なくてもいいことなら誰もやらない
2010 年 2 月 19 日 by SIGN
実習道具のメンテナンスに大学へ行ってきた。
本来なら手道具は手入れをしながら使うもの。それをせずに作ることだけ教えることは出来ない。
本職と同じ道具を使わせるのだから、同じ使い方をしなければどんないい道具を揃えても使い捨てと同じ。
授業でもある程度はやり方を教えたが、課題を完成させる方が優先で、そして慌ただしく、出来ている学生はほとんどいなかった。これは僕の教え方にも問題ありか。だから今日のメンテナンスは無償で、担当の先生に実習室を開けてもらい、手伝える学生がいたらと声をかけてもらった。
結果を求める学校としては目に見えるものが欲しいのはわかる。課題作品を並べてよくできましたと言いたいのだ。しかし、それが学生にまで浸透し、結果がすべてという価値観に支配され、課題は効率良く提出できれば良しみたいなことになっては、ものづくりから遠のいていくような気がする。
彼等には、一回使用して道具が使い物にならなくなったとしても負うリスクが何もない。本来の使い方をすれば何十年使える道具であったとしても。
大学で教えるという、求めてもないであろうチャンスに恵まれて欲が出てきたのか、もっと丁寧に教えたい。でもそんなことなど言えない立場しか与えられなかったのは誰のいじわるなのか。そして今の状況からすれば、その優先順位はその位置から上げることはできない。
期間限定のお試しセット。
しかし、声をかけてもらって今日の手伝いに来てくれた学生は、一人二人いればいいかと思っていたら、クラスの半分の人数が集まった。
出来は悪いが、わいわい言いながら60本のノミを研いだ。
担当の先生の「昼飯カレーおごる」が効いたのか、それとも。
道具を…なるほど。
湯浅さんの”教える”という姿勢や取り組みには、いつも新鮮な気づきをいただきます。
ただ道具が好きなだけかもしれませんよ、木工家なんてそんなもんで。
教える姿勢だなんて、いつも個人的な欲求で悶々としているだけです。
リスクを負うことなしに、価値あるものは生み出せない。
大学も「物づくり」を本気で考えるなら、子どもだましなことで終わってはいけないと思う。
立場が代わり、大学とのコミットメントが強まれば、もっとストレスが増えるかも知れませんよ。
あれ、慰めになってませんか?!
そのストレスは経験済みですので、絶対にそこへは向かいたくはないのですが、自分で組み立てた授業で手応えが得られた時の感動もまた知ってるんですよね。
それが麻薬的で。
今度の火曜に准教授の先生とお話しするんですが、その結果、Saltさんには個人的に報告します。