100匹目の「先生、」
2010 年 12 月 6 日 by SIGN
ライアル・ワトソンだったか、飽和点というお話。
今日大学の授業で、一番進んでいる学生がスツールの組み立てに入った。
延々格闘してきた仕口の加工が終わり、あられ組みの擦り合わせをして、やっと目標の形になる組み立て作業は、このスツール製作で一番面白いところだろうと思う。
彼の他はみんなまだ仕口の加工を一生懸命やっていて、進み具合にかなりのばらつきがあった、と思っていたら、彼が組み上がり、はたがねで固定する頃、図ったように連鎖的に仮組み段階に進む学生が出だして、後半てんやわんやになっていた。
全部で18名を同時に一人で、ほぼ個人指導して回っているので、「先生次どうするんですか?」「先生、」「先生、」
そう呼ばれて悪い気はしないけど、その呼ばれ方には過去の響きがつきまとい、呼ばれる度に複雑な気持ちがする。
そこでは本物の先生ではないから。
昨日は僕を先生と呼ぶ元教え子たちを愛おしく感じつつ。
呼ばれているうちに飽和点がくればもしや、などと妄想をしてみたり。