美容室あんずのオープンシェルフ
W1400×D360×H2200
材質:ナラ、クスノキ、ガラス
塗装:着色カラーオイルワックス、顔料
ストーリー
そのオープンシェルフを納品した日、僕は依頼者である美容師さんにお願いして髪を切ってもらった。
納品当日は月曜日で、そのお店の定休日だったのだが、納品日の連絡を入れた時に、切ってもらえないだろうかと相談したのだった。
美容師さんの返事は快く、切らせていただきますとのことで、僕にとってはその日が楽しみで待ち遠しかった。
お客さんに対して馴れ馴れしいと思われるかもしれないが、僕にとって、そうしてほしいと欲する経緯が、このシェルフの製作過程にはあったのだ。
設置を終え、色々話をして、いよいよ髪を切ってもらう。この人が一体どういうふうに仕事をするのか、とても興味があった。
切り始めて間もなく不思議な感覚に陥った。それは今まで髪を切る時に感じたことのない感覚だった。
僕はその時、彼の作品の素材になっているかのような気持ちになっていた。僕が主体でありながら、あきらかに彼のために存在しようとする自分がいて、そのハサミのひとふり毎に組あげられていくような受け身の感覚だった。
これはまったく僕が自分の作る家具に対してしていることを、逆転して体験しているかのようであった。
今までそれこそ何百回と髪を切った経験がある中で、そんなふうに感じたことなどない。またこんなにも髪を切ることに夢中になって、真剣に集中している美容師、または理容師の人を鏡越しに見た事がなかった。
それはもしかすると特別な時間だったのかもしれない。
初めて依頼の電話をいただいてから半年近く、何度かの打ち合わせでお会いし、その度にいろんな話をさせていただいた。
目標はひとつの家具でありながら、その話の内容は多岐にわたり、お話しする毎に抱えて帰る情報量は膨大で、またその中にはそんなこと家具屋に話していいのだろうかと思われるような内容もあった。
僕の使命はそれらの情報を記号化し、物語として形に定着させることだった。
そうやって時間や情報を共有するうちに、家具屋と客ではなく、友人でもない、特別な関係が生じていたような気がする。お互いが自分の延長であるかのような。
普段人に話さないような秘めた思い、言葉、身の上の話。僕に対しどんな信頼を感じて話をされたのか、もう聞いた以上、目標であるひとつの家具にそれを書き込むしか道はなかった。
それは、彼と彼の奥さんにとってとても大切な人を描くということだった。
その人は女性で、この世には存在はしない。しかし、彼らにとってその人は確かに人格を持ち、彼とともにこの美容室で時を過ごしてきた。この美容室自体が彼女であったとも言える。美容室につけられた名前は、彼女の名前だった。
この店を開業して12年たち、そろそろ店舗のリフォームを考えた時、子どもから大人への通過点、思春期を迎える彼女へのプレゼントとしてそれはとらえられた。新調する家具は彼女の友達、話し相手、もしくは彼女そのものの肖像にしたかった。
一番最初に彼から貰ったスケッチの角張ったシンプルなデザインからスタートして、女性を意味するキーワードを僕は書き込んでいった。
曲線、細い線、カシオペア、心臓、子宮、心、空を羽ばたく翼、翼断面、骨、背骨、天を指差し、手を繋ぐ。
それらをどう無理なくバランスを取っていくのか。我ながら科した課題は途方もない話だと思った。
つないでくれたのは、彼が貸してくれた一枚のCDだった。ヴァイオリンソロの演奏で、ヒラリー・ハーン。バッハの曲だった。とにかく素晴らしい演奏で、澄みきった音に幾度となく助けられたような気がする。このCDは作業中ほとんどかけっぱなしで、そういう試みがどういった効果をもたらすかも興味があった。
そして完成し、そのすべてが整った姿を工場で見た時、なぜか僕は彼女にありがとう、と言っていた。
その家具に書き込んだ物語は、見る人すべてに読まれるわけではない。またそれを知って感じることができるのは、彼と僕だけなのかもしれない。彼と僕がこの世からいなくなってしまった後においては、それに一体なんの意味があるというのだろう。
形を考える、形を作るという仕事は、深い。存在感という価値がつけにくいものに命がけなのだから。
それを受け止めてもらったことを確認するために、彼の仕事を見たかった。
鏡越しのまなざしから、それは確かに感じられた。
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