なくとも、いつもどおりやろう、という声が自然に皆に伝わっていったのは、この笠間という街で作陶する陶工どうしの親密なつながりがあったからではないだろうかと思う。
また震災によってそういったつながりも深まったのではないだろうか。
僕は初めての参加だったが、そんな印象を受けた。
僕が持っていった作品のメインはスツールだった。
去年作ったウィンザースツールと、震災後に作った「くらげスツール」を並べた。
結局4月後半にまでかかってしまった仕事の後、少ない時間で何を作るのかと考えた結果、「やすらぎ」を届けたいという思いを込めた家具を作ろうと思った。
そこにいる人々に僕は家具を売りに行くという立場であって、しかしただそれだけでは済まされない思いもあって、何かを目的とすれば何かを無視しなければならなくなるような混乱も感じながら、その立場を変えずに伝えられることはないだろうかと考えていた。
その結果が「くらげスツール」。
丸い座面はフリーハンドで切り出し、曲面もフリーハンドで仕上げた。大きさによって数の違う脚は規則性がありながら統一感を外している。材も脚は共通のナラを使い、座板はそれぞれトチ、ヤマザクラ、ケヤキ柾目と質感に変化を付けた。
そんなまるでくらげの親子のようなスツールを自己主張の強いウィンザーと並べ、遠目で目を引き、近付いて和み、触って癒されるような触感、名前を見て「くらげ」でにっこりしてもらおうと思った。
そのために今までなら自分の仕事を見てくれと言わんばかりのウィンザーを比較の脇役として置いた。
思惑通り、ブースに来たほとんどの人はこのスツールに触れて行かれ、中にはほおずりする人もいた。
そんな買わない人にも大好評だった「くらげ」たちも、それぞれストーリーのある方々にすべて売れていった。
そう、人は来ないだろう、売れないだろうと思われていた予想に反し、初日からイベントは大盛況だったのだ。
毎年このイベントを楽しみにしていた人たちにとって、「それでも今年もやる」ということがどれだけ元気づけられることだったろう。
続く余震、毎日少しずつ降り注ぐ放射性物質。
好きなものを求め買い物する楽しさ。
うちのブースには、「大事にしていたお皿が割れてしまったんです。」と、同じものがないかと探しに来る人もいた。
おかげさまで鴨工房は作品が売り切れそうな売れ行きで、開催中にもう一度釜焚きしなければならないほどだった。
連れていったモコも看板犬として、お客さんを和ませていた。
バックヤードに繋いでおいたにも関わらず、犬好きは目ざとく見つけてくれる。そんな効果も確認した。
笠間の陶炎祭は明日5日が最終日。まだ行ってない方はぜひ。
おつかれさま
イベント大盛況でよかったね!
ところで。ツイッターとかFACE BOOk はしてないの?
続く余震、毎日少しずつ降り注ぐ放射性物質。
好きなものを求め買い物する楽しさ。
お疲れさまでした。同じとき、大阪梅田では新しい街びらきがありました。梅田はすごいことになりますね…ますます私には「ムリ」という感じで…。
一休みしてください。
marikoさん
ツイッターは今ひとつ仕組みがよくわからなくてやってません。
多分そのスピードについていけない気がします。
銀じ郎さん
大阪は日本人以外にアピールしたいんじゃないでしょうか。
今月の写真茶話会のお知らせが遅れています。いろいろあったことと、実は今年も遠足企画をちょっと考えていて。また近日中に告知します。