自然に手を加えるからこそ
2010 年 5 月 13 日 by SIGN
シェルフの棚板を作ろうと手押し鉋盤をかけていたら、たちまち刃がなまってきた。その後の自動鉋盤も同じく。
ぎりぎりなんとかなったものの、明日にでも刃は交換しなくてはならない。
今回部材が多いせいもあるが、恐るべしナラ材。機械や刃物の消耗が激しい。
こういうこともあって、ナラで作られた家具は高いのかもしれない。
材木屋から仕入れた状態の板を、普通はあまり見る事はないだろう。決してホームセンターに売っている角材や板材のように加工されたものを使っているわけではない。
木は動く。加工した瞬間からかかっていた応力が抜けて変形し、その後湿度変化によって反り始める。乾燥し、安定した材でも年間1%くらいの伸縮がある。だから、あらかじめ加工された木材は変形している事が多い。
仕入れた状態の木材は、乾燥させた丸太を板にひいたもの。表面はざくざくで、雨や埃をかぶり変色し、多少反りがある。そのみすぼらしさにはどこにも高級感などないのだが、僕ら木工家が見れば、材木屋さんの山積みされた材木を見ると、宝の山を見るような憧れを感じてしまう。
それらが加工され、組み立てられ、磨かれて木製の家具になるのだ。その変化を知っている木工家こそ、木材の美しさを一番知っているのだと思う。
そんな僕らでさえ、木について知っているのはせいぜい製材された板材、または丸太あたりまでで、実際に生えている状態は知らない。
どんな土地で、どんな気候の中で育ち、どのように伐採され、製材されるまでにどのくらいの時間が過ぎるのかも。
そういうことに思いを馳せることがなければ、木製家具を作る木工家として胸を張れない気がする。
その木を思い通りに操って、別の形に変身させようというのだから。
木にとって、地面に生えている頃には想像もしなかっただろう完全な平面や、直角や、均一な厚みを出す機械の刃物が、すり減って切れなくなったというお話。