誰が誰のために作ってるかを
2009 年 9 月 30 日 by SIGN
例の曲げ木のティアドロップを昨日納めた。
時間がなくて前日は徹夜に近い作業になって、仕上がったのが朝5時だった。
仕上がったといっても僕の仕事である木部のことで、その後ガラス玉を固定したり、本当の仕上げは他の方の手によることになる。
今日が締め切り、クライアントにプレゼンするのは明日と聞いている。さてどうなるのだろう。完成したのかな。
結局写真も撮らなかった。いつもならできたーで一枚撮るところ、やはりどうしても自分の作品ではないので思い入れがなかったのかな。
デザイナーがデザインしたものを作るという仕事の違和感も否めない。僕の仕事は自分で作ることを前提にデザインを考えるので、木の性質や加工法、家具としての必然性、それらを組み合わせて依頼者の肖像画を僕自身の可能性で描こうとするものだが、デザイナーという人はまず形ありきで、その人の知識や教養の集積から紡ぎ出されるひらめきがスタート地点だから、その人がどれだけの人生経験があってどんな世界観を持っているのかが重要になってくる。
デザイナーは形を考えるだけの人であってはいけないと思う。
木工家も形を生み出す責任を感じるべきだと思う。
今回の仕事は「母子家庭のための募金箱」だった。
後日ガラス作家の方から完成品のすごい写真が送られてきたので。(10/2)