音楽家の丸山祐一郎さんとロシア人女性4人組を案内した2泊3日の奈良観光を、無事終えることができた。ほとんど行き当たりばったりだったが、結局はそんな旅が一番面白いはず。
一緒にホストをした堤さんや池本さん、言葉がなかなか通じなくて大変だったけど、あんな旅は誰も提供できないと思う。
僕もまた旅がしたくなった。
彼女たちの一人が、しきりに彼女の店があるモスクワかアムステルダムに来てと言っていたが、今の状態じゃ無理だなあ。
いつか作品で食っていけるようになったら、ロシアとオランダで個展、販売もしてみたいけどね。
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その後数日間、彼等と過ごした時間が、心の中に一筋の尾を引いていた。
仕事をしながらも、なんとなく集中できない自分がいる。
この出会いとそこにある流れには、今の僕にはどうしても越えられない境界線があるような気がする。それは、一言で表現するならば「未熟さ」だろうか。
丸山さんは音楽を通して、自分の音楽の世界をある到達点に達せられたことで、自らに接するすべての接触点に対し、一貫したスタンスを持っておられる。そういったことが僕にはまだ足りない。丸山さんにおける音楽が、僕にとっては木工なのかすら断言できるほど追求できていない。そこそこ売り物になるものを作れるようになっていい気になっている場合ではないのだ。
彼等と過ごした時間は、数日を置いて僕にそれを強く感じさせるものとなった。
もしそれが僕にあったなら、簡単に流れを飛び越えて、木工という武器を背負い、もっと広い世界へと挑みにいくことなど、臆することなく逆にチャンスと思えたのではないだろうか。自分に制限しなければ、所詮世界など簡単に広がっていくものだ。しかしそれに対して、自分が何を持って語ろうとするのかがはっきりしなところに歯痒さを感じる。
僕と同い年くらいと聞いていたNadezdaは、tea-cultureを広めるため、モスクワとアムステルダムにミュージアムを作り、ワークショップを開き、研究と買い付けのために中国のあらゆるお茶の産地を飛び回る、という活動をしている。
先日飯山に着いた丸山さんから電話があり、それは無事到着したという報告だったが、その彼女が電話口に出て言うのだ。僕に家具をオーダーしたいと。もちろんそのミュージアムで使用するものをだ。
簡単に言いやがって。
言葉がもっと通じたら、同年代ということもあるし、もっと話し込んでそういう意識について追求してやるところなんだけど。どうもわざわざ言葉が通じない相手と出会わされて、逃げ道塞がれている感じもする。
こうなったら、見つけるしかないようだ。
ふと、丸山さんのブログを読み返していたら、胸が締め付けられるような言葉があった。
「夢を真剣に願い、一歩踏み出し旅に出よう。素敵な虹は必ず待っている… 虹を捜す旅は、人生を輝かせる旅でもある。」