いまだに、5MTターボ車に乗るのが夢
2009 年 12 月 17 日 by SIGN
昨日、楠天板の納品に結局一人で行ってきた。
これの作業で肉体改造されてしまったらしく、意外な怪力ぶりを発揮して、少しお客さんの手を借りながらも、荷下ろしから設置までスムーズにいった。
この適応能力は何歳くらいまで続くんだろう。人間の体って不思議だ。
5枚のうち4枚を納品して、あと一枚はこの仕事を紹介してくださった、以前子供部屋のリフォームをさせていただいた、ランクル好きのお客さんのところへ土曜日に納める。
その仕事をさせていただいたきっかけというのが、そのランクルで、その方が所有されていた2台のヨンマルのうち1台をゆずっていただいたのだった。それからのおつきあい。
そのヨンマルはわけあって手放してしまったけど、今思えば惜しいことをしたと思う。
こんなに手動操作、手作業の仕事をしているというのに、車がオートマだとそこだけ怠けてる感じがしてしまうのはおかしいのかな。
いまどき、マニュアルの車を探すのさえ難しく、新車ではすでにラインナップから無くなっている車種の方が多い。誰も問題視せず、声もあがらない、文句を言っても共感してもらえないことであり、世間の適応はすっかりスムーズに知らぬ間に進んでしまった。世の中そんなことって多い。
発達における適応は、苦痛をともなっても喜びを感じるが、退化することには抵抗を感じてしまう。
今度行ったら、ヨンマルを拝ませていただこうっと。
今から大学行ってきます。
私のサファリはオートマですが、本当はマニュアル車を探していたんです。
オートマでもハンドリングが面白いので、乗りごたえがありますが、マニュアル車には憧れます。
カメラでもシンセでも何でも、道具に使われている感覚は、人間をダメにしますね。そういう感覚もなくなるほど感覚が鈍っちゃうわけです。
また、大学の講義内容を教えてくださいね。
12年前の規格の軽自動車なら、マニュアル車で10万円も出せば手に入ります。
原付買うより安いでしょ。どうですか、僕はかなり心が揺れています。マニュアルのためだけにもう一台。
しかしそんなどころじゃない、その大学へ行く前にすごく悲しいことがあって。
強い風が吹いて、バイクのカバーがめくれ上がっていたので直しに行ったら、スロットルが固まっていたのです。フューエルコックも固まっている。
時々エンジンはかけていたのに、これでもう修理に出さなくては音すら聞けなくなってしまいました。泣けてきます。失踪、蒸発したいくらいです。車よりバイクに乗れよって感じです。
そんな気持ちを引きずっていったので、今日は講義は無しでした。淡々と実習をして「良いお年を」で締め。
物の価値をエネルギー問題に絡めて話すつもりでしたが、まったくそんな気にはなりませんでした。
たぶん、財務省の仕分けで予算凍結です。
最近はバイク乗る暇なんてなかったんでしょ。心中お察しします。
またゆっくり話しましょう。